映画「怪物」妄想/想像/考察①~「豚の脳」
「豚の脳」って何を指すのだろう、という話
おことわり
この記事は、坂本裕二さん脚本/是枝裕和監督作品『怪物』に関する個人的な見解を書いたものです。何の根拠もない話かもしれませんが、気の向いた方は感想をお聞かせいただけると嬉しいです。
映画『怪物』
この記事は2023年ロードショーの映画『怪物』に関する記事です。
以下ネタバレも含み、妄想/想像/考察を記載しています
まだ映画をご覧になっていない方も、映画をご覧になった方もご注意ください
「豚の脳」ということば
依里くんが父親から言われていたことば
「お前は豚の脳だ」というようなことを言われていたらしい
湊くんも自分の脳をそう表現していた
「湊の脳は、豚の脳と入れ替えられているんだよ!」と母親に叫んでいた
依里くんの父親も、湊くんも「豚の脳=同性愛者」であることを表現していた…と思っていました。
だけれども、本当にそうなのかな、違うんじゃないかな
もっと大きく深いものを示すんじゃないかな
という話です。
違っていても、違っていなくてもどうでもいいかもしれませんが、お付き合いください。
「同性愛者」の定型
実はこの記事を書いている本人は同性愛者です。
LGBTという表現を使えば「G」にあたります。つまりゲイです。
でも、「G」の本当にしっかりした自覚って、思春期以降でした。
幼い時から「男の人が好きでした!」と迷いなく言っていたかというと…どうでしょう。
揺らぎもあるし、線を引いたように自覚なんてしたかなぁ…
是枝監督もインタビューで紆余曲折の中で「彼らはまだ自分たちを名付けられていない」という設定にしたと語っていました。
だから、これはゲイの映画ではない。
性を描写する表現はあるけれど、LGBTではなく、LGBT「Q」の映画であるととらえていいのでは、と思います。
何事にもくっきりとした境界線は引きづらく、幅の広狭あれ「グレーゾーン」があります。
同性愛についても同様で、定型なんてものはありません。
当然、この二人も定型的な「同性愛者」で括れないと感じています
そして、二人が惹かれ合ったのはあくまでも「結果」です。
依里くんの幼いころ、湊くんの自覚までの期間は、もっともっとあいまいな状況だったと思うのです。
その中で出てきた「豚の脳」の話だから、「同性愛者」とは違う意味を持っていたはずです。
依里くんの幼いころに想いを馳せる
思春期前の「〇〇が好き」は友情なのか愛情なのか、はたまた違う何かなのか。
線が引けない広大なグレーであると考えます。
だから、いくら家族でも、依里くんが同性愛者だなんて簡単にはわからないし確信は難しい。
その見地に立って、依里くんの父親の「豚の脳」発言を考えます。
「豚の脳」の意味は同性愛者を揶揄したのではない、もっといろんな側面を持つことばではないかな、と考えます。
鏡文字がいくつになっても直らないことや
一部の知識は長けているけれど、授業中ちょっと心がどこかに行っちゃうところや(小説版p228)
男の子の友達ができないところ(小説版p232)
これは想像ですが、学習面でも得意不得意あるでしょう
作文は上手でも音読が苦手ですし…(小説版p203)
面談などで先生たちは上記を指摘する可能性も高いでしょう。
ともすると発達障害を疑われたこともあるかもしれません。
それに父親は「躾でなんとかしないと」と思ったのではないでしょうか。
もちろん、幼い依里くんの発言として「同性愛者かも」と疑わせる姿も否定はしません。
ある種の父親に「女々しい」と感じさせる何かはあったでしょう。
花が好き、とか女の子に囲まれて過ごす、とか。
(上記の二つが悪い、ジェンダーとしておかしいという文脈では書いていませんよ)
そんな依里くん一家の成り行きを想像していました。
依里くんに向けられた「豚の脳」は躾の変容?
