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自分なりにとことん考えてみる

悲観主義者は、あらゆる機会の中に問題を見出す
楽観主義者は、あらゆる問題の中に機会を見出す
             ウィンストン・チャーチル


今日のタイトルは
なかなか、一言では表現できないのであるが・・・

私は、ここ数年、人生の振り返りをしていることが多い
自分という人間は一体なんなのか?

一つには自分との対話をし
深く自分のことを知る
思い出したくないこともたくさんあるが
過去もかなり記憶の中から呼び起こし
あ〜でもない、こ〜でもないと
自分洞察をしている

自分のことをもっと知りたい
私は一体何者だろうか・・・
という永遠のテーマと
付き合っている

私自身がなんとなく
モラトリアムで生きてきたということには
エリクソンで言えば
思春期の課題であった「アイデンティティ」の
確立ができていたかったと言える

そう思い起こしてみると
思春期・青年期の頃
私は真剣に自分と向き合っていなかった
自分は一体何者なんだろう?
と考えてもいなかった

将来自分がどんな仕事につくのかという
大きな目的・目標もなかった
単純に「外国で働きたい」と
それだけであった

いつも行き当たりばったりの
人生を生きていたんだな
それなりに
辛いこと・楽しいこと
体験してきてはいるけれど
結局、安定していない自分であった。

今、生きていること自体が本当に
『奇跡』だと思えるほど
危険な場面、命が奪われてしまう瞬間も
多々あったと思う

しかし、私は生きている

今は、こうして『奇跡』とも言える
生きている事実ー「私」という一人の人間が
生きているという紛れもない現実にも
「何かしら『何か』意味があるからこそ
生きているのだ」と
そう思って真剣に生きていこうと・・・
自分と対話しながら
私の自己洞察は続く・・・

心理学を再学習して
特に臨床心理学・カウンセリングを
学んでから
今までの自分を恥じることが多い
また周りの人たちの言動に対して
「その人たちはそうなんだ。そう思うんだねぇ」と
『共感』の目で見られるようになったことが
自分を追い詰めなくて良くなった

簡潔に言えば、怒りや文句や責めることがなくなり
自分の中で許すことができるようになった
これを自分が自分ですることにより
一番徳をする(?)得をする(?)のは誰?

相手からの微妙な攻撃に傷つくことがむやむやになって
私が、私の都合の良いように受け取ることができ
私自身が一番嫌なものから解放されたと感じている

もちろん、まだまだ未熟な私は、
マイナス思考やネガティブ感情も出るし
(これは人なんだから仕方がない)
いつもいつもご機嫌絶好調というわけにはいかないけれど
『そんなのもOK』といつでもどんな時でも
マインドフルに自分の感情を持っていけるように心がける

そうawareness「気づき」がその瞬間に来るようになってきて
『おっ、自分成長しているじゃん!』と
感動の瞬間がある。

自分を褒めてあげるんだ!!

大切な自分を責めない。
どんな自分もそれはそれで良しとする。
ダメな自分も『私』丸ごと引き受けてあげる
そうできるのは『私ー自分』だけなんだよな。
いつでも『私ー自分』の見方は『私』だよ。

自分を大切にできるようになると
周りの人を見る余裕ができてくるように感じる
ゆっくりいこう・・・マイペースで・・・
自分って最高!とウソでも思うことにする・・・
これマジック!

悲観主義者は、あらゆる機会の中に問題を見出す
楽観主義者は、あらゆる問題の中に機会を見出す
          ウィンストン・チャーチル


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