韓国・戒厳令と「光の革命」  金光男さん(在日韓国研究所)緊急報告


 国会に突入する戒厳軍、それを阻止しようと駆けつける市民や国会関係者。
 自分ならどうする?いや、その瞬間、ここに駆けつけることのできる自分でありたい。少なくない日本人が、若者たちが、事態をこのように受け止め始めている。
 12月23日、金光男さん(キム・カンナム)が、迫真の緊急報告を行った(京都市内)。金光男さんは、在日韓国研究所代表として、朝鮮半島情勢や韓国の政治経済動向を、民衆の側から内在的に分析し展望を示している。  
                     (編集構成:奥村 岳志)

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●目次
【Ⅰ】12月3日午後10時23分
【Ⅱ】動揺する戒厳軍兵士たち
【Ⅲ】1年前から企まれていた
【Ⅳ】なぜ12月3日? ーー「愛妻クーデター」
【Ⅴ】12・7~12・14~ 「光の革命」
【Ⅵ】憲法改正から第7共和国へ

【Ⅰ】12月3日午後10時23分

▼親衛クーデター

 12月3日、韓国で突然、戒厳令が布告されました。皆さんも驚かれたと思います。私(金光男さん)もまさかと思いました。
 皆さんも、テレビニュースで見られていたでしょう。戒厳軍の兵士が、国会本館、与党「国民の力」代表室のガラス窓を叩き割って中に乱入していくのを。
 戒厳令が宣布されたのは、12月3日午後10時23分、その後、午後11時に戒厳司令部の布告第1号が発表されました。布告第1号は、国会と地方議会、政党の活動と政治的結社・集会・示威など、一切の政治活動を禁止すると。これは、完全に憲法違反です。1つは、戦時でも非常時でもないのです。経済活動も市民生活も平常に行なわれている。なのに戒厳令を布告することは憲法上できないのです。2つに、戒厳令が、言論や集会などを著しく制限するとしても、国会は、基本的人権の制限を牽制する装置であり、また、戒厳令の解除を決議できる権限を有しているものおり、だから国会だけは戒厳令をもってしても統制することはできないと、憲法が規定しているのです。
 だから、12・3戒厳令は、戒厳令という名のクーデターです。クーデターにも2つあります。普通、クーデターとは、合法的な政権を倒して権力を簒奪するというものです。しかし今回の場合、ユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領は権力を合法的に握っている。合法的に権力を握っていながらクーデターを行った目的は、反対勢力である国会を制圧するためであったわけです。だから、今回の戒厳令は、「親衛クーデター」(※権力者が、反対勢力を排除し、権力をより強化する目的で行うという意味)という言われ方を韓国ではしています。
◆国会制圧と与野党代表者の連行
 なぜ国会を制圧しようとしたのか?権力を握っているユン・ソンニョル政権にとって、野党が過半数を占めている国会こそ、最大の反対勢力だったからです。さらに、戒厳令を宣布した後、国会で過半数(定数300、よって151)の議員の賛成があれば、解除する権限を持っているので、国会を制圧して「戒厳令解除要求決議」ができないようにすることを狙ったのです。「国会議員全員を、引きずり出せ」と指示されていたということは、既に司令官が証言しています。さらに、現在判明しているところでは、10数名の与党と野党の指導者を連行し、そして、「共に民主党」本部を始め、6カ所を戒厳軍が制圧する計画であったことが明らかになっています。
 12月3日、戒厳令を宣布したとき、ユン・ソンニョル大統領は、次のように戒厳令の目的を明らかにしました。「私は北朝鮮・共産勢力の脅威から自由大韓民国を守護するために非常戒厳令を宣布する」、続けて「国会は犯罪者集団の巣窟だ」と。12月12日に発表した対国民談話では「巨大野党が支配する国会は、自由民主主義の憲政秩序を破壊する怪物になった」と。
 12・3戒厳令は、まさに国会を反国家勢力だと規定をして、国会を制圧し、与野党の代表者を連行することを目的にしていたわけです。

