まどみちおさんについて
まどみちおさんは有名な詩人である。
ぞうさんややぎさんゆうびん、一ねんせいになったらなど馴染み深い作品は多い。
それは童謡などの作品に伺えるように子供向けにつくられているようにみえる。しかし創作の意欲は政治・経済・戦争・教育などの不満からであるらしい。
詩人が詩作をするとき、深層心理や人生観、コンプレックスや不平不満、芸術的センスと学問的教養は切っても切れない関係にある。
端的にいえば人間性が全ての創作活動ともいえる。
まどみちおさんは愛の研究者だったといえる。その愛は大きくて、人間への愛、動物(人間以外の生命に対する愛)への愛、無機質に対する愛へと昇華している。
それは先ず動物や虫などに注目して、詩作していることにも分かる。まどみちおさんは純粋なる愛をテーマに模索を続くていたのかもしれない。
人間は人間を愛する。それはお互いを愛することができるからだ。しかしそれが一方的(片想い)になると永遠性を失い兼ねない。
失われた愛は、時に憎しみや怒りに変わる。人間の愛とは、ある条件を満たした時にしか発生しない。そしてそれは個人的には裏切られる運命を背負っているようである。
人間をテーマに愛を語るには、人間は不完全過ぎるのだ。
動物に対する愛は、人間よりも普遍性が高い。まどさんは、それを詩作によって実験していたのかもしれない
しかしまどみちおさんは、人間の愛や動物への愛をしっかり見つめ、愛することを続けた人だ。その中で無機物に対する愛は違うことに気づく。それは愛したいというより、愛されたいという気持ちだという。
太陽を愛したい。空気を愛したい。大地を愛したい。山や川を愛したい。ではなく、無機物には愛されたい気持ちがある。という気質の違う愛に気づいた
受け身の愛をどうとらえるべきか
それは対象がとらえ辛いものだからこそ、見落とす盲点でもある。無機物からの見えない愛に対して、満たされ感謝する姿勢は、愛を見失いつつある現代人にとっては不思議な感覚だろう。
しかしその理不尽なる人間の愛ではなく、愛犬や愛猫、その他の動物に対する純粋な愛情を理解できる人は増えてきている。
それは人間の本質に愛したい願望が根っこにあるからである。
そして無意識のところで無機物にも愛されている安心感も同時に感じている。
その無機物に愛されてたいという人間の可能性について人類は認知革命をしなければならない。そしてその無機物なるロボットやAIに対しても、宇宙のパワーに関しても、恐怖だけでなく愛の理論をもって理解しなければならない。
それを詩作なり生き方で示したのが、偉大な詩作まどみちおさんの人生だと思う。