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しゃべり過ぎる作家たちのMBTI(4)ー2 すべてが「F」になる*?

もう一週間以上前の話であるが、TBSの日曜ドラマ「ブラックペアン2」が終了した。原作を知っている身としては、個々のエピソードのTV演出上のデフォルメはともかく、後半の展開が原作と大きくずれて、主人公の性格の毒気も抜かれていくのが残念だった(以下全編ネタバレ及び敬称略)。

主演の二宮和也については、以前東野圭吾原作の映画「プラチナデータ(2013年)」の主人公役を観て、「この人は案外マッドサイエンティスト的な役が似合う」と注目していたが、2018年の「ブラックペアン」のイカれた天才外科医の外道ぶりもなかなか、と思った。「ブラックペアン2」でも、やはり破天荒な天才外科医を演じているのだが、こちらは目立ちたがりで奇を衒う言い方が好きだが実は善人、というのが初回から透けて見える演出で、原作よりかえって人間的に浅く見える。「プラチナデータ」で傲慢な天才IT技術者であった主人公が、謎解きの過程で色々な人間と交流するうちに素直な好青年に変わってしまうのが面白くない、と感じたが、これも?と予測できた(で的中した)。

さて、TVの2シリーズの原作は、医師兼作家の海道尊の著作の中で、東海道沿いの架空の小都市桜宮に位置する東城大学病院を舞台にした膨大な作品群の中の3連作である。氏の「東城大」作品では、以下の3つの人間関係の絡み合いが主なテーマと思われる。
1        医療行為にかかわる同僚や上司との折り合い
2        院内政治のパワーバランスにおける立ち位置
3        東城大代表と他の病院や行政機関の代表との交渉におけるマウント合戦
「Bloody Angel」の項で、作者のMBTIは「ENTP」ではないかと推測したが、「P」型の特徴か、どの作品でも多彩な人物が作者の想像力の赴くままに登場し、饒舌に議論を繰り広げる(まさに「しゃべり過ぎ!」)。個々の場面ではそれがたいへん面白いが、そのためにかえって全体のプロットがどうだったのか、後になって思い出せない。また書かれた年代が後になるに従い、3の番号の比率が高くなり、私のような「非政治的人間」には読みにくいものになっていく。そのあたり、「ブラックペアン」連作はちょうどよいバランスを保っていると思う。特に前編は手術場面の臨場感が素晴らしく、何度でも読み返したくなる。長くなるが粗筋を紹介する。

前編(ブラックペアン1988-講談社文庫、2012年):
東城大学病院研修医世良は、レジェンド佐伯教授の率いる消化器外科教室で、2人の対照的な外科医に出会い、その薫陶を受けつつも振り回される。渡海は天才的な技量を持つが手術以外の仕事は一切しないため30代後半になってもヒラで、夜は製薬会社のリベートで遊び歩く不良医師。「オペ室の悪魔」と呼ばれている。相手の地位にかかわらず対人態度は傲岸不遜で、人格面の評価は低い。一方、帝華大(モデルは東大?)からアメリカに医師留学し、佐伯教授に(暗黙に後継者として)招聘された高階講師も手術の腕は一流だが、バランス感覚に優れ、後輩の指導にも熱心。生来の器用さより勉強や努力を買うほうで、医療従事者の負担を軽減する新技術も積極的に導入する。
渡海は振り回されつつも必死でついてくる世良にいつしか心を開くようになり、自分がグレた原因を明かす。17年前(渡海自身は医学生)、内科医で佐伯の友人であった父が、佐伯の医療ミス?を指摘した結果大学病院を追い出されたため、病院組織を信じられなくなった、と。父親は息子が外科志望であることを知って、佐伯に彼の将来を託すが、反抗的な気分をぬぐえないまま年月がいたずらに過ぎた。結末部分でミス?の実態が明らかになり、渡海はいずこともなく姿を消す。高階講師は大胆な病院組織改革に乗り出そうとする佐伯教授の懐刀として病院長選挙の下工作に奔走する。