▼「早く!早く!」

 こうして、12月3日午後10時23分、戒厳令が宣布され、戒厳司令部が設置されました。ということは、国会において、戒厳令解除要求決議案を可決できるか、その前に戒厳軍が国会本会議場を制圧して採決そのものをできなくしてしまうか、まさに、時間との競争になったのです。
 私も、ずっとパソコンに張りついてYouTubeを見ていましたが、「早く!早く!」という言葉しか出なかったです。
 国会の前に、市民が集まってきました。国会本館の前では、国会議員の補佐官や秘書官たちが人垣をつくって構えていました。
 すると、国会裏にある運動場にヘリコプターが着陸し、「特戦団(※韓国陸軍の最精鋭)」が突入してきました。軽機関銃を持っています。実弾は装填していませんでしたけど、部隊ごとに実弾は配られており、実弾カートリッジを渡せば、いつでも発砲できる状態です。
 さらに、首都警備司令部(※首都ソウルを守る軍隊)が装甲車でやってきました。この装甲車を、市民が囲んで国会の中に入れないようにしていました。
 そして、国会本館前では、補佐官や秘書官たちが、突入してくる特戦団の兵士に、文字通り体を張って抵抗していました。国会本館の中ではバリケードを築いていました。軽機関銃には、消火器で応戦しました。
◆67歳議長も塀を乗り越える
 しかし、国会前では、ソウル警察庁長官の指示で、国会を守るはずの警察が、駆けつけてくる国会議員らを阻止していました。
 さあ、どうするか?団体チャットルーム(※多数人が同時にチャットできるシステム)には、次々と情報が流されました。「国会第1門と第3門の間の警備が手薄だ。そこから塀を越えろ」とか。みんな、その情報にもとづいて、国会の敷地は相当広いのですけど、警備の薄い場所を見つけて、次々と塀を乗り越えていきました。その姿をメディアにばっちり撮られたのが、ウ・ウォンシク(禹元植)国会議長です。67歳の国会議長も塀を乗り越えたのです。イ・ジェミョン(李在明)「共に民主党」代表も、もちろん塀を越えました。
 こうして、4日午前1時1分、出席190人で国会の開会が宣言され、午前1時3分に、戒厳令解除要求決議案を可決、その瞬間、ウ・ウォンシク国会議長が、「戒厳令は無効だ」と宣言したのです。
◆銃口をつかんで
 みなさん、たぶん、軽機関銃を構えた兵士に立ち向かう女性の姿をニュース映像で観たでしょう。彼女は、アナウンサー出身で「共に民主党」報道官のアン・ギリョンさんです。兵士が向けた銃口を手でつかんで、「銃を下げなさい!恥ずかしくないのか!」と一喝しています。よく見ると、一瞬、兵士の指が引き金にかかっている。しかし、迫力に押されて兵士は下がっていきました。
 アン・ギリョンさんは、その後、海外メディアのインタビューにこう答えています。
「ーーなぜ銃口をつかんだのか?
 そのときは考えている暇はなかった。ただ、とっさに銃口をつかんだ。
 私は1989年生まれ(※民主化は1987年 註)。民主主義は、もう当たり前のものだと思って、いままで生きてきました。しかし、戒厳令によって、その当たり前だと思っていた民主主義が、そうではなくて、たたかい取られたものだったのだということが分かりました。そして、それが奪われようとしているのだから、次は、その民主主義を与えられたわれわれが守らなくてはいけないんだと思いました」
(註)1960年4月の学生中心の「4月革命」と翌61年の朴正煕(パク・チョンヒ)によるクーデター、続く朴正煕の軍事独裁。79年の朴大統領射殺事件を機とする民主化闘争、それにたいする全斗煥(チョン・ドファン)のクーデターと弾圧、80年5・17の戒厳令全国拡大と光州事件(戒厳軍による弾圧で、死者は193人から2000人に上るとも)、87年の学生・市民の大統領直接選挙要求デモと6月民主抗争、6・29民主化宣言、10月の憲法改正による「第6共和国」成立。

