しゃべり過ぎる作家たちのMBTI(5)―NFの素は女子校?-
人に聞かせられるわけではないけれど、気まぐれに日々歌う歌曲に日本語のレパートリーが薄いのも寂しい、と発起して、このところ山田耕作の「からたちの花」を勝手に練習している。覚えやすいように見えた、というのが動機だが、これはあまりに安易であった。実はめちゃめちゃ難しい!詩の連(2行)を区切りにして6番まであるが、どれも音域は1オクターヴ半。メロディラインは似ているように見えて微妙なヴァリエーションが豊富に仕掛けてあり、しかも(素人には)高度なテクニック満載。1、2番は1オクターヴ飛び上がり、1、2、4、6番には最高音のロングトーン、3、5番は休みなしの高音の早い展開、といった具合である。自分のような音痴あがりは、1フレーズを数日かけて覚え、それぞれの部分を歌えるようにはなっても、伴奏付きで全体を通しで、しかも情感豊かに歌えるのはプロじゃないと無理?と思ってしまう。
そういえば、と思い出した。昨今では「同性愛作家」として知られる吉屋信子が、昭和初期に「からたちの花」という作品を書いていたな、と。彼女は戦前の「モボ・モガ」がまだ許されていた時代に、女学生間の友情とも疑似恋愛ともつかない微妙な心理を描いた作品で一世を風靡したのであった。私が小学生のとき復刻版(ポプラ社文庫、 1977年)が出ていて、幾つか読んだが、文体は感傷過多で甘ったるく、ヒロインの性格は執筆当時としては個性的なのだが、結論はありきたりなハッピーエンドなのが物足りなかった。
最高傑作とされる「紅雀」では(ネタバレあり)、両親を亡くした美しい娘まゆみが偶然から華族の家に引き取られ、音楽や乗馬の才を発揮して、その家の子女の賞賛を浴びる。が、「若様」狙いの富家の一族やその息のかかった使用人の意地悪に耐えかねて家を飛び出し、田舎の乗合馬車の御者として自活する。最後は没落したとはいえ名家の娘であったことが明らかになり若様と婚約する。
女学生間の感情のやり取りを描いた作品には、初期の短編集「花物語」や「わすれなぐさ」といった花の名前が題になっている作品がある。「わすれなぐさ」は、クラスの女王的存在のわがまま娘陽子が、宝塚の男役的魅力を持った「おひとり様」志向の同級生牧子を「落として」、遊び相手として連れまわす。が、牧子は母の死と弟の家出を機に真面目に家族に尽くす生き方を選ぶ。その際に手本となるのは、軍人(原作では。復刻版では「実業家」となっていた)の未亡人の娘で、弟妹の将来のために自分が稼ぎ手となることを覚悟して勉学に励む優等生の一枝。彼女の一家が偶然弟を見つけ保護したことから、牧子は「姉=保護者」の義務を自覚する。
「からたちの花」も女学生の友情系列のほうの作品と言えそうだが、主人公麻子が容貌も性格も平凡で、そのコンプレックスをいかに克服するかが主題というところが斬新である。母親に「顔の良くない子はどうもねえ」と美貌の姉妹と比較されて育ち、顔も性格も可愛らしい級友へのコンプレックスに悩まされる、という状況は、現在の中学生にも共感を呼ぶものと思われる。麻子は愛情に飢えているところから、周囲の自分に対する態度に過剰なほどに敏感で、時に奇矯な振舞で気を引こうとする。彼女の数少ない理解者で、音楽の師である級友の母親は、それは彼女が芸術家として才能を秘めているからではないかと感じている。「からたちの花」という題名は彼女が級友と出演した音楽の発表会で独唱した演目からつけられたということだが、(現在で言えば)中学生でこれが歌えるって、実は相当才能があるのでは?と思わせる。
残念ながら(と個人的には思う)、「からたちの花」ではその後音楽に関するテーマがフェイドアウトしてしまう。麻子は病気になった際に母親の世話を受け、彼女は他人の気持ちを考えずに言いたいことを言うが、娘を愛していない訳ではないと気づく。また雷雨の際の適切な避難行動で級友の賞賛を受け自信をつけるといったエピソードがあって、自分はありのままの自分でいてよいのだ、と「個」を自覚するのが結論。が、それは同時に彼女の「芸術家気質」の減衰を意味するように見える。将来は当時のお嬢さんの常道、女学校を出たら花嫁修業で、20歳前後でお見合結婚するのだろうな、と予測される。
