〈山陽・北陸乗車記2022年冬with青春18きっぷ+α(その53)〉
「岩国駅→新山口駅:
山陽本線 普通列車(227系)」
どうもみなさん、ご無沙汰しています。
ここまでご覧いただき、私は本当にありがたい気持ちです。
今回の旅もようやっと、博多を出てから折り返し地点の金沢を超えて、遠路はるばる山口県は岩国市までカムバックしてきました。
ですが、九州の隣県とはいえまだまだ岩国です。旅とは家に帰るまでが旅なのでここからも気を抜かずに行程を進めていきますので、どうぞ今後もご覧くださいませ。
では今回の旅を始めることとします。
今回の旅のスタートは岩国駅からです。
岩国は山口県東部の都市でありつつも、交流、経済的には隣県の広島県と深く結びついている不思議な場所です。僕は九州の人間なので、なんでも九州で例えてしまう悪い癖があるのですが、広島と岩国の結びつきは、九州で例えると鹿児島本線沿線の荒尾(熊本県だが、大牟田や久留米との結びつきが強い)や、日豊本線沿線の中津(大分県だが、行橋や小倉との結びつきが強い)が代表例でしょうか。県境付近の都市の一種の定めなのかもしれませんね。
そんな広島との結びつきの強い岩国といえば言わずもがな、錦帯橋が有名ですが、現在時刻は18時を過ぎた頃です。
いま錦帯橋を見に行ってもおそらく何も得られずに帰ってこないといけない羽目に遭うと思ったため、今回は訪れることを断念しました。
次、乗車する列車まで十分少々あったのでいったん駅の外に出て、リラックスしに行きます。
駅前に出ると、駅前のロータリーには電飾された錦帯橋のオブジェクトが佇んでいます。岩国らしいおもてなしの形ですね。前述の通りに錦帯橋を見る予定はなかったため、すこし嬉しい気持ちになりました。そうか、世間はクリスマスムード一色か…。一人旅実行中の人間にクリスマスなんぞと、思っていましたが、やはり電飾があれば少し嬉しい気持ちにはなります。
岩国駅の駅前広場にて体を伸ばし、手を空に伸ばして大きく息を吐いては吸って、リラックスを済ませたあたりで、岩国駅の中にあるコンビニ(セブンイレブン)で食料を買い込んで…
そんなことをしているうちにあっという間に次の列車の発車時刻になりました。
岩国駅のプラットホームに戻り、次の列車に乗って行きます。次に乗車する列車は、岩国駅を18時17分に発車する普通列車新山口行きです。
岩国から下関まで乗り継ぎなしでそのまま直通する長距離列車もかなりの数があるにはあるのですが、今回は珍しく途中の新山口止まりの列車に乗車します。
岩国から新山口までは約113Km、新山口駅に20時17分に到着するので、2時間ちょうどの旅となります。113Kmなんて、首都圏で例えると東京駅から勝沼ぶどう郷駅まで、近畿圏で例えるとJR難波駅から加茂駅までの距離です。
みなさん、感覚が狂って距離バグを起こしているかもしれませんが、新山口駅は山口県内の瀬戸内側西端の駅ではありません。新山口駅から山口県内の瀬戸内側西端の下関駅までは約69Kmあります。
そんな長い距離を今回は、いや今回も227系に乗って移動します。227系って広島地区を飛び越えて遠くは新山口駅までやって来ているんですね。てっきり、227系の運行範囲は岩国〜三原・糸崎(〜福山)間の広島シティネットワーク内完結だと、今回乗車する列車に乗る前までは思っていましたが、そのまさかです。 岩国からの山陽本線(山口県内区間)では、若造には負けないぞと力強い轟音をあげながら走行する国鉄の末期色のお古たち(115系など)に乗車できると意気揚々に新山口行きの普通列車を待っていたのですが、岩国駅には無情にも227系が誇らしげなニンマリ顔で入線して来ます。まるで「へっ、残念だったな、ここから先も新山口駅まではオレ様の出番だぜっ」と言わんばかりのむっつりスケベ、ニンマリ顔で僕を見つめているかのようです。(そんなことはないですが…)
では、ここ岩国駅から227系に再度、乗り込んでいきます。目指すは新山口駅、113Kmの旅路のはじまりです。