【Ⅱ】動揺する戒厳軍兵士たち

 
 それにしても、皆さん、ちょっと不思議に思われませんでしたか?
 今回、国会に突入してきた特戦団の中には、「707特任団」もいるのです。707特任団というのは、南北で戦争が起きたときに、平壌に突入して金正恩総書記を殺害する斬首部隊なのです。ところが、そういう部隊が、議員補佐官・秘書官らに逆に押し返されているのですよ。おかしいでしょう。斬首部隊であるにもかかわらず消極的なのです。
 それから、ヘリコプターの到着です。戒厳令の発表が午後10時23分、布告1号が11時。普通ならば、その時点で、ヘリは国会の上空で構えていて、布告1号と同時に着陸・突入しなければいけなかったのです。ところが、ずいぶん遅れるのです。これもおかしいでしょう。
 それが、なぜなのかが分かりました。
 特戦団の司令官は、三日前に、キム・ヨンヒョン(金龍顕)国防部長官から、戒厳令のことを知らされていました。ところが兵士たちは知らされていません。兵士たちは、「北朝鮮から飛んで来るゴミ風船に対抗する作戦のため、ヘリコプターで移動する」と言われていたのです。ところが、到着したのは国会。兵士たちは、完全に戸惑っているわけです。
 さらに、ヘリの到着が遅れた理由です。特戦団は、京畿道(キョンギド)利川(イチョン)市からソウルに飛んで来ます。ソウル上空に入るとき、とくに国会の前には大統領室がありますから、その周辺3キロ強は飛行禁止区域です。この飛行禁止区域に許可なく侵入すれば撃墜されることになっています。したがって特戦団のヘリと言えども、この飛行禁止区域を通過して国会に着陸するには、事前に首都警備司令部から許可をもらわなくはならない。ところが、事前に許可をもらおうとすれば、「何のため?」となり、「国会に着陸するから」という話をしないといけない。当然、「何で、軍が国会に行くのか?」ということになりますよね。
 こうして、ヘリが飛び立つ段階ではじめて、操縦士が飛行許可を求めたのですが、首都警備司令部は2回、拒否しています。「何のために国会に着陸するんだ。目的を明らかにせよ」と。結局、戒厳司令官が首都警備司令部に連絡して、ようやく飛行許可が出た。だから、ヘリの到着が遅れたわけです。
 だから、兵士たちは明らかに、事態に動揺していました。国会本会議場の前に立ちはだかった補佐官・秘書官たちは、40代・50代の女性が多かったそうです。彼女らが、突入してきた特戦団の兵士の頬を張り倒しました。その兵士は思わず引き下がったそうです。なぜかと言えば、兵士は20代、彼らからすれば自分のオモニ・母親と同世代なんです。
 あるいは、与党「国民の力」代表室のガラスを割って軍が突入しましたが、そこには、ハン・ドンフン(韓東勲)代表に送られたランの鉢植えがあったそうです。普通なら、そんなものは蹴散らしますよね。ところが、丁寧に脇の方によけてあったそうです。
 こうした様々な事情が絡み合って、午前1時1分に開会が宣言され、1時3分に戒厳令解除要求決議案が可決しました。
 まさに奇跡的です。

【Ⅲ】1年前から企まれていた

▼戒厳令は、いつから準備されていたのか?

 今後、特別検事の捜査や、国会の調査権で、全貌は明らかになると思います。
 今、分かっている範囲では、既に昨年(2023年)の後半から、ユン・ソンニョル大統領は戒厳令について議論を始めたようです。そして、今年(2024年)の8月以降、戒厳令の準備が具体化しました。それまで大統領警護処長だったキム・ヨンヒョンが、8月に国防部長官に移りました。このとき「共に民主党」で軍の内部情報に詳しい人たちは、異常を察知したようです。なぜこの時期にキム・ヨンヒョンを国防部長官にしなければならないのか。
 そして調査をすると、キム・ヨンヒョンが、大統領警護処長のときに、今回、国会に乱入した部隊、すなわち、特戦団司令部、首都警備司令部、防諜司令部(憲兵組織)の3つの部隊の司令官を呼んで秘密会談をやっていた事実が後に明らかになります。大統領警護処長は軍の作戦指揮団員ではないので、これは完全に不法行為です。
 だから、このころから、戒厳令についての具体的な検討が始まったのではないかと、推測されるわけです。

