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それぞれの人生の始まり 

1968年 私は福岡県で産まれた

もちろん産まれた時の記憶はないが 望まれて 愛されて 産まれてこなかったことは確かだ

「あんたのお母さんは あんたを産んですぐに はいどうぞ ってあんたを私に預けたんよ」

20代前半 母は教えてくれた

父が産みの母親といざこざがあり 別居中に今の母と知り合い 離婚成立後 結婚したそうだ

離婚成立前 私を妊娠していることに気が付いた産みの母親は 父と話し合い 産まないことを決めた

しかし 離婚後すぐに別の女性(今の母親)がいることを知った産みの母親は

今の母親に当てつけのために 育てるつもりもなかった私を産んだ と母親から聞いた

私には1歳年上の 100%血の繋がった姉がいる

産まれて間もない そして産まれてすぐ身体の弱かった私を 産みの母親は育てることを放棄した

私を出産後 産みの母親は1歳年上の姉を引き取ることを選び 私は今の母親に差し出された 

いわゆる捨てられたも同然だった

産みの母親は血液型がRhマイナスだったため 2人に産まれた子供は 産まれた直後に全身の血液を交換しないと死亡する確率が非常に高いそうだ

私はその第2子に当てはまった  産まれた直後に全身の血液交換が行われたと聞いた

考えてみると 母親のお腹に命を宿した時からこの世に産まれるまでに 2回命拾いをしたことになる

1回目 産みの母親と父が 私を産まないと決断したにも関わらずに私を産んだ時

2回目 第2子に産まれ 血液交換をされた時

そう思うと 私が今この世にいる意味はあるんだと思った 

産みの母親が私を選ばなかったと言うことも そんなにショックではなかった

だが 母親が次に放った言葉が私の頭の中で強い衝撃を受けた 超ショックだった

今でも私の頭の中にある

「だから あんたの身体の中には 誰の血が流れているのかわからない」

それは 「私とあなたは 血の繋がりがない 親子ではない」 と

間接的に言われたようなものだった  

悲しかった…  辛かった… じゃあ今までの関係は何だったのか…

この言葉だけは 今思い出してもひどいと思える言葉だ  母親が子供に言う言葉ではない

でも 育ててもらえただけありがたいと思った 育ての母親も 私がうっとうしかっただろうに

自分が産んでもない子供を育てるのだから。

しかし 私を引き取り育てる事を選んでくれた だから今の私がある それはまぎれもない事実だ

全面的に許すことはできないけれど

育ててくれてありがとう お母さん と思う。 感謝している



明日は朝早くから勤務先の医師がくれた「宇宙戦艦ヤマト」のDVDを見るので今日はこの辺で

追記:ヤマトの主題歌を一緒に歌っていたら、せっかく淹れたコーヒーが冷めてしまうのどうにかならないか…

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