2.21不当判決      故 中野亜里と川根眞也の30年におよぶ事実婚夫婦 相続権ゼロ違憲訴訟

 川根眞也が2年半、闘ってきた、事実婚夫婦相続権ゼロ違憲訴訟は、河本寿一裁判官により、不当判決がなされました。

 川根が引き出した、1750万円のすべてを中野◯◯に返金せよ、その年利3%の利子も払え(=30年間添い遂げたパートナーである川根には相続はゼロ円)、西川口のマンションも半分は中野◯◯のもの、1750万円は仮執行をする、と言う判決でした。

 そもそも、判決日は、2025年1月31日(金)13:10pmでした。それを、河本寿一裁判官が「判決文が書けない」と判決日の延期をこちら側に申し入れてきました。だから、判決日は1ヶ月遅れて、今日2025年2月21日(金)13:10pmになりました。

 選択的夫婦別姓制度の導入が、30年ぶりに国会で議論されている、今だからこそ、判決文を書くには時間や政治動向を見極める時間が必要なのではないか、とこちらは思いました。

 しかし、相手の中野◯◯の主張を丸呑みした、30年間添い遂げた配偶者遺族を一顧だにしない、無情な判決でした。

 今日、紀藤正樹弁護士がいみじくも言いました。こんな憲法判断を何もしない判決文を書くには、1ヶ月の時間は必要なかったのではないか。単に、判決文を書くのが間に合わなかっただけではないか、とも思えると。

 はっきり言って川根も少しは期待していました。

 しかし、判決主文は、

1 被告(川根眞也)は、原告(中野◯◯)に対し、1750万円及びこれに対する令和3年2月5日から支払い済みまで年3%の割合による金員を支払え。

2 被告の反訴請求をいずれも棄却する。

3 訴訟費用ほ、本件・反訴を通じて、被告の負担とする。

4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。

でした。

 中野亜里と川根眞也は30年間事実婚夫婦でした。

 結婚当時、中野亜里は現代ベトナムの政治・外交の研究者でした。川根眞也は埼玉県の公立中学校の理科の教員でした。

 中野亜里は結婚して「川根」姓になったら、それまでの研究業績はすべて別人のものになること。パスポートも「ARI KAWANE」になり、ベトナムのホテルを間違って、中野亜里名で予約した場合、あなたのパスポート名は「ARI KAWANE」だ、あなたではない、とフロントに宿泊を拒否される、と。だから、姓は変えたくない、と言いました。

 自民党は、「通称使用拡大」で選択的夫婦別姓を誤魔化そうとしていますが、学問の業績の問題も、パスポートの問題も、「通称使用拡大」では解決しません。

 私達は30年間事実婚として添い遂げましたが、生前に事実婚夫婦が別れた場合は財産分与が認められています。しかし、私達のように死別した場合は、残された配偶者には相続が認められず、すべて親族に行くことに民法ではなっています。

 中野◯◯は、この民法を錦する御旗に、中野亜里の遺産はすべて私のもの、と裁判で川根を訴えました。

 中野亜里は2020年10月末、毎日のように食べると吐くようになり、お腹が痛い背中が痛い状態になりました。胃がんの疑いがあるので、胃の生検をした、と言うので、川根は試験勉強をしていた岐阜県から埼玉県川口市に戻り、11月1日から亜里が亡くなる2021年1月9日まで、亜里の傍らで看病を続けました。

 川根は2018年4月1日に岐阜県関市に第2の生活拠点を作りました。月に8日間は埼玉県川口市のマンションで生活し、残りは岐阜県関市で第1種放射線取扱主任者の試験勉強をする日々でした。岐阜県に第2の生活拠点を作った理由は、第1に、川根が埼玉県を生活していると非常に疲れてしまい、以前のように保養にでたら1週間くらいはからだが楽な日があったのが、数日で元に戻ってしまうようになったからです。放射線被ばくの影響です。岐阜県に避難・移住することで、仕事以外に活動し続けるためには、避難・移住しか選択肢は有りませんでした。第2には、川根の生活拠点が岐阜県にあれば、中野亜里の大学が3日も休みであれば、亜里が気軽に岐阜県に保養に出られるからです。事実、2020年新型コロナが猛威をふるい、埼玉県でも緊急事態宣言が発令された時は、4月7日から7月6日まで中野亜里は川根と共に、岐阜県関市で過ごしていました。 大学のオンライン授業も岐阜県関市から配信していました。

 亜里が体調を崩し、病気の原因も分からないまま1ヶ月半が過ぎ、やっと、順天堂医院、板橋中央総合病院で、すい臓がん尾部を原発部位とするがん性腹膜炎と診断された時は、末期がん、余命1、2ヶ月でした。2020年12月24日のことでした。

