【DAY225】心から楽しめなかった理由
こんばんは、あんです。
先日、ゆにわ仲間から
本を何冊かお借りしました。
その中から1冊、
なんとなく手にとったのが
「求めない」
加島祥造さんの
詩のような、エッセイのような。
文字が大きくて
難しい言葉は一切使われてなくて
めちゃ読みやすい
けど
書かれていることは
底なしに深い。
ありとあらゆる悩みは
これで解決できるんじゃないか
っていうぐらい
抽象度が高い、本質的。
その本の中には
わたしが以前、
ずっと違和感を感じていた
めっちゃしょうもない、ある疑問の答えも
書かれていました。
どんな違和感かというと
(本当にしょうもないんですが・・)
”スキューバダイビングが、
みんなみたいに楽しめない・・”
わたしは昔10年以上ずっと
スキューバダイビングをやってました。
真冬でも
月に1回は潜ってたぐらい
けっこう本気で、真面目に潜ってました。
「キレイだったね、最高だね!」
とはしゃぎながらも
心の奥の方では
わたし一人、楽しめてない・・
海はきれいだし
潜り始めた時は毎回、あんなに感動してたのに
なんで今は素直に楽しめないのか。。
自分はどっかおかしいんじゃないか
性格がひねくれてるんじゃないか
感性が死んでるんじゃないか
もしやダイビング向いてないんじゃないか
などと不安がよぎったりも。
前置きが長くなりましたが、
この「ダイビングが楽しめないのはなんで?」の答えが
「求めない」
に書かれていたんです。
👇引用します
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面白いことに
酸素ボンベをつけて潜る連中は
見つけることばかり求めて
求めない静けさや美は感じないんだ。
どんなに深い海に潜ったって
「求める意識」でいるのなら
見えないんだ。
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もう、そのまんま、これが答えだ・・
加島さんが
魂の声を代弁してくれてました。
なんでつまんないと感じてたか
それは、
わたしが
「求めてた」から。
珍しい魚や
映える魚を
必死で探して
見つかったら
すごい!
いい写真が撮れたら
もっとすごい!
っていうヒエラルキーの中で
海に潜ったところで
本当の美しさ
自然の崇高さ
を感じられるわけがなかった。
なぜ海に潜っっていたのか
命の源、
自分の原点に
一瞬でも、帰りたかった
自分のルーツである海を
ただただ感じたかった
っていうのは
あったんじゃないかなと思ってます。
でも
そんな魂の声を無視して
わたしは
”求めて”しまっていた
だから
心の奥で
つまんない
って感じていたのか・・
もう、納得でしかないです。
本当にその通り。
もう何も言えません・・
もし、
「求める」ダイビングをやめて
「感じる」ダイビングができていたら
きっと
200本潜ってきた海は
ぜんぜん違う景色を
見せてくれていたんだろうな・・
って
後悔しても仕方ない
求めたおかげで、今、
この気づきをいただけたのだから
”求める”ことに違和感を感じられて
よかった。
本の話に戻ります。
加島さんはさらに
衝撃の一言を
書いてくれてました。
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ここに現代人の
トラブルのもとがあるのかもしれないな
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「求める」心に
わたしたちのトラブル、悩みのタネが
潜んでいる
って、
本当その通り。
求めるから
いろんなことが
おかしくなっちゃう
今日は長くなったのでここで終わりにしますが
もうちょっと深掘りしたいなと思ってるので
また近々、求めないについて書こうと思います。
これを読んでくださったあなた、もしよかったら
自分は求めているかな
何を求めているかな
って、考えてみてください。
ではまた!