後編(ブレイズメス1990-講談社文庫 2012年+スリジエハートセンター1991-同):
研修を終えて駆け出しの外科医となった世良は、佐伯病院長からモナコ在住の天才心臓外科医天城の招聘と来日後の世話係を命じられる。天城は世界で自分しかできない術式で多くの患者を救っているが、「財産の半分を差し出したうえギャンブルで勝った患者のみ受け入れる」ため、拝金主義の悪評も高い。
天城は自分を院長とする心臓専門病院を作るという佐伯の申し出は、自分を保守派の准教授の対抗馬として一時的に持ち上げ、権力の維持に利用しようとしているためだと見抜く。「大学」に頼っていては、病院建設が棚上げになると踏んだ天城はそこで「公開手術」という派手なパフォーマンスで実業家の寄付を集め、「新病院」を現実化しようと試みる。世良は「建築は世代を超えて人々が聴く歌で、自分はそれを体現する病院を作りたい」「病院の発足時は自分の手技を目当てに来る富裕者のみを対象に運営資金を稼ぐが、経営が安定したら自分は撤退して一般向けの病院にしてもよい」という天城の構想に共感、彼をロールモデルと仰ぐようになる。
一方で、個人の技に頼らず平均的な医療の質を上げることや、地方病院への医師派遣といった「最大多数の患者に最大のケア」のためには大学病院という組織での教育・管理が不可欠と考える高階は、かつて渡海と対立したときと同様の違和感を天城に感じ、天城を呼び込んだ佐伯との溝も深まっていく。
次期病院長選が近づき、佐伯は再任して抜本的な組織改革に乗り出す意図を明らかにする。彼は従来から研究室(教授)縦割りの人事体制により医療従事者の視野が教室のカラーに染まり、分野横断的な視点が持てないことや、医師が病院の収支均衡に対する関心が薄いことに不満を持っており、再選後は病院長への権力集中により組織を一気に効率化しようと考える。漸進派の高階は、過度の権力集中はかえって組織の内部崩壊を招くとの危惧から、今回は保守派の陣営に回り、佐伯を追い落とす。
高階が厚生省に手を回して新病院建設を阻止したうえ、佐伯の失脚で東城大に居場所がなくなった天城はモナコに帰るが、数か月後ヘリコプターの事故で亡くなってしまう。絶望した世良は医師としてのキャリアを絶つ(後の「極北クレイマー2008 -講談社文庫、2019年」で病院経営コンサルタントとして再登場)。

さて、原作に則って考えた主要人物のMBTIはこんな感じ?
渡海:自他ともに「職人」と評価。グレてはいるが技術の研鑽は怠らないISTP。
佐伯:独断専行のきらいはあるが生まれついての指導者ENTJ
高階:後には「タヌキ」と呼ばれる策略家であるが、「民主的」な指導者であり、適材適所を心得た管理者ESTJ。
天城:合理主義に徹しつつ、リスクを恐れずにパフォーマンスで顧客を呼び込む起業家ESTP
世良:純朴で世話好き。「患者のため」なら労力を惜しまないという医療従事者の初心を体現する擁護者ISFJ。

原作とドラマの最大の違いは、前編では登場人物の専攻が消化器でなく心臓になっていることと、渡海が「カネに汚い」が自身の生活は質素であること(最後に汚い手段で集めたカネは途上国の医療機関への寄付に費やされていたことが明かされる)。後編では、渡海と天城が幼少期に引き離された一卵性双生児ということになっていることである。佐伯はその「生き別れ」のキーを握る存在で、天城も日本に来た一因をその謎の解明としている(ドラマ制作側は前半の作成時から後半の展開を考えて医師たちの専攻を変えた?)。個人的には、その設定変更が原作の「日本の医療は、「まず先立つものを確保せねば」という天城と「何がどうあっても患者は平等に扱うべき」という高階のどちらの立場を取るべきか?」というメインテーマをずらして血縁を巡る因縁話にしてしまったのが残念。

原作では、天城が外科医局の主な構成員をチェスの駒に例えて攻略手段を考える場面が面白いのだが、TVでは天城の他の医師、特に佐伯に対する態度は感情的で、実の両親や弟と引き離して過酷な幼少時代を送らせた恨みに徹している。佐伯も病院建設を天城への罪滅ぼしと言う文脈で語るが、これはマズいでしょう。仮にも大きな組織の長で、数百人のスタッフを率いる人間が、(後々のメリットはあるにせよ)一個人への思い入れで病院の建設を考える、などとは身びいきが過ぎる。特に東城大は(おそらく)国立の組織であって、病院長とはいえそこまでの独裁が許されるはずもない。追い落とされるのは必然。

