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早めの配慮の重要性
我が家は毎日大変です。
朝から晩まで、ワーキャー言いながらいろいろなことが起きるため、毎日頭を悩ませています。
最近、娘は、忘れ物が非常に多く、毎日何かしら忘れてきます。
特に宿題を忘れてくる時などにおいては、次の日に提出することができなく、色々と話をしながらも解決やなかなかできない状況もあります。
学校での生活環境や学びについて大丈夫なのかなと心配する場面もあるところです。
我が家でも、これまでの私の経験を踏まえ、実践で自分の子供にも以下のようなことをやって進めているところです。
家庭なので、教育や学校現場と言うところでは無いですが、自分のことと思い、自分へのメッセージとも含め発信させていただきます。
何か伝わることができればいいなと思っているところです。
そんなこんなで本題でございます。
(以下は、あえてのいいきりとしています。書き方が違うため、ご承知おきください。)
近年、障害や困難さのある生徒さんの進学がいろいろな形で注目されている。新聞等でもその辺の記事が見られるようになっている。
一方で、その辺における当事者に関連する支援についての課題が大きくなってきている。
理由としてもあるのは、どのように対応したら良いかがわからないと言う現場の声として大きくなっている。
障害等における支援について学んできている教員の方々は、多いわけではなく、一般的な教育支援や教育方法については多く学んでいる方が多い。そのため、どのように伝えていくのか、どのように教育していくのかと言うことについては、ノウハウを理解し、実践するまでに、相当数な時間や経験がかかるのがポイントになってくる。
それらのことを踏まえて、いくつかの項目として必要とされる案件について書いていきたい。
①当事者へののアセスメント
これについては、教育をする以前の課題となるところであるかなと思う。例えば、対象となるこの状態がどのような状況なのかと言うことを具体的かつ詳細に理解する必要がある。
そのため、丁寧に話を聞いたり、観察をしたりするなどしながら、進めていく必要性がある。
アセスメントは、かなり具体的に見なければならないところもあるので、根気強く進めていく必要があると思う。また、表情や行動、本人の気持ちなど、いろいろなものも含めて把握する必要性があるものなので、本質を見抜く部分も大切なのかと感じている。
詳細を語りたい・・・。語れば、数日かかってしまう思う・・・。
②必要とされる支援を考える
アセスメントを行った上で、重要となる事は、必要とされる支援を考えることである。必要のないものの支援を入れる事は全く意味がなく、誰にとっても幸せにならず不幸となるものである。そのため、何が必要なのかどのような場面で必要なのかを適切に捉え、本人に必要とされるものを選び、本人に選択してもらうことが重視される。よくあるのが、こちら側が一生懸命選びすぎて、本人がそれを拒否することによってなんで使わないんだとイライラしてしまう教育者が多いのは確かである。本来本末転倒なことである。
使いやすさは誰が選ぶかと言えば、使う本人が選ぶのである。よって、選びすぎてしまうよりも、ある程度の大枠の中で選んでもらい、様々な支援を使って選んでもらえるような方法を取ることができると安心が増えるのではないかと思う。
必ず全てが1回で整うというのはまず不可能なことである。よって、いろいろなことを試しながら調整すると言う余白や余裕を持つことが適切な対応を産む1つの方法ではないかと思う。
③実際の支援
実際に支援支援などを進めていくところで、確実に陥るのは、1回や数回でうまくいくと思っていることである。
実際に、導入する中で、学びの方法や対応の仕方等について色々と進めていくことが大切なことではある。どのように勉強するのか、どのようにノートを取るのか、どのように理解をしていくのかなどなど、それぞれの学びの捉え方やまとめ方、理解の仕方などは異なってくるものである。
それぞれに学び方は大きく異なることから、それぞれのやり方や方法等についても適切な方法をとっていくことが大切になる。特に、障害等の個別的な課題のある方々にとっては、方法も多様になってくる事は確かである。
そのため、当事者に合う方法を見つけていくことにおいては、相当な時間と相当な体験や経験が必要となってくる。環境が変わることによりこれまでできていたことも全くできなくなることなども容易に存在する。
よって、アセスメントのときにはできていると言う認識になっていることもあるが、環境の変化があることによって、これまでできていたことが困難になると言うことも大きくある。その状況において臨機応変に対応ができるような支援の方法の提供ができるようにする必要性がある。
型はまった支援や対応についてでは、全く意味がない状況になることもあるため、アセスメント等で見ていた状況を中心とするのではなく、そこは基本部分として考え、それをもとにより良い学びの環境ができるように調整することが大切になってくる。
以上の3点については、基本的なところになってくるため、状況把握をしっかり進めて対応していくと良いのかなと考えている。
しかし、これ以外にも、個別での支援の計画(個別支援計画)や就学支援における合理的配慮の求め方等についても、当事者並びに教育を進める教員の方々や、その周囲に関わる人たちにおいても知っておいてもらえると、とても学びやすく、生きやすい教育環境が作られていくのではないのかなと思っている。
ちょっと経験をした、おやじのひとことでした。
追記 2025.2
④支援者としての経験
経験した上での反省と、次への1歩について
高等教育機関における、修学支援に関連する内容については、2015年以降多くの大学で対応が進んでいることもある。業務として行っていると言う事は、確かにある。ノートテイクや支援機器の活用などの合理的配慮の提供は進められているなど法律に乗ったものに関しては進められている。
一方で、どのような支援が具体的に行われているかなどは明記されていない。正直、ある程度の本人に寄り添った支援を行うと言う事は進められていることがあるが、どうしても指導的立ち位置になってしまう。そのような支援者などが多くいるため、窮屈になり、高等教育機関そのものから遠ざかってしまうと言うのもよく聞いているところである。
そのため、あくまでも支援者は伴走であり、サポートでありと言うところを大切にし、指導者である必要はないと言う自身の気持ちがある。
私も苦い思いがあり、指導するつもりがなくとも、本人がそのような気持ちを持ってしまった際に、そこに亀裂が走り、学ぶ習慣と言うものに対しても亀裂を生んでしまったと言う苦い思い出がある。
よって、あくまでも相談をしていく職人としては、指導を目的とする事は避けるべきだと感じている。
寄り添いながらも、共感しつつ、どんな方法があるかを一緒に探りながら、方法の選択をするのは「本人」と言うことを重視しつつ、それに伴うサポートを丁寧に、調整しながら進めていくことが大切なのかなと思っているところである。