さて、吉屋信子に限らず、日本の古典的な「少女小説」の主人公の性格には、MBTIでいうと異様に「NF」が多いように感じる。吉屋信子での作品の主人公でいえば、「からたちの花」は、本来の意味で繊細で心情を音や色彩に仮託することに慰めを見出す「INFP」。「紅雀」は、物静かに見えるが実は意志的で、無意識のうちに周囲の関心を惹きつける「INFJ」。お嬢様に誘惑される前は「個人主義者」として女学生の群れには入らず、しかし家では病弱な母や弟に強い愛着を示す牧子もこのタイプかな?派手なお嬢様陽子は享楽的で気ままであると同時に、案外面倒見がよく人に好かれる「ENFP」と言えそうである。
現代にもままある女性への「Fの呪縛」については、米英でも19世紀後半から20世紀前半には強く、「少女小説」の主人公はほぼ「F」。ただ、「広い広い世界」とか「スー姉さん」など、母親を亡くした十代の娘が、苦難を修行と受け止めて家事に励み、時には夢をあきらめざるを得なくなる「家庭の天使」養成物語には、働き者でかつ周囲への気配りを忘れない「SF」(にならざるを得ない)タイプも多い。日本の「女学生小説」では、環境に合わせて自分を変えていくことを恐れない「S」より、やや夢見がちで周囲に構わず自分の心の中の大切なものを守り抜く「N」が多く描かれているように思う。
日本の(第二次世界大戦前の)少女小説の主人公が多く「NF」であるもう一つの理由は、「少女」のモデルがバーネット作「小公女(little princess)」のセーラであったこともありそう(吉屋信子の「花物語」には、「聖羅」と名乗る欧州系の少女も登場する)。幼くして母を亡くしたうえ、11歳で父の死とそれに伴う財産の喪失により寄宿学校の看板生徒から使い走りに身を落としたセーラは、「自分は小公女」という空想の世界での矜持を支えに生き抜き、最後は父の友人に引き取られて栄華を再び手にする。セーラは読書と空想を好みつつも、周囲への思いやりを忘れず、かつ頑固なまでに自分の信念に忠実という「INFJ」の典型であるが、これは「女学生」の憧れを呼びやすいキャラだったのであろう。
ちなみに、私が学生時代にバイト先でお世話になった同学の先輩は、好みの女性のタイプを訊かれて、「一見おとなしく従順そうに見えるが、内面に情熱を秘めており、思い込んだら命がけ」と答えた。当時は聴いたとたん、「ド演歌!」と吹き出したくなるのを必死でこらえたが、今思えば、これも「INFJ」に当てはまる。やはりこのタイプの女性は同性にも異性にも憧れの対象になる運命を背負っているらしい。
これはかなりいい加減な仮説なのだが、もしかして20世紀前半までの少女には、「F」と同時に「S」の呪縛もあった(いうまでもありませんが、「S」は「SM」の「S」ではなく、「S(感覚、外部受容型)」と「N(直観、内観重視型)」の対立項の一つ)?米英でいうと、文学作品を好み、風景や周囲の人々を詩や戯曲になぞらえて捉えるモンゴメリの「赤毛のアン」なども「NF」らしいが、周囲からはしばしば突飛な発想をとがめられ、「空気が読めない」と評される。「小公女」との共通点は読書が発想の原点にあることで、「N」の発達には(学校生活を含めた)「教養」が必要だとか?とすれば、明治-昭和十年代の日本では特権階級であった「女学生」に「N」志向が強いのも、親や教師の「手のひらの上」ではあっても、自分の感情を開放し、思いを言葉にするのが許されるのは「女学校」の中だけだったという生活環境によるものか*?
一方で、昭和初期の少女に「T」は軽視されていたのか?と思うと何だか残念。当時としても、マリー・キュリーとか、津田梅子とか、突出したT型女性はいたのだから(昭和の時代には「白衣の天使」的側面のみが強調されていたが、統計を駆使して病院の衛生環境の改善を訴えたナイチンゲールも、「T」型と思われる)。彼女らはあくまで西欧でのみ認められる「例外」、と考えられていたのか?彼女らの生き方が「伝記」にはなっても、「物語」に乗らなかったのは、普通の女の子の夢想の対象になるには時代の制約が大きすぎたから?
