#065 歩かされない
旅の話の続き。
アントファガスタを出発して6日目、想定していなかったことに雨がパラパラと降ってきました。雨の用具を何も持っていなかったので一時どうなることかと不安になりましたが、すぐに雨は止んで事なきを得ました。
そして、雨のあがりの沙漠に虹がかかりました。
後で調べてみると、この地域の年間降水量は48mm。最も降水量の多い6月でも8mm。沙漠と言えども雨は降るのですが、この降水量では植物が生育できないようです。
■
この頃、朝の冷え込みが厳しくなり、朝の寒いなか起きて歩き始めるのがつらくなってきました。朝ゆっくりすることもできたのですが、ゆっくりした分一日の歩く距離が如実に短くなりました。朝ゆっくりした分、夕方挽回して暗くなっても歩き続ければいいと思い試したこともありましたが、暗くなってから歩いているとなかなか距離が伸びません。
暗い中歩くことで交通事故の危険があるということもありますが、暗い中歩いていると「歩かされている」という強迫観念に囚われそうになり、精神的にも良いことがありませんでした。
■
一方で、朝早くから歩くと、太陽からのご褒美がありました。朝早く起きてテントをたたみ荷物をまとめて、すぐに歩き始めます。そして、太陽がのぼり、体に日差しが当たり始めると、その日差しが冷えた体を暖めてくれます。その瞬間が何とも気持ちいいこと。
日差しが当たり始めて少し暖かくなったころに、朝ご飯を食べるようにしていました。たまに、そのタイミングで道端にトラックが止まっているのを見掛けたときは儲けもの。といっては失礼なのですが、車を止めて朝ご飯を食べている人は、ほとんどホットコーヒーを持参しているので、それにお呼ばれしていました。
■
「歩く」という単純なことでも、自ずから主体的に「歩いている」という場合と、強制的に「歩かされている」という場合があります。「歩く」という単純なことだからこそ、強制的に「歩かされている」という場合には、すぐに面白みのなさが分かります。
今改めて振り返ってみると「我慢して」歩いていたという記憶はありません。確かにしんどい時もありましたが、「歩かされている」という思いを抱いたことはありませんでした。
あくまで主体的に動くこと。強制的なmustやshouldを取り除いていたことが、歩き続けることができた秘訣なのかもしれません。