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生還記

なんて大げさすぎますが…                  

10日余りの入院生活を経て戻ってきた。外科手術の一回や二回で、既に中年もいいところの人間が変わるわけではないが、なかなかinterestingな経験ではあった。

既に幾つかの記事で言及したが、手術の内容は「ステージⅠの胃がんの切除」で、大きさと位置から内視鏡での対応が間に合わず、胃の下部2/3を切り取る羽目になった。「外科」への入院は初めてであったが、驚いたのは患者の高齢化である。世間的には十分に年寄りの部類である私が「若い」と言われる。入院期間内に同室者の数は入れ替わりを含め10人近くなったが、自分より年下だったのは1人だけであった。

小説ではよく20代のがん患者と駆け出しの外科医の淡い恋とか、難病に苦しむ子供の両親への小児科医の同情が描かれたりするが、そういうプライベートな事情に踏み込む場面は全く見なかった。9時消灯(早すぎるでしょ)で眠れない夜、スマホからTVerで「白い巨塔」*シリーズの再放送(病院で見る番組か?)を見たが、副主人公の内科医里見のヒューマニスト振りは原作の時代(1960年代)はいざ知らず、現代ではあまりにベタついている、と感じられた。診断の正確さと最適な治療のためには保身を顧みないという態度には共感を禁じ得ないものの、あまりに「病者への共感」を強調されると、患者としてはかえって重苦しい。

入院期間中に感じたのは、医療はあくまでもチームワークであり、手術はアフターケアも含めてその最たるものではないか、ということである。私の親世代だと、まだ「●●先生に」という感覚が強いが、少なくとも公立病院では、「誰の執刀」ということは重要視しないように感じられる。**同室の患者には、担当医が若くて不安、と言う方もいたのだが、回診時に「ここにいる外科医が全員手術室に入るのだから、「誰が」は関係ない」という返答を受け取っていた。拍手!私も老母に執刀医の名前をしつこく聞かれたが、この返答をそっくり返した。

にしても、外科というところは、勤勉でタフでなければ務まらない医療従事者の中でも、際立って働き者の多いところである。全体の回診は午前と午後に1回ずつあるが、その前に各担当医が受け持ち患者の様子を見て回る。当人が手術日で回診に出られないときは、それが朝の7時台だったりする。個々の患者への思い入れは感じないが、まず自分で様子を見て、チームで情報共有するという連携体制がおのずと出来上がっているところが見事である。

いったいこの先生方はどこに住んでいつ寝ているのだろうか、と理学療法師のお兄さんに聞いてみたら、「僕にも分かりません。夜救急を手伝いに行って帰る暇がなくてそのまま働き続けてる、っていうのもよくありますからね。」ということであった(院内で医師と患者はプライベートな話はしないし、看護師も日ごとに各室の担当が変わるから、雑談するとしたらマッサージや機能訓練中に理学療法師とである。近年理学療法師に若々しく爽やかな印象の男性が増えたように思うのだが、これは息子や孫に甘えたい年配女性ウケが良いからだろうか?)。

さて、この原稿を書いているからには元気で戻ってきたわけだが、手術を受けての感想をいえば、

とにかく痛かった!


術中は意識がないからよいが、よくあるケースにしては時間が長く、朝の9時から夕方5時近くまでかかったということである。時間の長さと後に残る痛みが相関する訳でもないだろうが、同じ全身麻酔後でも、以前の副鼻腔炎とはケタが違った。

副鼻腔炎の時は、一晩回復患者用の個室には入ったものの、麻酔が覚めたあとの不眠と導尿管の不快さを一晩我慢すれば、翌朝にはほぼ元どおり、であった。そこでたかをくくっていたのが間違い。今回は点滴での痛み止めのほか、3日間は背中に刺した針に緊急の痛み止めのボトルを括りつけていた。尿道には導尿管、傷口には漿液排出ドレーンと、不自由なことこの上もない。病気で苦しんでいることのたとえに「呻吟する(死語?)」というのがあるがそのとおりである。

術日の夜は何度もナースコールで痛み止めの追加をしてもらい、ようやく少し楽になったと思ったら、翌朝は床ずれの解説(腹筋に穴が開いてて寝返り打てないって)にベッドサイドでのレントゲンになんとリハビリ開始。寝たきりだと筋肉が衰えるから、との歩行訓練だが、導尿管、排尿の袋にドレーン下げて点滴のポール抱えて歩くのって、みっともないのはまだしも足に何かが絡まりそうで怖いですよ。
見回りに来た医師に「痛い」と訴えたら、「開腹なら3倍痛い」。いったいいつになったら起き上がって日常生活ができるのか?については、「段々よくなる」と。その「段々」の期間は?と問いたかったが気力が尽きた。