帰宅ラッシュの時間帯とはいえ、流石に岩国から新山口方面へ向かう乗客は先ほどよりは少なく、何も悩むことはなく車内の座席に腰掛けます。僕が車内の座席に腰掛けて数分ほどして、何事もなく列車は岩国駅を18時17分に定刻通り、発車しました。列車は岩国を出ると、徳山までの間はいわゆる「柳生線」と呼ばれる瀬戸内の沿岸部を走行していきます。なぜ柳井線と呼ばれるのか、という素朴な疑問が思い浮かぶと思われますが、それは柳井線と並行する岩徳線の存在があります。
岩国駅と徳山駅の間には、二つのルートがあります。柳井駅を経由する柳井線(山陽本線)と、周防高森駅を経由する岩徳線です。では、なぜ二つもルートが存在するのかですが、ここからは岩徳線の誕生経緯について少し触れていきます。
岩徳線はかつて(山陽)新幹線が存在せず、在来線が主役だった頃に、岩国と徳山を周防高森経由で短絡する山陽本線の新線として建設された鉄道路線です。周防高森経由のルート(現在の岩徳線)は短絡路として建設された経緯から、柳井経由の山陽本線と比べると十数キロほど短く建設されています。現在は岩徳線と呼ばれる周防高森経由のルートですが、建設当初は岩徳線とは呼ばれておらず、山陽本線の一部として扱われました。また周防高森経由のこのルートの開業と同時に、旧来からの山陽本線として柳井を経由する遠回りルートは、一時は地方ローカル線の柳井線として山陽本線から外されます。蒸気機関車が日本各地の至る所で蔓延っていた戦前・戦時中の頃の話です。
そして、鉄道も近代化が迫られる時代が到来します。この頃になると山陽本線における都市間輸送需要は逼迫し、一大主要幹線の山陽本線が単線なのはいかがなものか、複線化しないといけないのでは、との風潮が立ち始めます。そんな世間の声に応えるためにも、山陽本線を複線化しようと当時のぽっぽや達は立ち上がります。そして、当時のぽっぽや達によって周防高森経由のルートが複線化される…はずだったのですが、ここで問題が発生します。岩徳線の途中のとある鉄道トンネル(欽明路トンネル)をもう一本掘らないといけない、周防高森経由ルートに存在する数多くの急勾配やカーブに対応して複線化しないといけない、といった致命的な問題です。現在ならそんなことなど気にせずに建設を進めるかもしれませんが、複線化工事の立ち上がった当時は土木技術もそんなに優れていませんでした。結果、このことがネックとなり、当時のぽっぽや達によって山陽本線の周防高森経由のルートが複線化されることはありませんでした。その代わり、かつて山陽本線として扱われた柳井線が複線化され、山陽本線として返り咲くことになりました。奇跡の大逆転劇です。複線化されず取り残された周防高森経由のルートは、名前を新たに岩徳線として再スタートすることになったのです。
その後、かつて柳井線と呼ばれた柳井経由のルートは電化され、国鉄の山陽本線経由の特急列車がバンバン通るようになりました。一方で岩徳線と呼ばれるようになった周防高森経由のルートは現在に至るまで電化されることはなく、地方交通線として細々と人々を輸送し続けています。
一度は岩徳線にお株を奪われたものの、再度主要幹線として返り咲き、しかも複線電化までさせてもらえるなんて、柳井線の幸運っぷりが窺い知れますね。
岩徳線についての説明が少し長くなったので、この辺で岩徳線の誕生経緯の解説を終えますが、そのような経緯故に誕生した岩徳線は単線非電化のTHEローカル線を体現したような鉄道路線なので、ローカル線が大好きな僕としては今回の鉄旅の往路か復路で、岩徳線に乗車してみたかったのですが、いかんせん列車の本数がかなり少なく、今回乗車することは諦めました。
残念。
話を乗車中の山陽本線(かつての柳井線)に戻します。列車は岩国駅を出ると柳井駅までの間に、南岩国、藤生、由宇、神代、大畠、柳井港と岩徳線と比べ、遠回りをしながらも各駅に停車していきます。この間は周防大島を間近で眺められ、本来なら瀬戸内の絶景を拝むことができるはずなのですが、時刻も夕方に入り、日没も早かったため、あたりは全く見えません。それにしても、往路の際にこの区間を115系に乗って通過したのですが、乗車中の227系は115系と比べると揺れも少なく、乗り心地もとても良いです。また、走行音も115系の国鉄謹製モーターから奏でられるそれと比べると、とても静かで日常利用するなら227系の方に軍配が上がるような感じもします。
