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Winnyを潰した日本 YouTubeを残したアメリカ

 先日のnoteでは、日本の経済成長のためには、起業家精神が大切だという記事を書きました。日本人は企業に入社することばかりを考え、自分で起業する数が少ないことで、日本の経済成長は停滞しているという趣旨でした。特にここ数十年アメリカではMicrosoftや、Apple、NVIDIAなどのIBMに代わる情報産業の巨人が誕生したことと日本の状況はあまりに対照的です。
 しかし、日本にも全く起業家がいなかったかというとそうではありませんでした。今回の記事では、その数少ない日本の起業家がどのような末路をたどったかを深堀していきます。

 昨年2023年春「Winny」という映画が公開されました。
その映画は、2000年代にファイル共有ソフトWinnyを開発した情報工学者の金子勇氏が、そのWinny内で起こった著作権侵害事案を幇助したという罪で京都府警に逮捕された実話を描いたものです。
私もこの映画を実際に映画館で観ましたが、金子勇氏を演じる俳優の東出昌大さんの迫真の演技に魅了されました。この映画を見ると、東出さん演じる金子勇氏は本当に純粋な研究者なのだと感じられます。
そして、その純粋な研究者が何の悪気もなく作ったソフトウェアが、結果として悪用されたわけですが、その責任の矛先を京都府警は金子勇氏に向けたのです。本来映画内の金子勇氏の弁護士が主張するように、「包丁を使用した殺人事件が起きた場合、包丁を製造した職人に責任があるのではなく、包丁を殺人に使用した者に責任がある」はずです。この論理で行くと、本来逮捕すべきはWinnyを著作権侵害に使用した者であり、開発者の金子勇氏ではないはずです。ですが、結果として金子勇氏は警察に逮捕され、虚偽自白まで取られ、7年半もの間裁判は続き、無罪にはなりましたが、彼はその精神的なストレスからか43歳の若さでこの世を去りました。映画館内で私の付近に座っていた人の中には、彼に対する警察のあまりの不憫な扱いに涙する人もいました。

 2000年代の日本では、他にもオン・ザ・エッジ創業者の堀江貴文氏が粉飾決算で逮捕され、また2ちゃんねる管理人の西村博之氏が、2ちゃんねる内の誹謗中傷の書き込みを放置した件で、裁判を起こされ、多額の賠償金を請求されるなど、ソフトウェア開発者に対する世間の風当たりが強くなりました。もし金子勇氏が逮捕されなかったとして、Winnyが現在のGAFAMが提供するような素晴らしいサービスになったかどうかは分かりません。しかし、これらの一連の事件から日本のソフトウェア開発者は委縮してしまったのではないでしょうか。
誹謗中傷や著作権侵害など少しでもサービスに粗が見つかり、お上に目をつけられると逮捕されるかもしれないと考えた賢いソフトウェア開発者は、日本でサービスを提供しなくなる。その結果、情報の民主化が世界のコアテクノロジーである2000年代に、日本は世界に通用するソフトウェアサービスを生み出せず、どんどん世界経済における存在感を失いました。一方で、同時期のアメリカでは、FacebookやYouTube、WhatsAppが誕生し、これらのサービスはSNSの中でもアクティブユーザー数の多さで世界1~3位を取る巨大サービスに成長しました。YouTubeの親会社はGoogleであり、WhatsAppの親会社はFacebook(現Meta)であることから、先の3つのサービスの成長はそのままGAFAMの成長につながり、ひいてはアメリカ全体の成長につながります。
YouTubeもその誕生初期は、著作権侵害が横行していました。また、マーク・ザッカーバーグが最初に立ち上げたFacebookの前身ともいうべきFacemashは、大学内の女子学生の顔写真を比較するサイトという下品な形でリリースされました。どちらも倫理的に問題があるサービスであったかもしれません。YouTubeは設立当初から著作権侵害の訴訟を抱えており、マーク・ザッカーバーグはFacemash立ち上げに関し、大学側から処罰を受けました。もちろん、YouTube側もFacebook側も先のような問題が起きないよう、サービスに改良を加えるなど様々な対策を打ち続けたことは事実です。しかし、アメリカではそれらの開発者が警察に逮捕されることはありませんでした。他にも、アメリカではWinnyと同様のP2P技術を用いたファイル共有ソフトのNapsterがリリースされ、そこでも著作権侵害が横行し、訴訟が起こされ、Napsterのサービスは停止しましたが、その開発者が公権力に逮捕されることはありませんでした。ですが、Winnyに関しては、公権力によって著作権侵害への対策を打つ機会すら与えられませんでした。
重要なのは、公権力の介入です。YouTubeにしても、Facebookにしても、Napsterにしても、民事訴訟や大学からの処罰などはありましたが、いずれも民事の範囲です。一方で、Winnyに関しては、警察という公権力の介入がありました。ここが自由の国アメリカと日本の違いでしょう。その結果、Winnyは潰され、YouTubeやFacebookは生き残り、先述の通りYouTubeやFacebookは巨大サービスに成長しました。

 では、日本はここからどうすればよいのでしょうか。端的に言えば、日本人はサービスに対するマインドを変えるべきだと私は考えます。ここからは、このマインドに対する私自身の考えを説明してこの記事を終えたいと思います。日本人は元来完璧主義的で、失敗を嫌うマインドを持っていると私は考えます。失敗を嫌うからこそ、先日の記事でも述べた通り、日本人は起業せず大企業に入社することを選ぶのだとも思います。もちろんこの日本人的マインドが役に立つこともあります。特に自動車産業ではこのマインドが如何なく発揮されました。自動車の製造に失敗は許されません。自動車は部品が直ぐに欠けるなど安全性に問題があれば、乗る人の命に関わります。だからこそ、自動車は完璧主義的な日本人が製造するにふさわしく、安全性や低燃費を武器に、日本車は自動車業界の頂点に君臨していたゼネラルモーターズや、フォードを打ち落としていきました。現在も自動車販売台数においてトヨタ自動車が世界1位の座を死守していることから、日本人は自動車製造に強いといえるでしょう。
しかし、情報産業では全く別の次元に入ります。マーク・ザッカーバーグの「Done better than perfect」という言葉が情報産業において重要なマインドを端的に表していると私は思います。YouTubeやFacebookのように、情報産業のサービスは、必ずどこかに粗があり100%完璧なサービスはありません。逆に、完璧さを追求しすぎてリリースが遅れてしまえば、他社に先を越され、プラットフォーマーとしての地位を奪われてしまいます。この情報産業の分野においては、失敗に寛容で多少の粗があっても前に進めるアメリカ的なマインドが役に立ちました。Winny事件やライブドア事件などで、日本がもたもたしている間に、アメリカでは次々に多様なインターネットサービスが生まれ、現在のインターネットサービスのほとんどはGAFAMを中心としたアメリカ企業に牛耳られています。

 そもそもこの激動の現代において、100%完璧なサービスは生まれ得ないでしょう。現代は、過去の天才達が電気や電話、自動車など明らかに人類を前に進めてくれるであろう製品やサービスを開発し尽くした状況での競争になります。このような時代においては、49%は人類にとって有害かもしれないが、51%は人類をさらに前に進めてくれるような有益なのか有害なのかの判別が難しい製品やサービスこそが求められるでしょう。情報産業におけるサービスはその最たる例です。49%有害な部分があるから、その製品やサービスのすべてが有害であると切り捨てることは悪手だということです。そのため、この情報産業が主流の激動の現代において、行き過ぎた完璧主義は捨てて、多少の粗があっても有益な部分があるのなら前に進めるマインドが必要になるでしょう。


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