If I_wingsDay1で感じたこと
ご挨拶
はじめまして、小豆と申します。
今回はタイトルにもある通り
アイドルマスターシャイニーカラーズ5thライブIf I_wingsを見て
そして、昨日の高山Pの「Day1で目指したもの」
25日のオーディオコメンタリーを見て感じたことを
書いていきたいと思います。
※ライブを見た前提で書いていくので
今更ですがネタバレいやだという人はブラウザバック推奨です。
・オーコメ等を見る前
1日目は現地参加どころか
何も知らない状態でDay2に参加しようと思い
リアルタイムで配信すら見ていませんでした。
しかし、ライブ終演後のTLに流れてきた「不穏」や
「シャニマス終わるのか…」というツイートを見て
これは明日にもつながる可能性が十分にあると確信し
急いでアーカイブを購入しDay1を視聴しました。
内容に関して言えばセトリは今までにないくらい最高
・Hide&Attackは和楽器による生演奏付き
・今しかないこの瞬間の制服ノクチル
・Fashionableでのバックダンサー…
正直、挙げだしたら切りがないくらいでした
ただ、素直にこれを喜べなかったのは
・冒頭の社長とはづきさんの会話
・曲間に流れるアイドルたちのセリフ
・最後の不自然な退場の仕方
こういった演出から感じたことは
自分も「アイドルたちの終わり」
もっと言えば「シャニマスの終わり」というものを感じました。
ただ、この日の曲からは終わらない、終わりたくない
という気持ちを感じました。
・オーコメ等を見た後
2日目のライブに参加したことで
やはり1日目は終わりを表現しようとしていたということを
感じましたが、やっぱり公式の言葉が欲しいと思い
24日の高山Pのコメント付き同時視聴会
25日のキャストによるオーディオコメンタリーを
見ました。
24日の同時視聴会については途中までしか見れませんでした。
翌日が朝早くから仕事というのと個人的に演出以外で
見ていられないと思うところがあったため見るのを止めてしまいました。
そして翌朝、有志の方が高山Pのコメントをまとめてくださっていて
そちらを見ました。
最初に思ったことは高山Pを中心とした制作陣は
こことは違う世界で283プロのアイドルたちは
日常を過ごしていると思いながら制作してると感じました。
自分が消費者側だからというのもあると思いますが
やっぱり自分はあくまで
画面の向こうの存在=当たり前に変わらず存在するもの
という認識でシャニマスを遊んでいます。
しかし制作陣は高山Pの言葉にもあった
「アイドル達がアイドルを選ぶことは決して当たり前ではない」
というところから、アイドルたちは現実に存在していて
日々色々な選択をしながら過ごしていると考えながら
シャニマスという作品を制作しているのではないかと思いました。
そうでなければ、この言葉や考え方は出てこないのではないかと
自分個人は思いました。
・まとめ
このライブを通して自分が強く感じたことは
「当たり前というものは永遠に続くわけではない」ということでした。
シャニマスは2018年から始まり1stライブを終え、2周年を迎え
3年目に向かって羽ばたこうとしたときに訪れたコロナ禍。
予定されていたスプリングパーティーは中止に追い込まれ
2ndライブも1年延期され、やっとできたライブは無観客。
そしてお客さんを入れられるようになっても声出し不可。
さらに緊急事態宣言による再びの無観客。
ライブ以外でいえば、担当アイドルのキャスト変更。
自分は、このシャニマスを通して様々な形で
当たり前なことは簡単に崩れていくということを経験しました。
そしてシャニマス単独公演でのひさしぶりの声出し解禁というライブで
また、当たり前だった日々が戻りつつある中で開かれたDay1の
アンコール前に披露された曲「Resonance+」の歌詞。
こういった、いろいろな重なりから
このような感想を自分は抱きました。
正直、今回の演出は賛否が分かれても仕方がないと思います。
悪いところもあったけれど、大切なことは伝えようとしていたなと
この1週間で自分は思いました。(ほんと伝え方はどうなんだ…とは思うが)
賛否分かれる中で自分はこういう感じ方をした
ということを何かに残そうと思って書きました。
ここまで、お付き合いいただきありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?