おはよう

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浜村城跡を指す石碑

丹後国舞鶴の浜村城跡から

舞鶴市役所の隣にある夕潮台公園(ゆうしおだいこうえん)が戦国時代に浜村城があった場所とされてます、、入り口「浜村城」の石碑が
城主は三藤外記や、桜井豊前守が併記される史料が多いそうですが、日本城郭大系では天正3(1575)年頃はまだ桜井氏が城主を務めていたと考えられる。
その天正3年には織田信長が越前の一向一揆勢と争いますが(この戦いの後、柴田勝家が越前支配を行います)、その戦いにも桜井氏は丹後守護だった一色義道と共に舟師を率いて参戦したとされます。
一色氏はその後、信長と対立し滅ぼされますが、桜井氏は豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦い(1583年)では秀吉方の武将として活躍したとされます。
ただその後の秀吉政権下で、桜井氏がどんな仕事を行ったのか。またこの浜村城がどんな運命を辿ったのかなどは不明のようです。
時は流れ明治期になると、この一帯には大日本帝国軍の舞鶴鎮守府が置かれ、浜村城のあった山も大きく姿を変えることとなります。海軍の軍舎が100軒近く並んだそうで、以来、山も官舎山(かんしゃやま)と呼ばれるようになったそうです。


堀切の跡かな?
何段かの曲輪の一つ一つに公園として整備


現在も山には第二次世界大戦時の防空壕の跡が残されています。
ただ城山には郭と思わしきあとが数箇所確認できるほか、今でも郭上から海上自衛隊の艦船を見ることができ、往時から湾内を監視できる城として重要視されていたことが伺えます。
公園化されていますが、訪問時はほとんど人がおらず、自然も豊かで多少薄気味悪さを感じるくらいに静かな場所です。

海沿いの また赤レンガなど 海軍の歴史プンプンの街並みに残る戦国期の歴史の足跡を散策した記録でした

ここで歌った僕の歌聴いてね

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