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慰霊の日

沖縄県以外では馴染みが無いだろうが、6月23日は慰霊の日。沖縄県内では、祝日となる。

太平洋戦争末期の1945年6月23日、沖縄で戦闘の指揮をとっていた司令官と参謀長が自決し、日本軍の組織的戦闘が終結した。毎年この日には、沖縄全戦没者追悼式を平和祈念公園で開かれ、亡くなった方々を偲ぶ日としている。

沖縄の人は、呆気からんとして、陽気で、いつでもなんくるないさ〜と、お気楽なイメージがあるが、実際、本当にそうである。全くのイメージ通りなのだ。それが、本土からきたヤマトンチュとしては、いい加減過ぎるとも思うのだが、戦争に関してはみんな悲しい過去を持っている。

家族・親戚が多いのもあるが、戦争の犠牲となった身内が必ずいるのだ。おばぁの妹が、、、おじぃの兄が、、、なんて話をいくつも聞いた。

戦争って、兵士だけが敵同士、殺し合いをするわけではない。その周りの人たちも、みーんな巻き込まれてしまう。特に沖縄では、陸上戦が繰り広げられたことで、多くの一般市民も犠牲となってしまった。

離島では、米軍に情報を流すのを防ぐためといい、住人が自決させられたり、米軍に見つからぬよう未開の山に入れと命令され、ハブに咬まれたり、マラリア蚊にやられてしまったり。

本島でも、首里城地下には、巨大な司令部豪が迷路のように作られたが、暑い中、食べ物もないし、風呂にも入れない、汗や糞尿が混じりあった臭いが充満しており、想像を絶するような過酷な状態であっただろう。もちろん、怪我人の手当てもしていただろうが、薬も足りず、傷口にウジも沸き、腐敗していこうとも、どーすることもできない、絶望感と向き合っていたのだろう。

南部には、平和祈念公園だけでなく、ヒメユリの塔を代表とした、学徒隊や都道府県の慰霊碑も沢山ある。本島は、中部から米軍が上陸し、人々は北へ南へと逃げた。南の果てでは、捕虜にならぬよう自決させられた人が沢山いるのだ。(当時の日本軍は、住民に捕虜になれば酷い扱いを受けると言い続け、捕虜になるくらいなら自決せよと命じていた。)

沖縄は、リゾート地であると同時に、そのような悲しい物語を幾つも持っている。観光で訪れる際は、自らそのような地へ向かわないと、接する機会もないが、暮らすとなると、別。近所の人から、ママ友から、子どものお友達から、、、色んなところから聞こえてくる。

ただ、どの人も、普段はのんびーりしている。だけども、心の底には、いつも悲しみがあるのかな。なんと表現してよいのか分からないのだが、そういう感情が不思議と混在しているのかな。
更には、戦後も本土以上に、過酷なことが沢山あったと思われる沖縄。いわゆる、アメリカ世(ゆ)と呼ばれる時代。戦争で犠牲にはならなかった人達も、本当に辛い時代を過ごしているはず。それは、正にお友達のおばぁやおじぃが体験した話だ。

そういう話は、いつもしている訳じゃない。ただ、たまに漏れ聞くのだ。私は、ただただ聞くことしかできない。

沖縄の人たちが言う、戦争はいけないよって言葉は、ずっしりとした重みがある。今年もまた、その日がもうすぐやって来る。

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