 川根が出して第1種放射線取扱主任者試験が神戸で12/27,28にあったので、医師と打ち合わの上で、川根が埼玉県に12/29に戻り、12/30に中野亜里が一時退院して埼玉県川口市のマンションを戻った時に、余命1、2ヶ月の宣告をすることにしました。本当に辛い宣告でした。

 しかし、中野亜里はいったんはベッドに横になったものの、夜中、起き出し、背中か痛いので、膝立ちのままライティングデスクで遺書を書きました。そこには「預金は◯◯と眞也で相談して自由に使ってほしい。」とありました。

 原告の中野◯◯は、ここに、◯◯と川根眞也との割合分が書いていないから不明だ、と主張しました。河本寿一裁判官は、この割合が書いていないから不明だ、と追認する判決を書いています。
 
 この中野亜里が書いた遺言書には、印鑑がありませんでした。印鑑がない遺言書は法的に有効ではない、と原告の中野◯◯は主張し、河本寿一裁判官は、印鑑のない遺言書は無効、と追認しました。

 川根眞也は中野亜里の死後、1/11偲ぶ会、12お別れの会を北海道札幌市で開きました。野呂美加さん、山口裕紀江さん、安達和叶さんなどに参列していただきました。

 札幌へは、末期がんの患者を治療する中国古典医学の陶恵栄先生の治療を受けるために来ていました。

 中野◯◯には持病がありため、葬儀のため札幌に来ることは叶わないと思い、Zoomでの葬儀に参列するようお願いしました。しかし、持病を理由にZoom顔出し参加も断り、メッセージだけ送ってきました。

 その後、中野◯◯のfacebookを見たところ、亜里が亡くなった翌日の1/10の劇団四季が公演に、中野◯◯は行っています。姉が亡くなった翌日だけれども、コロナで公演が中止なることはなかったから、と。非常に残念です。葬儀に出て欲しかったと心の底から思いました。

 川根は亜里が亡くなってから、もっと他に何かできることはなかったのか、と自分を責めました。どこで生きて行こうか、と茫然自失でした。結局、葬儀が終わった1/13から1/20まで札幌のホテルに滞在していました。

 川根を突き動かしたのは、妹の「お兄ちゃん、いつまで札幌にいるの。亜里さんの遺骨をホテルなんかに置いといちゃダメでしょ。」の言葉。そして、大東文化大学国際関係学部長からの「中野亜里研究室の蔵書、研究資料、私物を2021年3月末までに撤去するか、処分して欲しい」との電話です。

 1/21に埼玉県、岐阜県にもどり、岐阜県関市の自宅に亜里の遺骨と仮位牌を安置して、東京都の父母と妹の住む実家に戻りました。

 1/30には、亜里の古くからの友人、川根の友人合計9人集まってもらい、中野亜里の蔵書、研究資料、等を埼玉県川口市のマンションに搬出しました。蔵書は1200冊を超え、ダンボール箱120個弱になりました。

 中野◯◯は、大東文化大学から中野亜里研究室の蔵書、研究資料について問われた際に「捨てて代わり構わない」と答えています。

 2021年5月には、中野亜里の最期の訳書となった『ベトナム:ドイモイと権力』(めこん、2021年、フイ・ドゥック著、中野亜里訳)を、小高泰先生(現大東文化大学教授)、川崎拓海さん(中野亜里の愛弟子)、桑原晨さん(出版社めこん代表取締役)の力で出版することができました。

 2021年2月から8月にかけて、川崎拓海さんに協力してもらって、中野亜里が収集した800冊を超えるベトナム語文献の目録を作りました。題名、著者名、出版社名、出版年をベトナム語で電子データにしました。

 2021年9月12日には、中野亜里の納骨式を友人で開きました。中野亜里は、川根の父母が建てた「中野家・川根敬の墓」に眠っています。

 2022年には中野亜里・ベトナム勉強会として、小高泰先生、根本敬先生、熊岡路矢先生、井上貴子先生に来ていただいて、勉強会を早稲田奉仕園で開きました。

 川根が望むことは、中野亜里の研究が後世に伝えられることです。現代ベトナムは、ロシアや中国と同じように、言論の自由がなく、ドイモイも未完のまま、民主主義が萌芽の時に潰されました。ベトナム革命の語られている栄光の陰には、北ベトナムによる、南ベトナム解放戦線の幹部の暗殺もありました。農地の急速な集団農場化の失敗で、大量の餓死もありました。こうした、ベトナム現代史の影の部分にも光を当て、ベトナム現代史多元的民主主義を実現したい、とベトナムに生きる、あるいは、亡命したベトナム人と交流しながら、研究し、著書として世に出してきたのが、中野亜里です。