▼「共に民主党」のシミュレーション

 今、「共に民主党」が次々と戒厳令に関する事実関係を明らかにしています。その調査の中心は、キム・ミンソク議員、キム・ミョンジュ議員、パク・ソンウォン議員、プ・スンチャン議員の4人です。キム・ミンソク議員は、元ソウル大学の学生会長で、1982年の釜山アメリカ文化院籠城闘争をたたかった学生運動出身者。キム・ミョンジュ議員は、皆さん驚かれるかと思うけど、韓国陸軍の元フォースター、陸軍大将。韓米連合司令部の副司令官でした。そういう人物が今、「共に民主党」の議員になっているのです。したがって、当然ながら、軍の中に太い人脈を持っていますから、情報がどんどん集まってきているわけです。パク・ソンウォン議員は、国会議員になるまで、国家情報院の第一次長、国家情報院のナンバー3です。プ・スンチャン議員は、韓国国防部の報道官をしていました。こういう具合ですから、良心宣言的な情報提供が相次いでおり、それを「共に民主党」が明らかにしているわけです。
 この4議員が、今年8月、キム・ヨンヒョンが国防部長官に移行するなどの動きを見て、「これは戒厳令が現実化しそうだ」と判断したそうです。イ・ジェミョン代表にその判断が伝えられ、代表も、「時期はいつになるか分からないが、間違いなく宣布される」という確信を持ったということです。
 皆さん、国会議員や補佐官・秘書官らの動きが、迅速過ぎると思いませんでしたか?実は、「共に民主党」では、「戒厳令が布かれたら直ちに国会本会議場に集まる」というシミュレーションができていたのです。

▼戒厳令を宣布する口実づくり

 こうして、戒厳令の議論を秘密裏に始めたユン・ソンニョル大統領らが、次に行なったことは、戒厳令を宣布するための名分・口実づくりです。
◆北朝鮮との局地戦
 一つ目。ご記憶の方もいると思いますが、昨年10月、平壌に3度にわたって無人機が侵入し、金正恩最高尊厳??北朝鮮の表現を使えば??を冒涜するビラを捲いたと、北朝鮮が、激しく非難する声明を発表したということがありました。声明によれば、平壌上空に無人機が3度侵入したことと、その無人機が、韓国で北朝鮮に一番近い、白?島(ペンニョンド)から飛び立ったということが明らかにされています。
 この声明にたいして、韓国軍は、否定も肯定もしませんでしたが、保守言論が、「脱北者団体がドローンを北朝鮮に飛ばした」という報道を出しました。
 ところが、「脱北者団体が」という報道を、元陸軍大将のキム・ミョンジュ議員が、一蹴します。平壌に行って帰ってくる航続距離を考えると、滑走路と発射装置がいるそうです。垂直に離陸する一般的なドローンでは、北朝鮮まで行って帰ってこれない。では、滑走路と発射装置を持っているの誰かと言えば、軍しかないわけです。
 キム・ヨンヒョン国防部長官が狙ったのは、軍を使って北朝鮮に無人機を侵入させ、これに北朝鮮が応戦するという形で、北朝鮮との局地戦を引き起こし、それを口実に戒厳令を宣告するということだったのです。
 ところが、なぜか北朝鮮は応戦しなかった。これで、一つ目の口実が失われました。
◆原点打撃
 二つ目。韓国の脱北者団体が、金正恩総書記を非難するビラやドル紙幣、あるいはK-POPや韓国映画を入れたUSBなどを括り付けた風船を飛ばしています。それに対抗して、北朝鮮は、ゴミをつけた風船を韓国に送ってきています。
 これにたいして、キム・ヨンヒョン国防部長官が、韓国軍の合同参謀本部議長に「原点打撃」を命じたそうです。原点打撃とは、このゴミ風船を飛ばしてくる北朝鮮領土内の発射場所を叩くということです。韓国軍の合同参謀本部議長は、「そんなことをすれば、南北の戦争になりますよ」といって断ったそうです。
 こうして二つ目の口実づくりにも失敗しました。
◆ウクライナでの交戦も
 三つ目。何と、ウクライナで、北朝鮮軍との交戦も考えていたようなのです。北朝鮮軍が、ロシアに派兵され、現在、ロシア領内のクルスクにいることは確認されています。
 ユン・ソンニョル大統領は、韓国の攻撃兵器をウクライナに提供する用意があるというだけではなく、韓国軍の「参観団」を派兵するということも明らかにしました。これは、その後の調査によると、北朝鮮の軍隊がウクライナ領内に侵攻してくれば、それと戦闘を行なうことを目標にしていたというのです。それを口実に、韓国内に戒厳令を布くことができるというわけです。
◆労働者大会の挑発
 四つ目。11月には民主労総主催の全国労働者大会がありましたが、今年は警察とぶつかって10人が連行されました。警察がこれまでにない完全武装で、民主労総が申請した範囲の半分しか、集会開催を認めなかったために、ぶつかったわけです。
 これは、極めて意図的な挑発だと思われます。「騒乱事態」を作ることが目的だったようです。それによって、戒厳令を布こうとしたわけです。
 しかし、民主労総が自制をしたために、騒乱状態にはならず、これまた、戒厳令を布くことができませんでした。

