映画「怪物」妄想/想像/考察⓪「前提」
「怪物」という映画を見る前の視点の話
おことわり
この記事は、坂本裕二さん脚本/是枝裕和監督作品『怪物』に関する個人的な見解を書いたものです。何の根拠もない話かもしれませんが、気の向いた方は感想をお聞かせいただけると嬉しいです。
映画『怪物』
この記事は2023年ロードショーの映画『怪物』に関する記事です。
以下ネタバレも含み、妄想/想像/考察を記載しています
まだ映画をご覧になっていない方も、映画をご覧になった方もご注意ください。
「怪物」という映画とLGBT
映画「怪物」は、カンヌ映画祭で「クィア・パルム賞」を受賞したこともあり、LGBTの映画だととらえられているような気がします。
「同性愛者」「ゲイ」の二人の少年の苦悩と葛藤を描いた作品、のように。
それに対して違和感があり、今回の記事を書きました。
拙著記事「豚の脳」につながっていく話ですが、それ以外の記事全部に関わる、映画を見る上での前提条件についての妄想/想像/考察話です。
視点①二人はLGBTではなくLGBT"Q"
映画「怪物」はゲイの映画にしては表現がマイルドすぎると感じます。
依里くん、湊くんの同性愛者を匂わせる生々しいやり取りは、転校の話周辺のシーンと、校長先生への告白シーンくらいですよね。
校長先生への告白も「あんまり、わかんないんだけどね」とも言っています。
入れようと思えば当人同士の告白シーンも、接触シーンも増やせたはずです。
小説、シナリオではもっと生々しいやりとりがあったのに割愛されています。
特にシナリオにあった、湊くんから依里くんへのラインの全文は赤面モノですし、星川家訪問時にはプロポーズのようなことまで言っています(シナリオ版p131、p147)
特に、プロポーズ的な長台詞のカットは大変残念です。
(あの長台詞は、こちらの方の記事によると、俳優の黒川想矢さんも大変苦労したそうですし。
DVD豪華版のロールナンバー集&未公開シーン集に、ほんの一部だけ収録されています。
でも残念ながらお蔵入りのシーンなのです。
なぜ、ということを考えてネットをさまよっている間にこんな記事を見つけました。
こちらも参考にしながら映画「怪物」を考えました。
最初は二人は「同性愛者であること」を悩み、とがめられていると感じていました。
オリジナルシナリオでは、紛れもなく上記の切り口だったと思います。
ただ、上記記事も参考に考えると、二人の葛藤をこうとらえています。
湊くん
依里くんと仲が深まる中で、自分は同性愛者「かもしれない」と思い悩む
依里くん
湊くんと仲が深まる中で、戸惑う湊くんの気持ちが痛いほどわかるから思い悩む
精神の発達上も、同性愛者、異性愛者と切り分けられない世界にまだいる二人。
境界が見えないあいまいな世界そのものが「怪物」に見えていたかもしれません。
なので、映画「怪物」での切り口は、L"G"BT(ゲイかどうか)ではなく、LGBT"Q"(わからないから思い悩む)視点だととらえました。
視点➁「手段」としてのLGBTQ
映画「怪物」のテーマについて考えました。
LGBTを主題にするなら、もっと過激なシーンを増やせたはず。
そして、第三部のみの「短編映画」としても充分成立したはず。
第一部、第二部があってこその第三部ですし、第一部、第二部それぞれに異なる「視点」「怪物」が描かれています。
やはり、この映画のメインテーマは、立つ視点によって異なる「怪物」の存在でしょう。
可愛らしい依里くん、湊くんも、保利先生にとったら「でたらめで自分を追い詰める『怪物』」
大切なことを湊くんに教えてくれた校長先生も、湊母から見たら「責任逃れしか考えてない『怪物』」
そして、一生懸命な母・先生も、少年二人に取ったら「自分たちを追い詰める『怪物』」
同性愛者の葛藤を描きすぎると、そのバランスはとれない気がしました。
まとめ
前思春期、という依里くん、湊くんの発達上
LGBTQの概念上
映画そのもののテーマ性
それらを踏まえて、「怪物」は「LGBT」描写を減らした、と。
決して「同性愛」だけの映画ではないと考えました。
その視点で他の記事も書いていますので、お読みいただけると幸いです。
おまけ
「怪物」本編の音読シーン。
使われている作品は重松清さんの「カレーライス」のようです。
小学5年生~中学1年生くらいの国語の教科書に幅広く使われているみたいです。
気になって、図書館で借りて読んでみました。
主人公の心の描写がとてもみずみずしい。
言葉にならない気持ちを秘めたまま話が進む「怪物」との共通点を感じました。
わざわざこの教材を選んだのかと勘ぐってしまうほどです。
関連して「カレーライス」掲載の短編集『はじめての文学』あとがきも良かったです。
著者の重松清さんがこう表現していました
面白いと思ったものは何度でも読み返してほしい
例えばおいしいカレーライスを一口食べただけで満足していたら、そのすべてのおいしさは味わえない
人参にも玉ねぎにもジャガイモにもルウにもご飯にも福神漬けにもそれぞれおいしさがある
何口も食べないともったいない、という趣旨の言葉でした。
映画「怪物」のLGBTQの描写はもしかしたらカレーで言うところの「ルウ」
でも、「ルウ」だけだとカレーライスにはならないし、味わえない。
ライスと具と付け合わせがあってこそのカレーライスだということ。
だから、ルウをちょっとマイルドにしたのでしょうか、と想像しながら今日も「怪物」を鑑賞しています。