夜は車窓も見えず、少し退屈になってしまうので、そんなことを乗り比べて楽しんでいるうちに、列車は柳井駅に到着するようです。
列車は柳井駅に到着しました。
ここでは数分ほど運転停車を行うようです。
柳井駅は山口県柳井市の中心駅です。かつては寝台特急も停車していた主要駅でもあり、ここ柳井駅から数多くの旅人たちがブルートレインに揺られて、東へ一晩かけて向かったものだと思われます。
また、この柳井市周辺は古くから瀬戸内の交易の要所として栄えた地域であり、その頃から現存する柳井駅北側、古市金屋地区の白壁の街並みは重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。そのためか、駅のホームには古市金屋地区の紹介看板が立っています。いつかここも訪れてみたいものですね。
数分ほどの運転停車を経て列車は柳井駅を発車します。柳井駅で乗客が4分の1ほど下車したため、車内の空きが目立つようになります。
柳生駅から先は田布施、岩田、島田、光、下松と停車していき、櫛ヶ浜駅にて岩国駅で分岐した岩徳線と合流します。
列車は各駅停車とはいえ、軽快な走りで夜の山陽本線を駆け抜けていきます。往路の同区間で乗車した末期色の国鉄型電車の重厚な走りっぷりとはことなる爽快感を感じさせてくれます。
とはいえ、車窓は相変わらず真っ暗で何も外の景色から得られる情報はありません。
柳井駅から櫛ヶ浜駅の間でもぽつぽつと乗客が降りて行き、櫛ヶ浜駅に到着する頃には車両一両に対して乗客は指で数えられるほどです。
地域間輸送をきちんと体現している証拠ですね。
列車は徳山駅に到着します。
するとさっそく車窓には漁り火(いさりび)のような、もしくは篝火(かがりび)のような灯りがぽつぽつと現れ始めます。漁り火、篝火とは言ったものの、瀬戸内の漁船の灯りではありません。徳山名物のコンビナート群の灯りです。やっと車窓から情報が入ってきました。
徳山の工場コンビナート群は夜になるとそれはそれはとても幻想的な灯りを灯すようになり、地方都市の夜の静けさに対比するかのような輝きを放つため、昨今では徳山における観光産業の一つとなりつつあります。
列車は徳山駅を定刻通り発車します。
徳山駅から先、新南陽、福川、戸田、富海の各駅に停まって行きます。
この辺りは往路の際に紹介した通り、山陽本線が最も瀬戸内海に近づく地域であり、国鉄型電車の窓を開けて瀬戸内のしおかぜを楽しむことができます。できますが、今回乗車中の列車は窓が開かない最新式の227系です。今回は車内からおとなしく真っ暗な瀬戸内海を眺めることとします、残念。この辺りともなってくると建物はおろか、民家ですら存在せず、とうとう街の明かりもない地域になりました。こうともなると仕方ありません、自分自身との窓ガラス越しの睨めっこが始まります。自分の疲れ切った顔を窓越しに睨みつけ、そして少し口角が上がって。そんなことしていると対向列車が通過して行きますが行きなりすれ違うため、少しヒヤッとさせられます。
そんな一人遊びに興じていると、列車は防府駅に到着とのことです。三原駅以来の高架線を列車は駆け上がり、高架駅の防府駅に到着するようです。
それにしても在来線の高架ってなんだか好きなものです。新幹線なんぞは(東海道新幹線の豊橋駅などを除いて)基本的に高架線が当たり前なのですが、新幹線とは正反対で地上線が当たり前の在来線のなかでも、高架線となるとなんだかプレミア感が湧くものでして…。
そんな優越感に浸りつつ、列車は防府駅に到着しました。防府駅に着くや、駅のホームの方から何だか聞き慣れた駅メロディが聞こえてきます。この駅メロ、どこかで聞いたことあるような…、あ、あれだ!
