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人をいじる笑いは難しい?
人をいじって笑いを取るというのは中毒性がある。
脳内麻薬のようなもので、味をしめてしまうと常にどこかいじる要素がないかを無意識に探しだし、見つかったときにはここぞとばかりに大いに大胆にいじる。
大コンプラ時代に突入している今、人をいじって落として笑いを取るという行為は、ギリギリな危ない橋を渡るようなものになったと感じざるを得ない。
ならわざわざ渡らなくても良さそうなものだが、車は急に止まれないように
人もまた、時代が変わる流れには急に乗れないものである。
いじって冗談でキツいことを言って起きた笑いがとんでもない爆発力を持っていることを知っている人は、相手が不快に感じるいじりのギリギリラインをつい攻めたくなってしまう。
この甘い蜜の取り扱いは非常に繊細でセンスを問われる。
厳密に言うと、どのような関係性がその人たちの間で築かれているかによって、そのギリギリラインは変わってくる。
もっと言うと、いじる側の心情に「マウント」や「嫌み」が無意識にでも含まれていると、いじりとしては機能しない。
「自分の方が上」と示したくて仕方ないのが少しでも滲み出ていると何だか一気にダサくなりつまらなくなる。相手も敏感にそういう雰囲気を読み取り、不快に感じるのだ。
本気で心から「この人のこういうところが面白くて好き」という純粋なリスペクトの気持ちからくるいじりでないと、面白くない時代になったのだ。
もはや、人を下に見てバカにする時代は終焉を迎えた。
いや、迎えないといけない。いつまでも人に嫌な思いをさせて笑いを取ってる場合ではない。
時代の流れに合わせて変わっていく必要があるのは世の常である。
何も今に始まったことじゃない。
平成から令和に変わって、なんだかものすごく世間の流れが変わったように言われているけれど、イヤだなと感じても言わなかっただけで心の中で怒ったり泣いている人がたくさんいた。ちゃんと口にする人が増えただけ。
一人ひとりの尊厳はいつの時代も変わらず尊いもの。
今、この変わり目の時代に生きている私たちは変わっていくことが求められている。わざわざ誰かを下に見ていじらなくても楽しく生きることはできる。もっと、自分を大事にしようぜ。