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私の保育士の経歴(前編)


自然豊かな保育の短大出身。
学生時代は山の中で摘んだきのこをみんなで焼いて食べたり(もちろん先生が食べられる判定したもの)、木になったザクロをとって食べたり(もちろん食べていいよって言われた)食べてばっかりかーいって言われそうですね。
ちゃんと勉強も実習も頑張りました!この短大の話もいつかしたい!!


保育士の就職先を考える時期、高校時代の部活の友だちからメールが来た。

高校の同級生(名前と顔は知っていた)のお母さんが保育園の園長先生をしておられ、その子が高3の時の三者面談で、園長先生が気に入っていた短大に進学するのがその年は1人と聞いていたようで、その短大に行った子を探していた、との話。
まさにそのたった1人がwatashi。

今となっては、ご縁というものはどこで繋がるかわからないなぁ〜と思う。

そこから、その園長先生の息子(高校の同級生)と連絡先が繋がって、1度園を見学にこないかと言われ、見学に!

遠い記憶では、運動会の見学に行かせてもらい、運動会会場の、子どもたちの作品の装飾が可愛いなぁ〜♡と思った事を思い出した。

実習先の園からも、就職を誘われていたのだが、悩んだ末、自宅からとおーい、田舎の、同級生のお母さんの園に勤めることになった。


◆1年目(2歳児)
右も左もわからないが、子どもが可愛い。だが、何度も言うが右も左もわからないし、ポンコツ新任。やる気元気だけで生きていた。
今思えば、保護者の方々はこんな私に大切な我が子を任せてさぞ不安やったやろな〜と思う。でも、あの経験があったから、自分が保護者となった今、1年目の先生にも温かいまなざしを向けられる。

◆2年目(2歳児)
波乱万丈という4文字がピッタリな1年。
クラスの子どもが増えに増え、先生も増えに増えたり減ったり←
何度も辞めたいと思った1年。
でも、半年笑わなかった子が秋に私の膝の上で声を上げて笑ったことは一生忘れない。大変やけど、こういうことが、私の保育士人生を繋げてきたんやな〜

バタバタとする日々の中、なんかわからんまま、新園舎が建ち、園舎の引越し。(ちなみにポンコツ2年目な私はインフルエンザで、引越し中お休み頂きました。)

◆3年目(3歳児)
この頃から園の規模が大きくなり、3歳児2クラスで隣のクラスには後輩。2クラスの足並みを揃えたり、連携をとりながら保育を進めていく難しさを感じた1年。

◆4年目(5歳児)
なななんと1年目に受け持った子たちの年長を担任させてもらう。1年目の子どもたちへの愛情はひとしお♡初めての5歳児、組んでたのがクセ強の先生だったので大変なこともあったが、子どもたちと楽しい一年をすごし、初めて卒園式で担任した子どもたちを見送る。寂しい🥺

◆5年目(5歳児)
この子たちも2、3年目に担任させてもらった子たち♪年度途中で隣のクラスの担任が事情があり傷病休暇、隣のクラス担任不在のままの運動会、今思えば若かった私、先生たちや子どもたちに助けてもらいながら頑張ったよなぁ、、

◆6年目(5歳児)
隣のクラスの先生が大好きな先輩で、仲良く楽しく保育してた♡隣のクラスとは部屋の間の物置でつながってて、よくそこで隣の先生と愚痴ったり、相談したりしてたなぁ、、その先生とは今も仲良くして頂いている♡保育士としても母としても価値観が近いことは私にとっての財産🫶

◆7年目(4歳児)
2年目の後輩と組む。保育が好きで一生懸命な後輩、なかなかぶっとんでいたので大変なこともあったが、一生懸命だったので、1年一緒に頑張れた!でも立場的に理不尽なこともあった1年。
でも園の中でも地域の小中学校や幼稚園との連携にも出向かせて貰える立場で、色んな経験させてもらえて嬉しかったなぁ〜*


色々あった園ではあったけれども、周りの先生たちに恵まれ、園長先生理事長先生には娘のように可愛がってもらいましたが、結婚で、通える距離ではなくなってしまった為泣く泣く退職しました。
内容の濃い7年間で、和太鼓や、ガッツリの行事たち、自分の保育を掴むまではしんどいことも多かったけど、私の保育士人生の基礎を培ってくれたなぁ〜できることなら、ずっとこの園で仕事してたかった*


以上で前編でございます。長文読んで頂きありがとうございます*

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