温室育ち
甘やかされて育ったとか、恵まれた環境にいるとか。他人からそう見えるとき、「温室育ち」なんて言われることがありますが。
私、この表現がとても嫌いです。
植物だって、温室が合っているとは限らないのですから。
暖かい場所と、適度な湿度や水分を必要とする植物もありますけれど、そんな環境では生きていけない植物だってたくさんあります。
冷たくて、乾いた場所にいるのは、大変なこと、苦しいことであるのも事実でしょう。
…けれど。温室だって、合わない人はいるのです。温室特有の、あの温度と湿度。それがかえって人を苦しめることだって、あるはずなのです。
植物と同じく、人にも合った環境がある、と私は思っています。
乾いた土でしか生きられないもの。水分が多くなければ成長しないもの。必要な日照時間が季節によって変わるものだってあります。
そして、それが守られないと、上手く育たない。
それは、人間だって同じでしょう。
合わない環境にいては、枯れてしまったり、腐ってしまったりする。
誰かにとって居心地の良い場所でも、それがあなたには合わないことだってあるはず、それを苦痛に感じることだってあるはずです。
それを、あなたは恵まれているのだから、と一蹴されては、苦しいだけではありませんか。
『人間には、植物と違って足がある。だから、場所を変えたらいい』なんて考え方もありますけれど。
それが簡単にできたら、そもそも苦労はないのです。
だからこそ、考え方を変えるとか、自分を変えよう、という話になる。
けれど、それだって簡単なことではありません。
「恵まれた環境にいながらも苦しいと感じてしまう自分は間違っているのだ」と、考えるようになってしまうから。そして、その考えが新たな苦しみを生み、その苦しみを自分で否定する…。
これでは終わりがないのです。
だからこそ、私は。
今のあなたがどんな場所にいるのであれ、そこに違和感を感じているならば、それがあなたの事実。
その感覚は間違っていない。
そして、あなたがそう感じていることを、私は否定したくない。
…そう思っています。
自由の意味も、生きがいも、人によって違うし、もとめる環境だって、人それぞれ。「生きやすさ」だって、それぞれのはずです。
それに、どんな環境をどう感じるか。それは誰にも否定されることのない、自由のはず。
だからこそ、どんな場所に置かれていても、あなたの心がそう感じるのならばそうであると、私は認めたい。
あなたの感じるもの、そして、あなたの求めるものを、私は尊重します。
…どうか、あなたの心を否定する人が少なくなりますように。あなたの言葉や感情が否定される場所が、少しでもなくなりますように。