術後2日め:導尿管で排尿しているのに継続的な尿意。点滴で水分補給しているのに口の渇き。痛みの合間に夢の続きの夢、を断続的に見たが、時が経っても色や人の顔をはっきり覚えているのが不思議である。こういう状況では悪夢を見そうだが、それはなかった。ただ、やたら食べ物が出てくるのは、隠れた食い意地を指摘されたようで恥ずかしい。また登場人物が全員紺の半袖のポロシャツを着ていたが、これは病院の医師が白衣の下に着る制服である(人によっては白衣なしでこのまま歩いている)。
1 病院から帰宅する。夢の中の家は現実の自宅ではなく、保育園や学童保育のようにリノリウムの床に幾つか白いプラスティックのテーブルや椅子が散らばって置いてある広いワンルーム。その1つのテーブルにボイルドポテトらしきものが入った小皿が置いてある。何の気なしに食べてみると、ポテト味はするのだが、触感は固く石鹸のよう。まな板のうえの千切りキャベツと混ぜて調味料をかけようとすると、部屋の隅に老母らしき女性(姿は見えない)の気配がする。もう食事はした?という問いかけに返答はなかったが、よく見ると冷蔵庫の中や他のテーブルのあちこちに様々な料理が置いてある。適当に盛り付けて彼女に近いテーブルに置く。
と息子たちが帰ってくる。長男(現実にはもう就職して勤務先の寮にいる)も次男(大学生でこれも寮生活)もまだ小学生らしい。この2人にも食事を、とあちこちの皿の料理を大皿にまとめる。干物にナポリタンスパゲティとか、ジャーマンポテトが丸ごとでしかも芋1つの大きさが皿の半分以上あるとか、珍妙な料理の珍妙な取り合わせではあるが何とか形にして彼らの前に置き、ご飯を盛り付けていると、長男が何かしら抗議している。自分の手元を見ると、次男のご飯を汁椀に入れている。そのまま飯茶碗に移すとあふれそうになるが、適当に2人で分けよ、と命じる。
(暗転)
2 翌朝、らしい。今日はシンドイから学童保育を頼もう、と子供たちの連絡ノートにその旨を記して送り出す。何時間経ったのか、小学校方面から足音がするので外に出てみる。曇り空で木枯らしが強く足元は落ち葉に埋もれそう。落ち葉を蹴散らしながら中学生が歩道で走り込みをしている。その中に長男を見つけて、彼はもう中学生?とすると次男も高学年で学童保育は卒業したのだった、と気づく。と目の前に次男が立っている。
(暗転)
3 20数年前に訪れたフランスのどこかの街角、らしい。屋台の列に並んでいる。その当時、バゲットにフライドポテトとロングソーセージを挟んだものが流行していて、夕食によく食べていた。看板にあるのもそれ。安価なのはよいが、パンは日本のスーパーで買うのと同じで大きいばかりで味気がないな、色々ソースが選べるが、かけてしまうとポテトが湿ってまずいからソースは断ろう、などと考えていたら目が覚めた。

術後3日目:ようやく活字を読む気力がわいた。背中を少し起こして、ベッド脇の戸棚から文庫本を取り出し(痛い!)、パラパラめくってみると、点滴に混ぜる痛み止めの電動装置のアラームが鳴る。看護師がやってきて調整するが、この装置は腕が既定の高さより上がって注入量が変化するとアラームが鳴るから注意、と。運悪くチューブは右ひじについている。利き手を抑えるなよ(左利き直さなきゃよかった)。結局この装置はそれから数10回鳴り、そのたび看護師が駆けつける羽目になった。仏の顔も3度、どころか23度というところである。
このとき読んだのは、「そもそも島に進化あり(川上 和人著 新潮文庫)」。ヒマはヒマだから1日で読了したが、寝ていて左手で1ページめくり、読み終わると疲れてしばらく休憩、ののちまた1ページ、という具合であったからずいぶん疲れた。中身は非常にわかりやすいし、例も豊富だが、いわゆる「地学」が好きでないと楽しめないところもあるかな、とは感じた。

術後4日目。水はもう好きに飲んでよいが、食事をいつ始めるかを測るから、と朝の6時半に担当医とレントゲン室まで(つくづくマメな先生方である。が廊下を歩くときはこちらのペースに合わせてくれ!)。まだ通過の具合がよくないようだから、と切り口の具合を確かめるために午後に内視鏡検査をすることになる。あれこれぶら下げて点滴付きの身、それで切ったばかりの胃にカメラ突っ込まれる?鬼!と言いたくなった。実際この検査は非常に辛かったが、それなりにご褒美はあるもので、縫合の状態は予想に反して非常によいということである。翌日から流動食(目の玉が映りそうな薄―いみそ汁**に牛乳。点滴と併用であったから空腹は感じなかった)。病室に入ってスマホを開いてみると、やはり仕事の連絡が色々来ている。個人あてではないがここはコメントしておいたほうが、と18時すぎまでやりとりが続く。ひじを動かさずにスマホのキーボード(しかも仕事用のアプリだけなぜかカナ入力)叩くのはラクじゃない。病棟内で4Gが通じるのはよいが、料金は一気に跳ね上がるだろう、と冷や汗流しつつ。