【Ⅳ】なぜ12月3日? —「愛妻クーデター」

▼なぜ、そこまでして戒厳令なのか?

 ユン・ソンニョル大統領は、末期状態です。4月の総選挙で惨敗しました。その後、支持率が20%を切って、有権者は、心理的にユン・ソンニョル大統領を弾劾していました。
 そして、戒厳令を布こうとしても、その名分・口実が次々に破綻してしまう。
 そしていよいよ、国会では、「キム・ゴンヒ特別検事法」が通るのではないかという状況を迎えたわけです。キム・ゴンヒとは、ユン・ソンニョル大統領の配偶者です。彼女は300万ウォンのディオールのバックをもらったり、日本円で3億2千万円相当の株価操作で不当な利益を得たり、与党の国会議員候補の公認過程に介入したり。しかし、数々の疑惑にもかかわらず、のうのうとしています。それは、検察が捜査をしないからです。
◆野党には苛烈な検察
 ところが、「共に民主党」のイ・ジェミョン代表にたいしては、検察は、彼をとにかく起訴に持ち込もうとして、300回もの家宅捜査を強行しました。
 そして、今、イ・ジェミョンは4つの裁判を抱えています。だから、彼は、1週間の大半を裁判所で過ごしています。例えば、4月総選挙の最終日、普通は、党首が最後の訴えをするものでしょう。しかし、「共に民主党」の党首は最後の訴えができなかった。なぜかといえば、裁判所にいたからです。
◆「愛妻クーデター」
 数々の疑惑に塗れているキム・ゴンヒにたいして、検察が一切捜査しないわけです。
 韓国には、「特別検事制度」というのがあります。これは、国会が任命する特別検事が捜査権と起訴権を発動して、検察が捜査しない事件について捜査することです。2016年にパク・クネ(朴槿恵)大統領が弾劾された後、この特別検事制度で有罪になりました。
 今回、キム・ゴンヒにたいする特別検事法が、過去2回国会を通過しているのですが、ユン・ソンニョル大統領が2回とも拒否権を行使しました。法案の可決には、普通は過半数ですけど、拒否権が行使されると、再議決には3分の2が必要ですから、定数300では200以上の賛成が必要です。過去2回とも、野党が全員集まっても192で、8足りないために廃案になっていました。
 しかし、今回は、世論が、大統領夫人にたいする特別検事捜査を強く要求しているため、与党「国民の力」の中でも、ハン・ドンフン代表を中心にしたグループが、法案の再議決に賛成するのではないかと言われていました。可決する可能性が出てきたわけです。
 これが、11月29日金曜日です。そして、翌週の12月3日火曜日に、戒厳令を宣布したわけです。
 だから、韓国では、この「親衛クーデター」を「愛妻クーデター」と呼ぶ人もいます。「愛妻」はまあ勝手ですが、そのために軍を動員するなどということは許されないことです。
 やはり、ユン・ソンニョル自身は、相当追い詰められいたということです。

▼なぜ中央選管に軍を?