こういう時だけすぐに閃きやすいのですが、防府駅で聞いた列車接近メロディがどう聞いても大分駅のものと同様のもののようです。恐らく、同じメーカーのものを使用しているために、大分駅と同じ駅メロを防府駅で聞けるのかもしれません。
そんな防府駅のある防府ですが、ここ防府は山口や小郡(山口県)におけるベッドタウンのような性質を持った街です。そのためか、駅前はビジネスホテルが数軒立つ以外はそれほど高い建物は無く、山陽本線の高架線上からかすかに見えた街並みとしては、田畑はあまり見受けられないものの見渡す限りの平屋建てやマンションばかりで、地方中堅都市の体裁を保っているように感じ取れます。
この辺まで来ると、恐らく山口県の中腹部あたりのはずですが、この先もまだまだ気は抜けません。大分駅でも聞いたことのある駅メロを聴きながら、防府駅をあとにします。
防府駅を出ると終点の新山口駅まではもう少しです。岩国駅の売店で買いだめしておいた飲食物で腹ごしらえをしながら、ここからも僕は新山口駅に向けて気長に乗車します。列車は新山口駅に向かうまでの間、大道、四辻に停車して行きます。所要時間は12分ほど、もう少しの乗車で新山口駅に到着です。とにかく、ここまで本当に長かった…。
思い起こせば、乗車中の227系よろしく、近畿圏にて乗車した225系も、北陸圏にて乗車した521系もすべてJR西日本お得意のむっつりスケベ顔の車両たちです。そんなむっつりスケベ顔の列車たちに、あっちに行っては乗って、こっちに行っては乗ってを繰り返していると、何故だかやはり最後には愛嬌がついてくるものです。そうか、この列車が新山口駅に着くと今回の鉄旅でお世話になったこのむっつりスケベ顔とも暫しのお別れになるのか…、別れはなんだか辛いものです。
乗車中のむっつりスケベ顔227系は防府駅で大半の乗客を下ろしたあと、途中駅で健気に乗客数名を拾いつつ、新山口駅に差し掛かろうとしています。旅の終焉はやはりいつでも寂しいですね。
新山口駅到着アナウンスが流れると共に、今までお世話になった座席を離れ、客用ドアの前にさりげなく立ちます。
バイバイ、JR西日本のむっつりスケベ顔。
次はどんな顔のやつに乗れるのか楽しみだ。
(ここでほんの少しネタばらしですが、この次に乗車した列車、とんでもない顔をしています、乞うご期待。)
終点、新山口です。
アナウンスが車内にこだまします。
長らくのご乗車、お疲れ様でした。
新山口駅に到着です。岩国から2時間ほどの少し長い旅でした。岩国駅から2時間なんて山陽新幹線を使えばとっくのとうに今回の鉄旅の最終目的地、博多駅についてますね、便利な時代だな。新幹線は博多駅に着いているかもしれませんが、僕はまだまだ新山口駅にいます。ラストスパート、ここから先も気を抜かずに列車に乗っていくこととしますが、今回の投稿はここまでです。
次回は、この列車に乗車中に食べた、中国地方らしいものを紹介します。名物なんてものではありませんが、ぜひ次回もご覧くださいませ。
ここまで見ていただき、ありがとうございます。
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