 是非、この訴訟に勝ち、中野亜里の研究を後世に伝えるための資金をしたい、です。

✩✩✩

(川根 注)1750万円

中野亜里の預金6056万3028円のうち、川根が引き出した金額が1750万円。

①中野亜里死後の治療に同行した川根の札幌での滞在費14万4670円。

②中野亜里の葬儀費用108万6333円。

③札幌での中野亜里と川根眞也の滞在費、中野亜里の治療費45万7244円。

④中野亜里の研究室から西川口のマンションに中野亜里の研究資料、蔵書、私物を移動した費用31万7000円。

⑤中野亜里の遺作「ベトナム:ドイモイと権力」めこんの出版関係費用140万円。

⑥中野亜里の収集したベトナム語文献の日本語目録作成費用53万7336円。

⑦札幌から埼玉県西川口のマンションに中野亜里の私物を移動した費用3万1120円。

①〜⑦はこの1750万円から支出している。合計397万3703円。

少なくとも、この金員は必要経費として認めるよう、当時の弁護士代理人である紀藤正樹弁護士と、原告 中野◯◯の弁護士代理人である髙木宏治弁護士との間で2021年に協議されていました。

また、中野亜里のベトナム研究の業績を後世に伝えるためには、年間100万円は必要です。川根はそのためにも、と、中野亜里の預金からお金を引き出していました。

中野亜里が亡くなって直後の目標はかつて、中野亜里が「あなたが放射能で被ばくした子どもたちのために、サナトリウムを本当に建設したいのなら、2000万円くらいなら用立てもいいから。」と言ってくれたことを思い出し、2000万円でした。

しかし、中野◯◯と髙木宏治弁護士は、紀藤正樹弁護士との協議を打ち切り、川根眞也を訴えました。

また、中野◯◯と弁護士 髙木宏治は、紀藤正樹弁護士と髙木宏治弁護士との協議中に、西川口のマンションの仮差し押さえを2021年8月10日に神戸地裁に、西川口のマンションの仮差し押さえ申請をしています。

(川根 注)反訴請求

中野亜里の遺産6056万3028円の半額3028万1534円は川根のものである。従って、中野◯◯が双方の合意もなく引き出した残金のうち、

30,281.534円(半額)−1.750.000延期(川根がすでに引き出した分)=12,781 534円

12,781,534円を中野◯◯は川根に支払え。

中野亜里と川根眞也が生活していた埼玉県西川口のマンションの仮差し押さえを止めて、このマンションの所有権を川根眞也に移転登記手続きをせよ。

✩✩✩

 今日、昼、夜、2回記者会見&報告集会をやりましたが、その中で、河本寿一裁判官が約1ヶ月前にひどい判決を書いていたことを教えていただきました。記者は「この河本寿一裁判官の判決を聞いてから、川根さんの裁判の判決についても嫌な予感がしていた」と。

 その1ヶ月前の、神戸地裁、河本寿一裁判官の判決が以下です。川崎重工の過労死の遺族が訴えた裁判です。

「原告側の八木和也弁護士は「労災認定で評価された業務の過重性を一切考慮せず、裁判所が基準も示さずに独自に判断した。過去に見たことがないケース」と話した。」−記事1 朝日新聞

 今日の川根眞也の裁判の判決は、河本寿一裁判官の悪しき2番目の判決例になりました。

[記事1]

労災認定された過重労働 神戸地裁は認めず 川崎重工過労自殺訴訟
2025年1月15日 朝日新聞 原晟也

 川崎重工業(神戸市中央区)が出向中に過労自殺した男性社員(当時35)に対する安全配慮義務を怠ったとして、遺族が川重側に約1億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が15日、神戸地裁であった。河本寿一裁判長は労災認定されていた男性の過重労働について認めず、請求を棄却した。原告側は控訴する方針。

 男性は2002年に川重に入社しエンジニアとして勤務。中国の関連会社に出向中の13年7月、マンションから転落死した。男性は過重労働によりうつ病を発症していたとして16年、過労自殺として労災認定された。

 原告側は、海外勤務の過大な心理的負担に加え、川重は業務トラブルによる過大な業務を認識していたのに軽減しなかったなどと主張してきた。

 判決は、男性は出向前も中国出張の経験があり、語学研修も受講させていたことなどから川重が安全配慮義務を怠っていたとは認められないとした。男性の自殺前には業務トラブル支援のために複数の担当者が現地入りしていたことなども指摘し、「量的にも質的にも過重な業務に従事していたとは認められない」などと結論づけた。

 原告側の八木和也弁護士は「労災認定で評価された業務の過重性を一切考慮せず、裁判所が基準も示さずに独自に判断した。過去に見たことがないケース」と話した。

 川崎重工業は「現時点では、判決の具体的な内容を把握できていませんが、当社の主張が認められたものと考えております。判決の内容を精査したうえで、今後の対応を検討してまいります」とコメントした。

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