味方であるということ
「ふれあい」は具体的にどのような対応で生まれるのか・・・その第2弾です。
第1弾は前回の記事です^_^
お互いは味方であるという意識であること
親は我が子の味方であり、子は親を味方であると思う・・・そういう親子関係の中から、ふれあいは生まれるのだそうです。
どうすれば、そのような親子関係が育つのでしょう。
3つ挙げております。
ひとつは「見る」ことです。
子どもは親が「見てくれている」と思うと、親は味方なんだと受け取ります。(けして「見張られている」とならないように・・・)親に無視されている、無関心だとその逆になります。
二つ目は、子どもを「ほめる」ことです。
そのためには、長所の見つけ上手、よかった探しが上手になることです。
おしゃべり上手な子には「表現が豊かだね」
動作が遅い子には「慎重なんだね」
物事をひとつの見方で捉えるのではなく、別の意味づけをする(リフレーミング)・・・多面的な見方を養うことが必要です。
三つめは、相手のために「具体的なアクションを起こすこと」です。
お子さんが「お腹が痛い」と訴えた時、優しくお腹をさする・・・。
「僕、学校へ行きたくない」と言えば「行きたくないんだ、どうしたのかな?」と声をかけ、その子の思いに入っていく・・・。
そういった具体的な行為から「あ~おかあさんは、僕の味方なんだ」という意識が生まれるのです。
心の中で思うだけでは伝わらないことや、伝わりにくいことがあるということです。
思いを表現することが教育者には必要なのです。
子を心で見ること、多面的な捉え方で受け止めること・・・。
そして、親の思いを伝えるように具体的に動き表現すること・・・
こういった営みの中で
「親は私の味方なんだ」という思いがじわ、じわ~っと広がっていくのでしょうね。
最後は「人生を豊かに生きるための『知恵・コツ満載』ブログ」から次の記事を紹介して今日の締めとします。
弁護士のようにいつも子どもの味方になろう!
最近、家庭内では、親が弁護士でなく検事側に回る家が多いように思います。常に子供を責めたり、悪行の尋問をしたり、謝罪を要求したりしているのをみかけます。そのようなことを求めるのが親の立場ではないのですね。どんなに子どもが悪行をしても常に子供の全面的な味方になるのが正しい親の立場だと思うのですが・・・。
その覚悟がいつも親の中にあれば、その親の愛を感じた子どもは決して親が悲しむような行いはしないものなんですね(^▽^)/
もし、家族の中で犯罪者が出た場合は、最後まで味方になって、その気持ちや理由を聞いてあげることが大切ですね。人間は、心を孤立させるとどんどん泥沼にはまってしまいます。「罪を憎んで人を憎まず」というのはそういうことなんです。そして、心が開いて深い反省が生まれたら、犯罪に対しての罪を償う勇気を与えるんです。
家族は「少なくとも人間としてあなたを憎んだりしていないよ」と。「だから罪は償うのよ」と。こういう家族の愛に包まれて罪を償ってきた人は、本当の意味で更生する人が多いです。間違ったことに対しての責めや罪の意識を追究するのは、被害者の家族や検察側がすることだと思います。
※「日本教育カウンセラー協会」のテキストを参考・引用しています。
※本記事は、2006年当時の内容です。現情報と異なる場合があることをご了承ください。
次回は「ふれあいはどういった対応に生まれるのか」の第3弾
「相手に自分の心を打ち出すこと」についてです。