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#018 熱中できること
旅の話を綴るにあたり
当時書き留めていた日記を
読み返しているのですが
20年たった今と
同じことを考えていることに
気がつきました。
それは
自分が熱中できることは何か
ということ。
自分の好きなことに
熱中している人は格好いいし、
何より楽しそうだと思うことがあります。
でも、好きなコトをしていいよ、
と言われてもパッと浮かんでこないし、
逆に好きなコトが見つからないことで
自分を責めたりしたこともありました。
長渕剛のMyselfの曲の一節に、
『夢はなんですかと聞かれることが
この世で一番怖く思えた』
まさにこの心境でした。
それから20年前たった今でも
未だに何に熱中できるか分かりません。
ただ、このままずっと同じ問いを回しながら
ずっと生きていくのか、と考える一方で
既にあるのに気付いていないだけ、
目の前にあるのに言葉にできていないだけ、
なのかもしれないとも思い始めています。
熱中できることは
常に存在し続けるものではなく
時々に生まれては消えるもの。
常に熱中できるものなど
見つかることはない。
でも、一時であっても
間違いなく目の前にある。
自分にとってはそういうもの
かもしれないと思い始めました。
振り返ってみると
同じ事をしたり、同じ本を読んだりしても
ハマるときとハマらない時があります。
時間や環境の変化によって
興味や感心が移っていくことを考えると
そこまで悩むものではないことのようにも
思えてきました。
20年前の自分に伝えるとすると、
今興味があることに熱中するしかない
という言葉かと思っています。