小説#2 プールと沈殿
窓の外の真っ赤で透明な空が、青い入浴剤を落とした浴槽のようにゆっくりと濁っていった。男にとって、その雰囲気を身体に纏わせる行為は芸術の一種であった。五感を駆使した立体的な意識体験が男の内側に潜む美意識を顕在化する気がしたからである。
水面下で躍動する巨大な生き物が、その巨体をうねらせて水面に美しい影を映し出したような驚きと壮大感とか。華々しい赤い光を放った恒星が、その終焉に大爆発して白色矮星へと変貌を遂げるような儚い美しさとか。
男は部屋の明かりをつけて窓の外を眺めた。光の波が夜を照らすのが分かる。ふと、
「それを際立たせるのは夜の闇そのものだよなあ 」
とか考える。締め切った部屋の光の反射で景色の上に投影された自分の姿を見ると、独りで思い悩む優柔不断な自分の内面にスポットライトが当たったかのような羞恥心と不満感が襲ってくる。
男はベランダに昔飼っていた赤い金魚を入れていた水槽があることを思い出した。ドアを開けてベランダに出ると、まるで水に入った時のような冷たさがあった。男は急いで水槽を手に取るとすぐにドアを閉めた。
男は風呂場から入浴剤を持ってきて粗く砕いた。青い入浴剤である。水道水のプールに落とすと、それは小さな泡を出しながら溶け始めた。
入浴剤の美しい青の色素はただ水中で沈殿しているだけであったが、それはまた上澄み液に上から押さえつけられているようでもあった。その構造が、透き通った重い液に感情が沈む感覚を体現しているようで、男は不思議と恍惚感を覚えた。それは水槽の枠内に収まるだけの大きさに過ぎなかったものの、男を中心に柔和で果てのない広がりを見せた。それは大海さながらの様相を呈していて実に壮大であった。
私の頭上を一頭の「青い鯨」が悠々と泳いでいた。圧倒的で巨大なその生物を前にして、私は自然と安心感を覚えた。私の手が鯨に触れると、その巨体は私を抱擁するかの如く躍動しながら、私の周りを泳いだ。踊る二つの生命が互いを認識し、見つめ合っていた。
私はその青が徐々に無色透明な液体を染めていくのを感じていた。
私は自らが鯨と一体になれたことに絶大なる感謝の念を抱いた。その青は無限の広がりを見せた。その水槽は、私の信念で、波打つ海となった。
※本作は「小説家になろう」との同時掲載になります