終
鏡への私信(或いは自己批判)
お前にはうんざりしたよ。何も知らねえくせに知ったような御高説を聞かされるのはもううんざりさ。考えていると自分で宣いながら、結局やっていることは他人の思想の剽窃と引用じゃないか。それを恰も自分のことのようにお喋りなさるのはどうかと僕は思うね。ひいては学問的な素地も持たず、誤読に誤読を重ねて適当なことしか言ってないというんだからお笑いさ。恥を少しでも知っているのなら、赤面は免れないよ。勿論、獣のような君のことだから、そんな恥も少しも無いんだろうけど。
強いて言うなら、「勉強」なんて言うのはやめてほしいね。君がやっているのは、どこまでも膨張した自尊心の自慰行為にしかなりえてない。まあ、僕がこう言ったところで何とも思わないんだろうけれど、君がやっていることは思想の強姦なんだってこと。はっきり言って迷惑なんだ。他人の糞の後始末を負わされた人間の気持ちが、君には分かるまいね。
何も、僕は君の人格を批判しているわけじゃない。僕が俎上に載せるのはいつだって「行動」さ。心理じゃないし、精神なんかじゃない。少しでも学のある人間なら、そんな馬鹿げたことはしない。
君は何も知らないのさ。知っていると思えるほどの自己懐疑に陥ったこともなければ、過剰な自己分析を行ったこともない。それで批判者を作らないから、益々自分のことを知識人だと傲慢にも思い込んでいく。本当に君はショーペンハウアーを読んだことがあるのか、僕は問い糺したくなるよ。言わなくて結構。君は読んだことがないんだ。そうだよね?
ところで、君がよく引用するところのニイチェ────ニイチェは良い試金石だったよ。全く分かってない人間を炙り出すには、かれに限るね。かれをよく読んでいる人間なら、ニイチェを矢鱈と引用したりなんかしない。自分の体験で語るものなんだ。なぜなら誰もニイチェの声で語ることができないからさ。死人の声真似なんて、どんなに馬鹿げたことか言うまでないだろ。だから自分の声で語る。「考えられた」思想よりも「生きられた」思想の方がよっぽど説得力があるんだ。知ってたかい? ごめん、知るわけないね。
その点君は清々しいほどに無遠慮だったよ。無学がよく分かる野蛮さでニイチェを荒らしていった。泣かせるね。ニイチェの警句は真面目に受け取られなかったわけさ。まあ、彼が見越していたことでもあるけれど。
────そろそろ終わりにするけれど、最後にこれだけ言わせてもらうね。
口を慎め、この恥知らずめ。
さようなら
何者でもないくせに、何者であるかのように語る人々にうんざりしている。そして私の文章には「何者か」がいた。文脈においてしてか生きながらえない「何者か」が。笑わせるだろう?
それでは、さようなら。
夜道の黒服には気をつけろ