多様性による孤立と対立……優しい保守の目線で考えてみました
ども。よぴおかです。
このブログでは政治や経済について、保守的な目線でできるだけ優しい言葉で書くをモットーにやっています。
前回は平和主義について書かせて頂きました。
ざっくり要約すると、ただ平和と叫ぶだけが平和主義なのかについて書かせて頂きました。
スキマークを送って頂いた方々ありがとうございます!
さて、「多様性」について考えていきたい思います。色々と思うことがありますので、まとめきれるかどうか分かりませんが頑張って書きたいと思いますので、最後までお付き合い下さい。
さて、多様性についてテレビや本で仕切に言われるようなりました。
「多様性こそが世の中を豊かにする」
「多様性を受容する社会を目指そう」
「多様性を受け入れた社会例です」
「多様性という面では日本は遅れている」
などなど、ニュースを見ているとそんな話を聞かない日はないくらいです。
ここで、「多様性って本当に必要ですか?少し考えてみませんか?」なんて言えば、
「あなたは多様性を認めないのですか!!??差別を助長するのですか!!??」と目くじらを立てる有識者の方々のなんと多いことでしょう。
「共に認め合う多様性のある世界へ」美しい言葉です。
ただ、多様性論者は「本当に必要ですか?」という疑問については、多様性を持ち合わせていません。
この言葉に誘われる前に少しだけ、考えてみたいと思います。
まず多様性の社会についてですが、これはあらゆる文化や思想、趣向が入り混じった状態で存在することだとして考えていきます。この社会では互いの価値観を認めて、尊重しあい、「仲良く」暮らしているのです。
さて、ここから例え話で考えてみます。ある国ではA民族が主体ですが、最近移民を受け入れB民族とC民族が流入しました。
A民族は多様性のある社会を目指して彼らの文化を認めました。しかし、B民族は自分達の信じる宗教ではA民族の宗教は許されない、A民族に改宗を求めはじめました。また、C 民族の祖国とこの国の対立が激化しました。その結果、C民族は祖国と近しい政党を立ち上げて政治を変えようと立ち上がりました。
またこの国は多様性の価値観の基に、ある趣向をもつ少数の人達について認めてあげようと、彼等を保護する法律を作りました。するとどうでしょう。他の趣向を持つ人達も自分達を保護する法律を求めるようになり、そして法律ができてしまいました。それに疑問を持つ多数の人は何も言えなくなってしまいました。
A民族の人達は堪らず、「ここはA民族の国です。A民族の社会、文化を破壊しないで欲しい。少数派ばかり保護するのはどうか?」と訴えます。しかし、「A民族は多様性を認めないのか!!??迫害するのか!!差別だ!!」と言われ対立は激化しました。C民族の祖国は自国の民族が迫害されているとして、この国に介入を進め、ついに国は滅んでしまいました。
なんだか、身近に感じることではありませんか?
さて、ここまで読んでいかがでしょうか?
少しまとめてみます。
多様性を認めると言って理想を抱いても、相手が自分達を受容するとは限りません。また、相手の文化を受け入れたとしても、自分達の根底にあるものまでは変えることはできません。
極端に言ってしまえば、本当に多様性を確保したいのならば、過度な交流は避けるべきではないでしょうか。それぞれが適切な距離を保つことこそ、多様性を保つことになるのではないでしょうか。分かりやすく言うと、嫌いな人とは距離を保つってことは日常的にしていると思いますし、仲が良い友達でも過度な深入りは避けるべきでしょう。
また、その文化の中で生活するのであれば、日本の先人の言葉で言えばこうでしょう。
「郷においては郷に従え」
多様性の言葉のもとに、多数の幸せを奪うことになってはいけません。
多様性の言葉のもとに、自分達の文化が破壊されてはいけません。
多様性の言葉をもとに、人々が対立することがあってはいけません。
美しい言葉に誘われる前に、少し立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか?
私達日本人は十分に寛容です。違う国の人でも十分に理解し、笑顔で迎え、困っていれば助けることができます。差別なんて、日常に感じるでしょうか。しているのでしょうか?これ以上は、私達が逆に苦しくなり、対立を生むことにならないかと思ってしまうのです。
いかがでしょうか?多様性について考える一助になれば幸いです。
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