 2020年のアメリカ大統領選で敗れたトランプが「不正選挙だ」と騒いだことはまだ記憶に新しいですよね。このときトランプも、結果を覆すために戒厳令を検討していました。しかし、発動には至らなかったので、その崩れ形態として、トランプ支持者が連邦議会議事堂になだれ込んだわけです。
 ところで、ユン・ソンニョル大統領が、今回の戒厳令で、最も戒厳軍の兵力を投入したのは、国会とともに中央選挙管理委員会でした。
 なぜ中央選管に軍を?しかも、情報司令部の対北朝鮮工作グループです。
 もし、戒厳令が未明に解除されていなかったら、朝になって、出勤してきた選管の係長クラス、実務者たちの両手両足を縛って、頭に頭巾をかぶせて、首都警備司令部の「B1バンカー(※核戦争に対応した地下司令部)」に連行する予定だったと、司令官が証言しています。
 そして、選挙管理委員会で突入した軍は、サーバーの写真を撮っていました。サーバーの配線というのは大変複雑で、先に配線の写真を撮って記録しておかないと、後で元に戻すことができいないからだそうです。そして、サーバー内のデータを全部コピーして行きました。
 その目的は、4月総選挙が不正選挙だったという証拠を探すことだったというのです。
 完全におかしい。「4月総選挙は不正選挙だった」などと言っているのは、韓国では、極右ユーチューバーだけですよ。つまり、ユン・ソンニョルも、この極右のユーチューブをずっと観ているのです。そして、ユン・ソンニョルも、「自分たちが勝つと思っていたのに惨敗した。これは、もう、不正選挙以外に考えられない」と。そして、不正選挙の証拠を保全するために、中央選管に軍を派遣して、サーバーをコピーするとともに、選管の職員を連行し縛り上げて「不正選挙だった」と言わせようとしていたということでしょう。
 だから、トランプの議会突入とほとんど一緒なのです。