天城にしても、TVでは「手術は技術ではなく芸術」「この術式は僕にしかできない」というセリフを吐くが、これは「科学としての医学」を軽視しすぎていないか?数年前の「STAP細胞**」事件ではないが、科学のセントラルドグマは「再現性」「Simplicity」である。天城の術式は一回限りのものではないし、それまでも理論的には可能だが現実にできた人間がいない、と言われていたもので「再現性」を全く欠いているわけではない。が、基本的な手順をより簡略化して他人でも可能な方法にできないか、といった視点がないのは気にかかる。まあTVでも天城が「AI+手術ロボットに手順を覚えさせて「誰にでもできる」手術にしてしまえ、というライバル維新大学の「陰謀」に反対していないのは救い(当事者間の権力関係はともかく、「医学」の進歩という観点からは維新大の方向が正しい、と私には思える)。反対しなかったのは、どうせ機械のやることには限界がある、とタカをくくっているのか、人間の心には様々な「邪念」があって虚心に対象と向き合えないからいっそAIに教えた方が効率がいい、という思い切りなのか?

いったいにTVの医療ドラマは、「ヒューマニティ」重視であり、患者の人間性を最重要視する医師でなければメインキャラに立てないという暗黙の了解のもとに成り立っているように思う。それ自体は全く異論の余地のないことながら、だからといって「T/F」分類でいえば元来「T」である人物を大幅に「F」寄りにしてしまうのは面白くない。

「ブラックペアン2」の最終話では、天城の死後(TVでは病死になっている)、世良は「君がこれを読むのは僕の死後だが、渡海と僕と言う二人の悪魔に愛された君はきっと良い医者になると期待している」という天城の手紙を読んで再び東城大での修行に励む、という展開になっているが、どうもこれは甘った過ぎる。元来の天城の性格からすれば、いずれ世良に技術の伝授を、とは考えるだろうが、「(患者に同情的という意味の)良医」になれとは言わないように思う。

さて。TVドラマの放映はすでに終わっているのだから、原作とTVドラマの乖離への違和感をいつまで言い続けても、である。最後に、もし自分が原作のイメージに合わせて「ブラックペアン」のキャスティングを行うとすれば、でこの項を終えたいと思う。

佐伯教授:内野聖陽**はよろしい。が、原作では渡海に「ジイサン」と陰で呼ばれているので、もう少し老けづくりにしたほうが(約40歳の人間の父親なら少なくとも60代後半)?
渡海:これは二宮和也のまま
高階講師:小泉孝太郎は「穏やかに見えて実は策士。だが患者にはあくまで忠実」という雰囲気をよく出している。が、原作ではもう少し押しが強く、時には二重スパイにもなるアクの強さがあった。「小柄だが筋肉質で精悍な印象」という原作のイメージに合うのは岡田准一?
天城:原作では外見が「長身ですらりとした上品な紳士」で若い看護師に大人気となっている。年齢は明記されていないが、TVの設定(渡海と双生児ということで30代後半)よりもう少し上、40は超えているように思う。二昔くらい前の草刈正雄が似合いそうだが、さすがに歳が行き過ぎている。中川大志は若すぎる。オールマイティな芸達者で、海道尊原作映画「ジェネラル・ルージュの凱旋」で「渡海の後継」と評される傍若無人の腕利き外科医速水を演じた堺正人あたりにしておくか。
世良:これは竹内涼真のまま。2018年の「ブラックペアン」でも今回の続編でも、この役が原作のイメージに最も合っていると感じた。


*無論「理系ミステリ作家」として知られる森博嗣のデビュー作のパロディです。この「F」は作品とは全く関連がなく、「T/F」対立項の「F」。
**2014年、「iPS細胞」研究のノーベル賞受賞直後、通常細胞にある種の刺激を加えるとiPS細胞のように任意の器官に変化する能力を獲得するという論文が発表され、大きな話題を呼んだが、追試験を繰り返しても論文通りの結果が出なかったため、現在では誤りと判断されている。
***「ブラックペアン2」で段田安則がライバル維新大の教授を演じていた。彼と内野が1996年のNHK朝ドラ「ふたりっ子」でヒロインの父親と夫であったことを覚えていると何だか可笑しい(トシばれますね…)

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