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生きることを諦めなかった母

妹が帰国して、弟と3人で母の面会に行った

2日前にかなり悪い状態だった母を、私達は更に悪化しているだろうと覚悟していた

面会の手続きを終え、母のベッドサイドに向かう。「なんとなく怖いね」と話しながら病室に着いた


酸素のマスクは外れ、鼻のチューブからの酸素に切り替わり、呼吸も安定していた。更に呼びかけると返事をし、私達ひとりひとりの認識もできた

天国が近そうに見えた2日前、完全に現代に戻ってきていた。何という生命力だろう。海外から帰国した妹は喜んでいたが、私は特に何の感情も湧かなかった

「あぁ 少し復活してきたな。次に先生に呼ばれたら転院の話しと胃ろうの話しになるな」

看護師を生業としていたら、次の状態はほぼ予想可である 

その2日後 もう1度3人で母に会いに行った。主治医の話しがあると呼ばれたのもあったので「私は行かなくていいんじゃないか」ぐらいに思ったが、妹は私を離さない。1番に聞いて理解して欲しい感満載であった。

先生の話しは私の予想通りだった。病状は少しずつ改善していること、これから転院先を見つけて欲しいこと、胃ろうを作ればまた元の施設に戻れるが、鼻からの経管栄養であれば、療養病院を探さなければならないことなど、先生は丁寧に説明して下さった

話しは理解したと言うより想定内だった。転院先は私が勤務している病院でも良いよと、当院診療連携の室長は言ってくれたが、私はそれだけは避けたかった

なぜなら、嫌いな母の支援をまた父の時のように私が全部背負う事になりそうだったからだ

父は大好きだったから、全く苦にはならなかったが、さすがに母の事は「どうしてわたしが」と思ってしまう。ましてや、自分の勤務先に入院してしまったら、弟が安心して面会にこない可能性はおおいにある

「たぶん今月中にでも、胃ろうの話しや店員の話しがあるだろうから、弟と2人で考えておいてね」とだけ伝えた

妹は今週末にはまた一旦海外の自宅へ戻るようになっている。それまでは聞いておかなければならない


2日前の朝、妹にその事を確認した。胃ろうのこと、転院先のことである

だいぶ悩んだだろうと思う。私も一緒に考えてやりたい。でも考えたくない。「知らない」と言いたい

妹は答えを出した。どのくらい考えたのだろうか。 辛かっただろうか? 分からない

「胃ろうはしない。今までの施設は引き払って、療養病院に転院で」と妹は言った

帰国して、母の悪い状態も、少し改善した状態も見て、答えを出したのだろう。 弟はそもそも考えているのかさえ分からない。医療者ではないから、私達に頼り切りだ

本当は母に聞くのがスジだと思う。しかし家族が患者の大事な選択をする場面は何度も見てきた

これからどのくらいの時間、母は寝たきりで病院の天井だけを見つめ過ごすのだろうか

それで幸せなはずはない  しかしこのような患者さんはとても多いのは確かである

母がこのような状態になろうが、幸せでない状態であろうが、私のこころは動かない…


と言いたいが、ほっとけないのもまた事実である。そう考える自分の性格がイヤになるのもまた事実であった

今回で母の一連の話しは一旦終了致します。読んで下さりありがとうございました💕



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