【Ⅴ】12・7~12・14~ 「光の革命」


 ユン・ソンニョルを追い詰めている市民の運動の状況について見ていきましょう。
 12月7日、最初の弾劾訴追案が出て、これは否決されましたけれど、その日、国会前の光化門(クァンファムン)周辺には、100万人の市民が集まりました。そして、弾劾訴追案が可決した12月14日には、200万人が集まりました。
◆市民社会の疲労感
 ところで、去年の夏頃から、「キャンドル行動」というグループが、毎週土曜日、ずっと大統領弾劾のキャンドル集会を行ってきたのですが、最大集まっても10万人ぐらいでした。まあ、日本から見れば多いと思われるかも知れませんが、韓国では全然です。
 私は、やはり韓国の市民社会の中に、疲労感があると思っていました。2016年に100万人のキャンドルが毎週開かれて、パク・クネを弾劾しました。その結果、誕生したムン・ジェイン政権は、「朝鮮半島平和プロセス」については熱心にやったのですけど、「労働改革」や「検察改革」はほとんどやりませんでした。このために、市民社会の中には、民主党政権にたいする不満・批判が相当鬱積していました。だから、大統領選で、ユン・ソンニョルが通ったわけです。あれは、ユン・ソンニョルが勝ったというより、民主党にたいする批判の現われだったのです。そして今回も、ユン・ソンニョルを弾劾しなければならないと、韓国の市民社会も思っていたと思います。しかし、ユン・ソンニョルを弾劾しても、また、民主党政権なのかと。そういう疲労感が、韓国の市民社会にあったと思います。
 だから、最大でも10万人しか集まらなかったわけです。
◆女性とMZ世代
 ところが、12月3日、戒厳令が布かれました。そして、12月7日には、弾劾決議案が否決された。そういう中で、14日には、200万人が集まったのです。
 200万人の特徴は、女性が多かったこと、それから若者が多かったことです。もう一つは、キャンドルではなくて「応援棒 ペンライト」を手に持っていたことです。
 私は、女性が多かったことは、こういうことだと思うのです。ユン・ソンニョル政権が発足して最初に行なったことは、「女性家族省」の廃止でした。そこにある考えは、「韓国では女性は恵まれている。女性を保護する必要はもうない」というものです。それから、性暴力から女性を守る予算を大幅に削減しました。こういうマッチョ政権にたいする批判や不満が鬱積したと思います。
 MZ世代(※M=ミレニアム世代、Z世代を合わせた世代の韓国発祥の通称。1980年代前半から2010年代前半生まれの「デジタルネイティブ」な世代)の若者はどうでしょう。2022年10月のソウル梨泰院(イテウォン)惨事で、159人の若者が死亡しました。立ったままの圧死でした。みんな、自分たちと同じ年代です。ところが、この事故の責任を、誰一人取っていないのです。そういうことを巡って、ユン・ソンニョルにたいする怒りが、蓄積していたと思います。
◆K-POPと応援棒
 それが、戒厳令宣布によって一挙に爆発したのです。
 なぜか。民主主義が奪われると思ったのです。そして、その民主主義は、自分たちが作ったものではなく、上の世代の犠牲の上で作られたもの。それを自分たちは享受してきたが、その民主主義が奪われようとしているということにたいして、100万人・200万人が集まったのです。
 しかも、そこで歌われたのは、様々なK-POPが歌われましたが、もっとも歌われたのはやはりK-POP界のレジェンド「少女時代」の「また巡り合えた世界 Into the new world」です。そして手にしているのは「応援棒」。アイドルごとに応援ライトがあります。集会の司会者が、応援棒を順番にスクリーンに映しながら、「ハイ、この応援棒をもっているアイドルグループのみなさん!」と言ったら、あっちの方でワー、こっちの方でワー、となるわけです。
 完全にMZ世代が企画した集会です。だから今回の12・14の200万集会は、韓国では「光の革命」と呼ばれているのです。
 かつて、軍事独裁政権時代には火炎瓶を手にたたかった。その次、民主化以降はキャンドルを手にしてたたかった。そして、今回は、アイドルの応援棒を持って、「少女時代」の「まためぐり合えた世界」を歌いながら、「大統領弾劾」を実現したわけです。
◆「亀の首学生全国連合」
 さらに、各自がいろんな旗を持ってきているのです。例えば、「亀の首学生全国連合」という旗。「亀の首」とは、受験勉強で机にむかってばかりいるから、首や背中が曲がってしまった受験生ということ。つまり受験戦争に苦しめられている学生は全部集まれという呼びかけですね。それから「本当は何もしたくはなかったけれども、やってきた人たち連合」とか、もう、ユニークなのです。
 もちろん、ユン・ソンニョル弾劾のための「非常行動」というのが、1600団体で構成されており、この1600の中の両軸が、やはり参与連帯と民主労総ですね。
 とはいえ、特定の組織や指導部が、計画し号令する集会ではなくて、自主的自発的創造的に、彼らがよく使っていた言葉は「テドン 大同」、つまり世代や性別を超えた空間という意味ですが、そういう「民主空間」が生まれたということです。
 私は韓国の「新しい民主主義」が始まったと感じています。

▼光州事件の犠牲者が突き動かしている

 同じ時期(12月7日)、ストックホルムで、ハン・ガンさんが、ノーベル賞の記念講演をおこないました。
 ハン・ガンさんは、『少年が来る』という光州事件をモチーフにした小説に触れながら次のような趣旨のことを話しました。
「この小説を書きながら、生きている者が、死者を救うことができるのか、そういう問いかけをしていました。しかし、行き詰まってしまいました。もうこの小説は書けないと思いました。しかし、そのとき、光州事件で亡くなった人の日記を読んで、私の考えていたことは全く逆なんだと気づきました。そこから一挙に『少年が来る』を書きあげました」
 つまり、生きている者が、死者を救うことができるか、ではなくて、死んだ者が生きている者を助けている。これが韓国の民主化運動なのだということです。生きているわれわれが、亡くなった人間を追慕しているのではなく、光州事件で亡くなった人たちの存在が、生きているわれわれを突き動かしてくれているのだということです。
 闘争の記憶が、韓国では継承されているわけです。だから、国会前に100万人・200万人が集まり、それも既成世代(※韓国が発展途上国だった時代を経験している世代)だけではなくて若いMZ世代が、そして、男性中心ではなくて圧倒的に多くの女性たちが集まったのです。
 ハン・ガンさんが言われてたことを、私も14日の200万人のデモを見て実感しました。