年齢的に同性愛者かどうかは確信が持てない、この世代。
父が気になったのは、いわゆる「女々しさ」と、人とは一味も二味も違った依里くんの感性です。
そこをだれかに指摘されたからには、父親として「躾」をせねば、と思う
そして、うまく「躾」が伝わらずエスカレートしていくという…
星川家のやり取りは「教育虐待」に近いものを感じました。
そして、父親は「躾」の一環として「豚の脳」と表現したような気がするのです。
「お前は人間だろ」「しっかりしろよ」「このままだと豚のまんまだぞ」
幼くしてそれを言われ続けた依里くんを思うと泣けてきます。
(ただ、劇中で「豚の脳」の中身は変容していったと思います。
確実に「同性愛者」の意味で使うようになった場面があると感じるからです
そちらについての妄想/感想/考察は次の記事にて。)
湊くんの言う「豚の脳」と情報ソース
「豚の脳」という言葉を使った、もう一人の子は湊くん。
依里くんには、「豚の脳というのは間違ってる」というけれど、自分に対しても「豚の脳」と表現していました。
そちらは湊くんが自身を「同性愛者であるかもしれない」と思い悩み出た言葉でした。
でも、こちらも「同性愛者=豚の脳」と単純な結びつきではないと思いました。
「豚の脳」情報ソースの依里くんの発言内容から言って、少し飛躍していると感じるからです。
私は上記のように
1.思春期前の性指向に線は引けず、名もつけられないグレーゾーン
依里くんも無自覚(多少の好みはあったかもしれないが)
2.依里くんの家族はどちらかというと、依里くんのキャラと能力が心配
多少同性愛者という疑いはあったと思うが、確信は持てず
というスタンスで見ています。
そうなると、依里くんの性指向を指して「豚の脳」と言われていたとは思えません。
湊くんに「豚の脳」について語ったときもおそらく以下の情報を伝えのでは、と推察します。
・実験で豚の脳が移植された人間がいる
・自分もその一人で「豚の脳」だ。お父さんからよく言われる。
くらいのことを話したのではないでしょうか。
完全な妄想ですが、近年動物の臓器を人間に移植するというような話題もありますよね。
それを星川家が家族で見て、「依里、お前は脳みそが移植されてるんじゃないか」ってひどい言葉を浴びせたとか…
湊くんにとっての「豚の脳」
だから、湊くんにとっての「豚の脳」は、単純に言うと「よくわからない自身への恐怖」と同義。
「自分を貶めて言うひどい言葉」
「異端と孤独と不安の塊」
「無自覚から自覚に変わったときの言いようもない不安」
そんな混沌とした気持ちの、ひとこと表現、だととらえました。
バスの中で起きた、依里くんの転校話前後のやり取り
あれは湊くんが自身の変化に恐怖して、依里くんを拒絶したやり取りでした。
無意識かつ反射的に起きた自身の体の変化への恐怖が態度に出てしまったのでしょう。
「今まで感じていなかったけど、何だこのあふれ出る気持ちは」という感じ?
いや、でも状況からするに、あくまでも恋愛感情ではなく、好意の前段階だと思います。
人に体を触れられることが苦手な湊くんですから(小説版p229)
急にハグされたら頭は大パニックでしょう。
そこから数時間・数日で頭が整理できるとは思えません。
その後の夜のバスやトンネルでの母親・依里くんとのやり取りで、もう頭はオーバーヒートで、それが二次パニックを引き起こす。
それを表現するのに一番手近だったのが「豚の脳」発言なのではないでしょうか。
変わっていく自分
それが世の中に受け入れられるのかという恐怖
人と違う自分を投げ出したい気持ち
そんな複雑な感情が「豚の脳」には込められていると思うのです。
まとめ
依里くんの父親の言う「豚の脳」は
自分と違う世界線で生きる息子に対する恐怖と
それでも元にもどしたいと思い、葛藤の末に出た言葉
湊くんが自身に向けていった「豚の脳」は
人と違うと気づいた自分に対する恐怖と
元に戻したいが戻らない、葛藤の末に出た言葉
自分の規範意識の外に出ているものは「怪物」に見えて
その脳みそは「豚の脳」と感じてしまう
人間の心の動きを端的に表した言葉だと感じました。
おまけ
父親が、依里くんの性指向について核心を持ててないと察する理由
一番大きいところはあれです
「だってゲイって隠せるもん」という単純なことです
イヤなことを言われたくなかったら隠せばいいし
嘘でも「好き」って言えばいい
頭の良い依里くんならとうにやっていたと思うんですよね。
それだけです。