自分の名前すら言えない。
吃音は幼児期に8%前後に現れ、男の子に多くて大体は大人になるまでに治る症状らしい。
だから、二月はなりにくい性別で生まれ、その8%に選ばれた上に大人になっても治らなかったレアケース人間らしい。
全く少しだって微塵も嬉しくない。
物心つく頃にはどもり、案の定小中学校といじめられた。
いじめられたのも傷ついたが、ずれた方向に気を遣われるのも嫌だった。
「緊張してるの?リラックスしなよ」
別に緊張してるわけじゃない。勝手にあがり症だと思わないで。
「分かるよ私の友達にも、どもる人いるから」
絶対分からないよ。普通に喋れる人には、自分の名前すら発音できないもどかしさなんて。
「ど、ど、どどうしたの?笑」
真似するな。ぶん殴るぞ。
幼少期から大人になるまで、この経験は二月を完全に歪めた。二月が吃音じゃなかったら、こんなに卑屈で攻撃的な性格に育たなかったと思う。二月だって、もっと素直で可愛げのある子になりたかった。厨二病真っ盛りでデスノートが流行っていた頃、「残りの寿命の半分を差し出して吃音が治るなら、喜んで渡す」なんて本気で思っていた。本当にただ普通に喋れるだけでいいんだ。
吃音だけじゃなく見た目や、難儀な性格はどうやっても周りとの軋轢を生んだ。よく不登校にならなかったと思う。不登校になったらあいつらに負ける気がして。それだけは嫌で小中高、皆勤賞で通った。誰よりも学生生活を満喫してやった。バラ色ではなかったけど。
小中学校の凝り固まった人間関係に嫌気が差して、高校は少し遠い進んだおかげで、ようやく人生が始まった心地がした。偏差値も多少高いところを選んだので、周りの人間性のレベル一気に変わった。二月の吃音を論う人間はほぼいなかった。大学も過ごしやすかった。卒業してしばらく経つが、今でも連絡を取り合うような一生モノの友達ができた。
吃音を持って生きることで逆にここが良かった、吃音だから得られたものがある。なんてプラスに思うことはまだできない。まともに喋る脳が、口がほしかった。吃音なんて無いに越したことはない。それでも、1番酷い頃に比べると少しは喋れるようになり、もう残りの寿命と引き換えにしたいとは……ほとんど思わなくなった。笑いたきゃ笑えよ。