【Ⅵ】憲法改正から第7共和国へ


 12月14日、ついに、ユン・ソンニョル大統領の弾劾訴追案が国会で可決しました。
 野党は全部で192、3分の2には8足りません。与党「国民の力」からどれだけ賛成票が出るかが焦点になっていましたが、結果は賛成204、したがって「国民の力」から12が賛成に回った計算になります。そして、賛成に回った12と、棄権の3、無効の8を足すと23。これは、だいたいハン・ドンフン・グループと言われている議員の数に相当します。
 この瞬間、ユン・ソンニョルの大統領権限が停止され、ハン・ドクス国務総理が、大統領権限を代行するになります。(※さらに27日、ハン・ドクス国務総理の弾劾が成立)
 今後、ユン・ソンニョルには、2つの裁判が予定されています。一つは、憲法裁判所における弾劾審判です。もう一つが、内乱罪で裁く刑事裁判です。

▼「共に民主党」に問われていること

 さて、来年は、間違いなく大統領選挙が行われます。そうすれば、「共に民主党」が勝利することはまず間違いないと思います。
 そういう趨勢なのですが、私としては、「共に民主党」に言っておきたいことがあります。それは、「権力を独占するな」ということです。2016年のキャンドル革命で、民主党が政権をとりました。民主党単独の政権になりました。でも、キャンドル革命は、「共に民主党」が一人でやった革命ではないですよ。正義党などの進歩勢力も加わっていたし、良心的な保守勢力も弾劾に加わったわけです。あのとき、そういう連立政権を構成していれば、保守政党が現在のような極右勢力にはなっていなかっただろうと私は思っています。
 さらに、「黄色い封筒法(※使用者の範囲を元請け企業にまで拡大するとともに、ストライキをおこなった労働者にたいする使用者の無分別な損害賠償請求を制限する法案。国会では可決もユン・ソンニョルの拒否権行使で廃案に)」も間違いなく、通っていたはずです。
 来年に大統領選挙が行われれば、「共に民主党」が政権を取ることになるわけですが、その際、「共に民主党」は絶対に政権を独占したらいけない。祖国革新党や3議席の進歩党力とも、連立を組む考えを持つべきだと思います。

▼憲法改正から「第7共和国」へ

 ご存じのように、韓国では、87年の民主抗争を経て、「第1条 ①大韓民国は民主共和国である。②大韓民国の主権は国民にあり、全ての権力は国民から生ずる」という大韓民国憲法ができて、87年民主体制が確立されたのですが、私にとって大変ショックだったのは、この87年民主体制の下でクーデターが強行されてしまったということです。文民統制、シビリアンコントロールが破壊された。これを真剣に考える必要があると思っています。
 憲法上、韓国の国防部長官は民間人とされているわけですけど、しかし、実際は直前まで軍にいた者ばかりです。アメリカでも、例えばオースティン国防長官も軍出身ですけど、アメリカの場合、軍を退役して7年以上経過しないと国防長官になれない仕組みです。
 それから、大統領に権限が集中し過ぎているという問題があります。それをどう分散するのか。また、ユン・ソンニョルのような人物が大統領になった場合、より多様な牽制措置を作らなければならないという問題もあります。
 さらに、韓国では、自由権(※個人が自由に生活できる権利)は達成したと思いますが、社会権(※人間らしい生活が保障される権利)をどう具体的に実現するかという問題はまだこれからです。
 だから、来年の大統領選挙ですが、単なる大統領選挙ではなく、憲法の改正と一体で、第6共和国から「第7共和国」の新しい時代をつくる、そういう大統領選挙でなければならないというのが私の考えです。

▼日本でも我がこととして

 最後に、韓国の戒厳令と大統領弾劾を巡る問題を、「よその国の話」で終わらせないでいただきたいと思います。
 日本の憲法改悪問題の核心内容の一つは、「非常事態条項」ですよ。非常事態条項が、入った日本の憲法改悪が行われれば、日本においても、韓国の戒厳令ように、基本的人権を制限することが可能な事態が生まれるわけです。
 だから、そのことを念頭において、日本の憲法改悪を阻止するためにも、今回の韓国の事態から様々なことを感じ取っていただけたらとお願いして話を終わります。(了) 

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