![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/169971440/rectangle_large_type_2_fa61af06f4d7abf2a9e0f24d54671fa9.jpg?width=1200)
つまらない人間になったことに気づきました。
小さい頃人魚になりたかった。
人魚になって孤独の海を泳ぎたかった。
家族も。友達も。娯楽も。
全て捨ててもその代償に見合うものが海の底にはあった。
それは「存在」だ。
私が「人魚」という事実。人魚という異形。
美しい異形であることが何よりも幸福で変え難い憧れだったのだ。
だからよく人魚の絵を描いた。
美しい異形のお姫様を。
同級生からは気持ちが悪いと言われた。
ディズニーの人魚姫は見るくせになんなんでしょうか。
都合がいいですね。
でも存在に対する憧れは誰にも止められない。
存在とはその人をこの世界に繋ぎ止めてくれる唯一の生命線であると思う。
もしくは栄養を循環させるための臍の緒である。
世界が私に存在意義を与え、私はその世界に関与する。
そんなのただの都合の良い幻想ではあるが、そうして自分を保っているのがAO入試や課外活動家、起業家界隈。
そして私も自分が落ち着く#をつける。
しかし、それも虚飾にすぎない。
その言葉の意味を最近考えているだろうか。
形骸化していってないか。
私という存在を形作る外壁の言葉に依存していて中身が伴っていない。それが空虚な今の自分だ。
過去に考えたことに囚われるな。
今、私は何を思うのか
何がしたかったのか
問い続けろ
思考を止めたらそんじょそこらの奴と一緒だ
そこを突かれたらもう泣くしかない。