毒を飲む

グルグルと、何度も同じことを考えて。堂々巡り。
頭痛がしてくるほどに。こういう時は筆を取ることもやめておくべきではないか、と思うくらい。

結局は同じ結論に至るのに、それは分かっているというのに、飽きもせずに同じことばかりを思っている。
それでも彼らは相変わらず優しくて、こんな私にも言葉をかけてくれる。今だってそんなに悪いものじゃないし、物事は捉えようだ、と言ってくれる。それが気休めではないことをぼくも分かっているのに、受け入れられない。そんな自分が嫌いだ。

また「こんな自分が…」と考えている。そして、その考えが卑屈だとは思っていない。感じていない。ただの事実だと思っている。人と笑い合うことすら、今の自分には難しい。人に優しくする自信も、まともにやっていける自信もない。

こうやって歪んで、偏って。そのうちにある程度はまともな形にまとまるだろうことは分かっていても、落ち着かない今が苦しくて。そして、こんな自分を人に知られるのも嫌で。

早く、今までと同じようにならなければ。乱されることなく、いつもと変わらない顔で笑えるようにならなければ。優しくならなければ。焦りや不安は、そのまま棘になって、また人を傷つけてしまう。

…いっそ、このままぶつけてしまえたら楽になれるのではないか。絶対に人にぶつけてはいけない、と思うその棘を、自分に向けてしまえば。そしてその毒を自分が消化できれば。
そうしたら誰も傷つかないし、自分も嫌な思いをせずにすむ。自分の毒なら酔うこともない。それに、人を傷つける心配もいらない。

ドロドロとした悪趣味な毒は、人に知られる前に自分で飲み干してしまえばいい。そうしたら、大切な人に向ける心配はない。そして、飲んでしまえば、抱えているより心は軽く、綺麗になる。美しいものや優しいもの、弱いものや儚いものも受け入れられるようになる。そうなれば、ぼくは今より優しくなれる。
人に優しくするためにも、この毒はぼくが飲んでしまおう。見ないふりをしているほうが危ないから。

正直に言えば、こんなもの持っていたくないし、手放してしまいたいと思う。ぼくだって、もう少し根の部分から優しくありたい。
でも、この毒も棘も、きっとぼくがぼくである限り、消えないし、消せない。
だからといって、毒や棘を持つぼくは悪者ではないし、優しくなれないわけでもない。毒を飲むような人間だけれど、友人は大切に思っているし、ご主人さまのことは今だって好きでいる。特別な人には優しくありたい、という心も持っている。

だから、あとは自分の毒の扱い方だけ。それをなんとか身につけられれば、その場の空気にあてられて嫌な思いをすることも減るはず。そうすれば、心を乱されることなく、自分らしい優しさを保っていられるようになるはず。

穏やかさを保てるのならば、自らの毒くらい飲み込んで、受け入れてしまえばいい。


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