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愛に近い場所

またまた、米粉のパウンドケーキを焼きました。今回は、砂糖を入れずに、メープルシロップだけにしました。油は、米油です。


こんにちは🌻

noteを読んで、あなたの普段の生活のなかで、感じたこと、思ったこと、日々の出来事を聴かせていただいて、楽しいひとときを過ごしています。
ありがとう🍀

次男の食事などのケアに、いささか疲れも出ていましたが、この頃、少しだけ心にちょっとだけ、余裕が生まれてきたのを感じます。

この前、NHKの番組「病院ラジオ」を見ました。わたしは、この番組が大好きなんです。この番組で、サンドウィッチマンさんのファンになりました。毎回見てて、思うのは、病んでおられる方々への、このサンドウィッチマンさんの寄り添い方が素敵だなと思います。

そして、病んでおられる方の家族から、いたわり合う愛、互いを思いやる愛を、たくさんの深い愛を、番組から思わされるんです。

前回の番組では、中学生くらいの女の子が、病気のお兄さんを思う気持ち、将来は、医者になりたいと言った彼女、家族のところへ戻ったときの涙・・・・・。

元気にしているとわからないけれど、家族とは、とてもたいせつな存在なんだなあ、と。わたしには、今も健在の両親、妹がいるけれど、遠方にいて、今はなかなか会えないけれど、これまで過去に、この番組に出てくるような姉妹のいたわり合い、優しさなど、なかったと思わされる。

夫は、わたしに初めて会ったときの第一印象は、「冷たい人」だったという。それを聞いて、わたしは、驚いた。それなりに、優しいし😅、優しくもするし、感情も激しいし、なぜ❓❗️と不思議に思っていた。その理由がわかったのは、ここ数年前からである。この、病院ラジオに出てくるような、慈しみ、愛、相手をいたわる心などが、わたしには、ないなぁとわかったのです。

病院ラジオ、(わたしも、病気を患っています)本当に、病気と闘っておられる患者さんの苦悩は相当なもので、わたしにも想像つかないものもあると思う。でも、この家族間の熱い温かいやりとりが、映し出されると、その場面は、愛で溢れていて、幸せそうに見えるのです。こんなこと、軽々しく言って、不快に思われたら、本当にごめんなさい。車椅子や、ベッドのまわりに集まり、寄り添う家族。

数年前、出会った星野富弘さんの詩を思い出すのです。

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喜びが集ったよりも
悲しみが集った方が
しあわせに近いような気がする

強いものが集ったよりも
弱いものが集った方が
真実に近いような気がする

しあわせが集ったよりも
ふしあわせが集った方が
愛に近いような気がする


🏠   🏘        🏡


わたしのような小さい者が、こんなことをここで言って、不快に思われた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。

この詩は、本当にそうだなあと思いました。心に残っている詩です。

そして、自分自身のことも思い出します。わたしは、8年前と9年前に、2年続けて、夏に足の手術をしました。そのときは、周囲の人と自分を比べて、なんで自分だけが、と思っていました。遠方から、両親が子どもたちをみるために、来てくれました。わたしが気持ちを吐露すると、母が

「後で今が一番幸せだったって思う日がくるから。あの頃はよかったなあと、思い出す日がきっとくるから。」

と言いました。当時のわたしは、そんなこと思えるわけない、と信じられませんでした。しかし、8〜9年経って、本当に、『あの頃はよかったなぁ。父と母が泊まりに来ていて、病院の談話室で、子どもたちとみんなで、お茶を飲んだり、母が作ったお弁当を食べたりして、楽しかったなあ』と、思い出しているわたしがいるんです。

ずっと帰ってなくて、父母にもずっと会ってなくて、なかなか帰れなくて、あの日々のように、お茶やお菓子、お弁当でみんなでテーブルを囲むことは、なかなかできない。

当時のわたしは、病院で、車椅子に乗り、何をするにも看護師さんのお世話になって、普段はわからない気づきも与えられたけど、家族との、そのかけがえのないひとときをそこまで、幸せな時間だったと、あの頃は、わからなかった。ただ、自分の身体のことでいっぱいだった。

病院ラジオ、毎回見るたびに、感動して泣いてしまう。サンドウィッチマンさん、番組を作って下さっているスタッフのみなさま、本当にありがとうございます。