術後5日目。導尿管とドレーンと点滴が一気に抜ける。痛みはやはり少しづつ和らぎ、急に姿勢を変えなければほぼ平気、歩くのも階段の上り下りも差し支えない。よしそれでは、と病棟の端のWi-Fiスポットまで行ってPCを開く。仕事の進行状況を概観すると、やはり…。同僚は気遣って「休め」と言ってくれるけれど、休暇が終わった後の負荷を考えると、ここでやれることはやっておかないと、と日に数回はPC持って廊下をうろつくことになる。オンラインなら何でもできるがオフラインでは何もできないのが我々の業界だが、ネットにつながりゃこっちのものさ!
が好事魔多し(また死語?)。この晩は正真正銘の「悪夢」を見た。田園地帯の家の離れ(4畳半くらい?)にいると、畳の隅やタンスの陰からわらわらとカマキリが湧いてくる。その数はだんだん増え、こちらの体によじ登ろうとする。縁側から風景は見えるが、なぜか外に出られない。タンスにつかまって必死で体を振り回すが、虫の数は増えるばかり…
目覚めても(今でも)思い出すだけで気味が悪い。がこういうときにはまた変な空想をしてしまうもので、「カマキリがゴキブリや蛆虫だったら」とか「実写風とアニメ風とどちらが怖いか」とか、日に数回はそんなことがアタマに浮かんで慄いている。

術後6日目:柔らかいものと5分粥の病人食が始まる。にあたって担当医の注意。「①水と、せいぜいジュース飲んでりゃ死なないですよ。1割くらい体重が減ってもどうってことありません。②食べないように。とにかく吐かれるのが困るんですよ。③点滴でまた胃休ませなきゃならないから」
「外科医」が世間から誤解されがちな原因はここだな、と思った。↑だけ聞くと、彼は患者が食事をすることに否定的な見解を持っているように見える。同じ日に栄養士の食事指導を受けるように指示したり、その後見回りのたびに「ご飯食べられてる?」と聞くのと矛盾しているのでは?

おそらくこの担当医は手術室内といった「文脈が分かっている同士の簡潔で臨機応変なやりとり」が会話のデフォルトになっているのであろう。で患者としては栄養士や看護師の方々からの示唆で文脈を補い、①~③の部分に以下を付け加えて「解釈」を施すことになる。
①     食欲がないといっても1か月くらいは
②     気分が悪くて食べるのがつらいときは無理して
③     入院期間を延ばして、あるいは再入院して
このあたり、文脈を選びすぎてかえって何を言っているのかわからなくなる内科の先生とは対照的だな、とまた「白い巨塔」を思い出す。「治る見込みがあるならがんはがんと言って手術を覚悟させるべき」といって席を立ってしまう主人公の天才外科医財前と「あからさまに事実を突きつけて動揺を与えてはいけない」と信頼関係を頼りに患者をやんわりとリードしようとする里見と。

ただ、物言いがはっきりしている外科の先生方も、財前や「ドクターX」の大門のように「絶対」「失敗しない」は言わない。「失敗の可能性は少ない」例は示されるが「統計上●%」、「自分の経験では」と必ず根拠を挙げる。ここは科学に携わる人々には第1要件なので、財前や大門はやはりフィクションの人物なのだな、と納得。

といった具合で、おかげさまで回復は順調、12泊13日の入院生活が終了した。食事制限は当分続くが、困ったことに、「がん告知」以来の「麻婆豆腐」欲が止まらない(妊婦かよ?)。材料は消化器疾患向きなのだから、自作で調整、を考えているが、油を使わずに煮込む、のは良いとして、トウガラシや山椒はやはり抜くべきでしょうね。でもそれでこの欲が満たされるかどうか・・・?

*山崎豊子原作(1963~1968年まで雑誌連載。現在も新潮文庫で入手可能)。大学病院での医師間の権力争いがテーマ。天才消化器外科医で権力欲が強く性急な主人公財前と、慎重で研究熱心、患者への思い入れが強い内科医里見が対照的に描かれている。ドラマ化は何回もされているが、現在Tver等で配信されているのは、2003~2004年のフジテレビ制作のもの。
**機械は見せてもらえなかったが、自分も含めて腹腔鏡手術はロボットを使うのがもう一般化しているようである。自動で動くわけではなく、担当医がモニターを見ながらロボットアームを操作するということだが、もう個人の手技で手術という場を動かせる時代は過ぎかけている、と感じた。
***落語「味噌蔵」にありますね。旦那がドケチな店の奉公人が、「今日の味噌汁には具が入っている!」と引き上げようとしたら、それは汁の表面に映った自分の目玉だった、というのが。


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