「F」と「T」は物事の捉え方の差であって、学校の科目でどれが得意か、という違いではないから、リケジョの「F」も音楽家の「T」もいるのだけれど、伝統的な「女らしさ」からいえば、やはり「T」は「可愛げがない」。
「T」の価値観は、対象が自分にとって「interesting」であるかどうかだから、例えば音楽の演奏をするとき、「この超絶技巧をものにしたい」とか、「この曲はこういう解釈でこう表現したら面白いかも」と考える。もちろん他人に聞かせる以上ウケは大事だが、うまく拍手で迎えられれば、「自分の努力や工夫が認められて嬉しい」と思う。
一方で「F」は「聴衆」の心を中心に考える。NHKの「のど自慢」によくある「これは大好きなおばあちゃんとよく歌った曲です。おばあちゃんは入院してるけど、自分がここで頑張れば、喜んでリハビリを頑張る気になるかも」という発想ですね。拍手は、自分が真心を込めて人々に感動を提供した返礼と考える。
さて、昭和初期のまゆみや麻子は、芸術的才能を持ちながらそれを公に発揮できず結婚を選んだ(であろう)が、彼女たちが戦火を潜り抜けて母親となった昭和30-40年には、「芸術家少女」がジュニア小説やマンガの主要テーマの一つになる。「芸術」のジャンルはピアノとクラシックバレエが多かったように思う。基本プロットには一定のパターンがある。主人公は芸道に関しては「天才」で難題を易々とこなすが、多くは片親で貧しい。母は少女に「天才」を伝えたものの若くして亡くなり、父親も事業で失敗したとか、母子家庭で母は娘の夢を必死に支えようとするがレッスン代もままならないとか(が、「もとはいい家の出」というところが重要で、落ちぶれたと言えども主人公は躾がよく振舞は上品である)。お約束で主人公の前に立ちはだかるのが、ステージママの操り人形になっている驕慢なお嬢様。主人公は本番の舞台に立つ前に様々な妨害に会うが、結局は師の配慮で才能が世に認められ、「お嬢様」も自分の実力不足を知る。主人公の性格は、謙虚で、しかし演じる題目のテーマは本能的につかんでいて、演じる動機は、「自分の芸が人々に生きる力を与えられれば」なので、性格タイプは「INF-」と思える。このあたり、かつての「女学生」がクローン娘で前半生のリベンジを図っているようにも見える。ある意味、「一卵性母子**」的な気味悪さを感じないでもない…
*作者が執筆時に予期しなかったことではあろうが、昭和初期の「女学生」がおそらくは嫁して後、日本が第二次世界大戦に参戦して長い苦難の時を過ごさねばならなかったことを考えると、この「つかの間の自由」は一層貴重なものであっただろうと思われる。これと似た感慨を、バーネットの最晩年の作「秘密の花園(1904年)」を数十年ぶりに読み返した後にも感じた。この作品では、裕福ではありながら両親の愛を受けられずに育ち、周囲からは醜く偏屈と見なされていた少女メアリが、突然疫病で両親を亡くし、英国中部の大地主である叔父に引き取られる。ここでも大人はそれぞれの仕事に忙しくメアリを構う暇はないが、彼女は2人の少年(使用人の弟ディッコンと従弟のコリン)と園芸を通して友情を結び、健康と美を手に入れる。が、物語の終わりにおそらく12、3歳であった彼女の幸福な日々は長くは続かなかったことは予測できる。1、2年後にコリンは当時の良家の子弟の常として寄宿学校に入り、ディッコンはワーキングクラスの若者として働かねばならなくなったであろう。さらに彼らが20代に入ってまもなく第一次世界大戦が勃発、2人が出征するのは必至である。そのころメアリは、1人取り残されて叔父の土地を守る身になっているであろうが、不安な日々の中で、「秘密の花園」で過ごしたつかの間の黄金時代が生きるよすがとなっていたであろうとは想像できる。
**平成初期の流行語でもはや死語?価値観を同じくする母娘の極端な密着のやや揶揄的な言い方。
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