「自家移植後2回目の忘年会~感染リスクを乗り越えた私の復活~」
移植後の2回目忘年会参加!ステージ4脳腫瘍、中枢神経悪性リンパ腫、克服後の日々
はじめに
訪問ありがとうございます。本の言葉を紹介させていただきます:「命は、ただ生きるためではなく、生きる価値を求めるためである。」
この言葉を胸に、今日から私の闘病と復活の旅を共有していきたいと思います。誰でも心を支える言葉を伝えたいと考えます。この言葉から、常に希望を持ち続けることの大切さを感じています。
「ステージ4脳腫瘍手術後、高次機能障害、中枢神経系びまん性大細胞型B細胞リンパ腫完全寛解、自家末梢血幹細胞移植、元看護師」という経験をもとに、自分がどのように日々を過ごしているかをお伝えします。
手術後の生活は、多くの人が想像するように決して簡単ではありませんでした。手術によって得た命の貴重さをひしひしと感じる一方で、日常生活に戻るまでには多くのリハビリと自己鍛錬が必要でした。看護師として患者さんを支えてきた私が、今度は自らが患者として多くの人に支えられる側に立ったのです。
長いリハビリの末、ようやく自家末梢血幹細胞移植という決断をしました。命の選択肢としてこの治療を選んだとき、心に決めたことは「自分自身を信じ続ける」こと。執刀医や看護師たち、そして家族と友人に支えられ、再び元気な毎日を取り戻しました。
自家末梢血幹細胞移植
リンパ腫の治療として、自家末梢血幹細胞移植が提案されました。移植前に、白血球の数を増やすための治療を受け、移植が成功しました。移植後は、感染リスクが高く、社会との交流が制限されましたが、白血球が安定し始めると、徐々に日常生活に戻ることができました。
忘年会への参加
今日の記念すべき出来事は、移植後、2回目の忘年会に参加することができました。この忘年会は、特別な意味を持つものでした。自家移植後は感染リスクが高く、社会との交流が難しかったため、みんなで食事をすることができたのは大きな喜びでした。昼間は、大学で行われた、「社会貢献についてのご講話」に参加してきました。今日の仲間は、みんな経営者で社長。私は、経営者の妻。忘年会に参加された最年長は、90歳、杖なし、自分の足で電車に乗ってこられてました。なんと、ひ孫が11人!娘にひ孫さんの写真キーホルダーを見せてくれました。子孫繁栄ですね!!
感染リスクが高くて参加を見送ってきた忘年会に、新たな命を守るための努力が実を結び、ついに参加することができたことです。移植後、不安な日々を過ごしていた私ですが、医療チームと私自身の努力によって白血球の数値も安定し、ようやく社会復帰の一歩を踏み出すことができました。皆で食卓を囲む幸せは、何にも代えがたいものです。自分にとって、この一歩が大きなステップであることを再確認できた瞬間でした。そして、看護師としての経験が改めて役立ち、人々の温かさと希望の力を再確認できたこの夜を心から感謝しています。
この体験を通じて学んだこと、そしてそれを誰かの励みになるように記録することで、今後も自分と向き合い続け、常に前を向いて歩んでいきたいと思います。
終わりに
この記事を読んでいただき、ありがとうございます。
フォロー、スキしてくれると嬉しいです。この体験談が、同じような境遇にいる方や、その支えとなる方々にとって、少しでも力となりますように。
ひかりより