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#070 旅で得たもの失ったもの

旅の話の続き。

思い出深いタルタルの町を出てからは、しばらく感傷に浸っていました。寂しさもあったせいか、歩くことに気分が乗らず、荷物もいつも以上に重く感じていたのですが、歩き始めると、そんなことは関係なく、次から次へとチリの人たちがやってきて、そんな気分を吹き飛ばしてくれました。


歩き始めるとすぐに、この先のラ・セレナという町に住む老夫婦に再会しました。10日ほど前に、この夫婦がカラマという町に行く途中に一度出会っていたのです。カラマは世界的な硝石の産地で、日本にも輸出しているとのこと。

そんな夫婦が地元ニュースを教えてくれました。それは、チリ北端の街アリカから首都サンチアゴまで自転車で走ったチリの人が現地のテレビ番組に出演して話題になっているとか。思い返してみると、やたらとクラクションやパッシングをして通り過ぎる車が多かったのも、この番組が関係していたのかもしれません。


通りがかりの人たちに声を掛けてもらえることはありがたいことなのですが、少し困るときもあります。それはトイレをするとき。

小さい方はともかく、大きい方をするときは人目のつかないところを探すのですが、ここは沙漠。隠れる岩も何もない時には、道路の路肩に荷物を置いて、出来るだけ道路から離れただだっ広いところでするのですが、作業中であっても容赦なくクラクションを鳴らしてきます。そんなときは、しゃがんだまま手を挙げて応えることで精いっぱい。たぶん、運転手もクラクションを鳴らしながら、笑っていたことでしょう。


この頃になるとだいぶ歩く旅に慣れてきたのですが、その反面、日本に帰ることに不安を覚えるようになっていました。自分はただ歩いているだけで、何も変わっていない。日本にいる友人たちは毎日忙しく勉強したり仕事をしたりして過ごし、変わっていっているのだろう、と。

沢木耕太郎の「旅する力」の一節に次のような言葉がありました。

「私が旅で得た最大のものは、自分はどこでも生きていけるという自信だったかもしれない。(中略)しかし、それは同時に大事なものを失わせることにもなった。自分はどこでも生きていくことができるという思いは、どこにいてもここは仮の場所なのではないかという意識を生むことになってしまったのだ」by沢木耕太郎「旅する力」

沢木耕太郎のこの一節は、言葉にできなかった思いを上手く表してくれていると思います。それとともに、自分の居場所を放棄して旅に出ることに何の意味があるのか、新たな疑問が湧き出てきました。

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