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認知症の母がホームに入るまで③~孤立感

免許を返納した後母の行動範囲がかなり限定されることは予測がついた。幸いなことに母の住む実家には、本数は少ないがバスで乗り換えなしで行くことができる。車の無いわたしは今までより頻繁に実家に行くようにした。

それでも毎日行けるわけではないから、わたしは母の徒歩圏内で親しい友人がいれば、と考えた。母は道端で会えばおしゃべりする程度の知り合いはいたが、それ以上に親しい友人はいない。母はプライドが高く気難しい。表面上はにこやかに話をしていても、大抵の人を母は気に入らなかった。そのため周囲の人との間に距離を置いているように見えた。


それでも一日中誰とも話をしない日がある今
、きっと寂しいに違いないし、その寂しさから人恋しくなってもいるだろう。互いの家を行ったり来たりする友人がいれば母の生活にも張りが出るのではないか、と考えたのだ。

わたしは情報を集め、地元の高齢者施設がやっている手芸サークルに目を留めた。手芸は母も好きだし、始めやすいと思ったからだ。田舎のサークルで生徒は近所の人が多いだろうし、その中から友人ができるかもしれない。母にそのサークルの話をすると、すごく乗り気というわけではなかったけれど、まあ、行ってみようか、という感じだったのでさっそく見学の申し込みをして出かけた。

会場に着くとまだ部屋は開いておらず、廊下に母と同じような年代の女性が十数人、2、3人のグループを作って談笑していた。わたしはその中に隣の中村さんの奥さんを見つけた。中村さんの他にも見たことがあるご近所さんも何人かいた。

わたしはホッとした。中村さんは母より7、8才年下で、近所では最も懇意にしていた人である。めったに人を褒めない母が、「中村さんはいい人だ」と言っていた位だ。わたしが実家にいた時も、母と中村さんがどちらかの家の庭先で長時間話し込んでいるのをよく見かけた。

(中村さんがいてくれれば、このサークルにも馴染みやすいだろう)とわたしは期待を寄せた。しばらく中村さんを見ていると、彼女もふとわたしの方を見た。わたしは笑顔で軽く会釈をした。

しかし彼女はわたしに気がつくと、なぜか怪訝そうな表情を浮かべた。そして視線を移して母を見た。その瞬間わたしはドキッとした。哀れなものを見るように母を見て、慌てて視線をそらしたのである。そしてわたしたちとは真逆の方向を向き、話に戻っていった。
その様子にあっけにとられて母を見ると、母は怯えたように廊下の隅で縮こまっていて、目は悲し気に中村さんを見ていた。
やがて部屋が開き皆が連れだって入った。母はどうしようか一瞬迷ったようだったが、肩を落としながら部屋に入って行った。

教室が終わり、皆がガヤガヤと部屋から出てきた。廊下で待っていたわたしは、一人で出てくる母のしょんぼりした姿を見て全てを察した。中村さん以外にも顔見知りが何人かいたにも関わらず、母に話しかける人はいなかったのだろう。帰り際も誰にも挨拶すらされなかった。その時母も感じているであろう孤立感をわたしも感じていた。

母と二人で歩きながら、どうして中村さんや皆があのような態度をとったのかをつくづく考えた。母はこの頃同じことを何度も話すことが増えた。わたしはその度に同じ返事を繰り返す。身内でも度重なるとうんざりするのに、赤の他人であればそれは苦痛だろう。それにもしかしたら前々回書いたように、母は何か被害妄想をして誰かにひどいことを言ったのかもしれない

周囲の人たちと最低限のコミュニケーションさえとれない現状を見て、わたしは母はやはり認知症なのだろうかと思った。薄々そんな気がしていたが認めたくなくて、年のせいだろうと無理にその考えに蓋をしていたのだ。わたしはこの状況を少しでも改善するにはどうすれば良いか調べ、市役所に相談することにした。



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