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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

映画「怪物」妄想/想像/考察③「泣けない」

泣かない依里くんの気持ちを考える話

おことわり

この記事は、坂本裕二さん脚本/是枝裕和監督作品『怪物』に関する個人的な見解を書いたものです。何の根拠もない話かもしれませんが、気の向いた方は感想をお聞かせいただけると嬉しいです。

映画『怪物』

この記事は2023年ロードショーの映画『怪物』に関する記事です。
以下ネタバレも含み、妄想/想像/考察を記載しています
まだ映画をご覧になっていない方も、映画をご覧になった方もご注意ください。


「ナマケモノ」のやり方を身に着けるまでのドラマ

疑問を持ったのは、友人からの暴力・暴言に対する依里くんの反応。
「やめてください」「開けてください」
泣くでもなく、怒るでもなく、落ち込むでもなく対処します。

「ナマケモノ」の描写に「何も感じないように」と言い、一番の友人はそれを依里くんに重ねる。
深く考えると切ない思いになったので、その描写の裏にあるものを考えてみました。


やり方を伝えたのは誰だろう

最初、友達に嫌なことをされた時には、きっと依里くんも泣いたはず。
そして、お母さんやお父さんに言ったと思います。
先生も気づいたんじゃないでしょうか。

父親からは「やられたらやり返せ!男だろ」と言われたのは想像に難くない。

どんな先生と出会っていたかはわかりませんが「やられっぱなしだとつけあがるのよ」と言われることもあったのでは。

先生はあくまでも代弁者や、代理人ではなく「教育者」だから。
釣りで例えると、魚を釣ってあげる人ではなく、釣り方を教える人(ステレオタイプでごめんなさい)。
強さを身につけて欲しい、自分の力で解決して欲しいと関わったのではないでしょうか。

となると、キーパーソンは、依里くんのお母さんだと思うのです。


依里くんの母親を考える

小説では「お父さんが集めていた外国の切手に牛乳をこぼしたから」母親が出ていったとあります(小説版p260)

一方、劇中では依里くんが「(僕の病気が)治ったら、お母さん帰ってくるって」と発言しています。
シナリオでは、依里くんの父親が保利先生に「クソ女が放棄した子育てをしっかりやり遂げようと思っている」と説明しています(シナリオp83)

そして(新しく見える)依里くんの自宅の庭や塀にはガーデニングの物品や植物がたくさんあります。
依里くんの花好きは母譲り、ではないかと。

それらから考えるに、星川家は依里くんの子育ての方針でぶつかっていたのではないかと推察します。
植物を愛する母、それに同じに喜びを感じ慕う依里くん
でも、息子の成績は悪く、時にいじめられて泣いて帰ってくる女々しさに不安が募る父親。

「今の依里のままで大丈夫よ」という母
「今の依里のままじゃだめだ」という父

もしくは、母が依里くんを受け入れられないとしたら

「今の依里のままで大丈夫かしら」という母
「よし、オレが何とかしてやる」という父というパターンも想像できます。

でも、前者じゃないかなと思うのです。
なぜなら、後者であれば、母親は無関心を決め込めばいい。
お仕置きをされる依里に「あなたが悪いのよ」と言えばいいのです。

でも、出ていくまでになったのは、やっぱり依里くんの受容について、意見の相違があったと感じるのです。

別れの時のやりとりは

私の勝手な想像では、依里くんの母親はそのままのより君を受け入れようとしていたと思っています。
でも、父親は「そんなんじゃダメだ」と関わるも、何かにつけ甘えさせる母親を疎ましく思い追い出した、と。

牛乳云々の話もどちらがより君に伝えたか分かりません。
父親からだとしたら「自分が恨まれる形は避けた」ともとらえられます。
「あいつが悪いんだ」と印象付けたかった。

逆に母親からだとしたら、依里くんへの配慮があったことでしょう。
「依里のせいで出ていくと思われたくない」
「依里をもう傷つけたくない」という思いだとしたら、とても切ない母心です。

でも、そんなに優しいお母さんだとしたら、不安を吐露することもあったでしょう。
「依里が弱いのは私のせいなんだって」ってポロリと言ってしまったこともあるのでは、と推察します。


依里くんの考える「強さ」

自分の弱さを責められた、自分に責任があると感じた子はきっとこう思うはず
「じゃあ自分が強くなればいいんだ」
「泣かないようにしよう」「止めてほしいってちゃんと言おう」
そう思って依里くんは、悲しみを「ナマケモノ」のように受け流すスタイルに行きついたと捉えています。

依里くんの父親は、強さを身に着けてもらうためにいろんな形ではっぱをかけていたと思います。
「転校話」もある意味そうだと思いますし、「母親が帰ってくる」をダシに使ったこともあったでしょう。

「僕が弱いからお母さんは出ていった」
「だから強くなったらお母さんは帰ってくる」

依里くんの健気な強さ…でもある意味ツギハギの強さはこうやって作られていったのでは、と推察します。


「泣かない」ではなく「泣けない」

依里くんが泣くシーンはありません。

転校のこともショックだったろうに
大好きな湊くんに「好きな子ができた」というのもショックだったろうに

でも、そんな時、無表情、笑顔、口調で涙を隠しているようにも感じます。

泣けなくなってしまった依里くん
泣き方を忘れてしまった依里くん

ラストシーンの先の世界で、温かい場所で依里くんが泣くことができたとしたらとてもうれしいです。
今まで言えなかったこと、泣きたかったこと、伝えたかったこと
信頼できる人のそばで、ちゃんと出せているといいですよね。


まとめ

あんなにつらい経験をしていても泣かない依里くん
何かを守ろうとする「強さ」を感じます。
でも、その「強さ」は「必死さ」「不安」とも同義。
それは「母親」もしくは「大事な人」との約束から来る気持ちなのかもしれない、という話でした。
悲しみに耐えられないが故の心の防衛反応も働いていたとは思うんですけどね。

おまけ

何かあったときに、人間は今までの経験則から対応を決めます。
してあげること、は、してもらったこと。

転校の話に動揺する湊くんに対し、ハグする依里くん。
性の目覚めととってもいいとは思うのですが、それだけではないかもしれない。

幼いころ、自分が本当に傷ついた時、怖かった時、誰かにすがったでしょう。
きっと相手はお母さん。
そんな時、お母さんは抱きしめて「より」と名前を呼んでくれたのではないかと思うのです。

だから、同じく傷ついて動揺している大切な人に同じことをした、と。
名前もちゃんと呼んで。

依里くんに温かい思い出もあってほしい、という願望と妄想が入り混じったおまけでした。

実際もう一回見返すと、まぁ、欲望が入り混じったハグなのかな、とも感じますけどね。

おまけのおまけ(そのうち他の記事に移します)

湊くんと依里くんを見て感じた共通点と、真逆なところ。

湊くんは
喜びを心の中に留め
悲しみを表に出すタイプ

依里くんは
悲しみを心の中に留め
喜びを表に出すタイプ

それがパズルのように合致した瞬間の喜びも
それが衝動として相手に牙をむいた瞬間の苦しみも
両方が切なく、そして何より人間臭さを感じる映画だと感じています。

途中のシーンで自身の「闇」をちょいだししている依里くんの言動に、湊くんへの信頼を感じました。
ラストシーン、歓声をあげている湊くんは、よっぽどうれしかったんでしょうね。

他の人には見せられないものを見せられる
そんな関係がちょっとうらやましくて甘酸っぱさに胸やけです。


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