言葉の選択
どうも「駆け出し」です!
私は「サルコイドーシス」という疾患とともに闘病生活中の理学療法士(リハビリの専門職)です!
今回は「言葉の選択」という記事になります。
この記事を書いた経緯としては、ある会話の内容からでした。会話の内容の詳細は省略しますが、「〇〇に行くかもしれない」という未来の発言を言われました。
目の前にことで必死になっている人に、第三者の未来のことを言われてもと思うのです。やっとのことで診断名が付き、リハビリテーションにより日常生活を問題なく過ごせるようになったばかり人の前で第三者の未来の話をされるのは複雑な気持ちになります。
ましてや、この疾患は特殊であるが故にこの先どうなるかわかりません。このように未来を想像したくてもできない人の前で発言するのはいかがなものでしょうか。少なくとも相手の状況を全く知らない場合には、このような発言は仕方ないと思います。しかし、相手の状況を多少知っているのであれば、発言の内容に気をつける必要があると思います。
私は『相手の気持ちを理解すること』はできないと思っています。容易なことではないです。自分の気持ちは自分しか理解できません。しかし、『相手の気持ちを想像すること』はできると思っています。
私は相手に声をかけるとき、相手の気持ちを想像して言葉の選択をしたいと思います。そんな人間に私はなりたいです。
人には触れて欲しくないこともあるのです。