責任を取りたくない、生きてて楽しくない、と思う人の攻略術
お金も出ないのに無用な役目を負ったり、何だか何をやっても最近楽しくないなぁと感じることは誰にでもあることだと思います。もちろん私自身もそう思うことは少なくありません
会社や家庭で雑用を押し付けられたり、楽しかったはずのゲームや趣味などがあまり楽しくなくなるということは往々にしてあります
今回の記事では「どうしてそう思うんだろう?」「原因はどこにあるんだろう?」「結局何が言いたい訳?」「どうすればいいの?」という点を踏まえて上記の件について僕なりに攻略します
先に書きますが僕の記事ではお説教をしたい訳ではありません
無責任な立場でいたい、例えば平社員やアルバイターとしてずっといたいならそれもいいかと思います
結婚や恋人を持ちたくないならそれもいいんじゃないかと思います
したくない(やる気がない)状態でそうした行動をとることはお相手に対しても失礼にあたります
僕の周りにもそうした方はいます。別に犯罪行為ではないので、そうしたいならそうするべきなのかもしれません
なのであくまでも僕が見た上での感想を伝えます
争うつもりはありませんし、バカにするつもりもありません。見た上での正直な気持ちです
【責任を取りたくない、人生が楽しくない、そう感じる人からは気力が感じられません】
【失敗したら、年齢を重ねたら、どうするの?という質問を嫌います】
【自分のコスト(お金や時間、体力気力)を渋り、他の人に迷惑がかかることを気にしません】
【その上で他者が自分にしてくれることに感謝しません、迷惑を被ると対象の他者をブロックします】
何が言いたいか、原因がどこにあるかという点
それは自分に主体性+やる気がないから人生も楽しくないし責任を取りたくないという状態にある、そのことを伝えます
僕は格闘ゲームが好きでよくプレイしているんですが、以前ゲームのコミュニティで興味深い言葉を見つけたことがあります
「格闘ゲームを嫌う人の傾向の一つに、負けた原因が自分にあるという事を認めたくない」という言葉ですが、皆様はどう思われるでしょうか?
FPSやパーティーゲームというジャンルに比べて確かに格闘ゲームにはそういう部分があります
でも裏を返せば成功した体験は全て自分の努力の成果とも言える訳です
自分のおかげで勝った、自分のせいで負けた、この繰り返しのステップは別に格闘ゲームに限る話ではありません
ですが繰り返してくると自信が湧いてきます
「勝ったから楽しい、頑張った甲斐がある」
「負けてもまた立ち上がれる、以前もそう出来た」、とそう思うから、自分のコストを注ぐからこそ次のステップを楽しみにすることができます
負けた原因を他人のせいにして、次のステップに進むことは難しいのです
失敗しても原因を解析して次にさっさとチャレンジすることの方がよっぽど偉いんです
次に「結局何が言いたいの?」という点
それは【楽をして、自分だけが良い思いをして、そうしたことを繰り返しても、そうしたライフスタイルはほとんど尊敬されない】
【逆に自分のコストを使って行動すること、面倒なことにチャレンジすることで尊敬される】ということです
ビジネス、恋愛、テレビゲームや筋トレに至るまでほとんどのことがそう言えます
ブラック企業のような理不尽を自分から被りにいくという話ではありません
ですが、少なくとも自分から行動していくことで得られるメリットがあるのです
例として僕の会社の課長は、自分が一番面倒なことを担当しています。その上で社員のドリンク補充のような、新入社員でもやるような雑用をします。
実際の作業においても「あなたはこっちをして下さい、やり方は私のものを手本として下さい」とリーダーシップを持っています
そうした行動を取ると若手社員が自分から挨拶をしたり、飲み会の席でドリンクを持ってきて話しかけてくれます
何か頼み事がある際に「やり方を教えてもらえたら、僕がやります」というふうに言われます
こうした行動を日々繰り返していく上司の方は会社からも信頼を寄せられ、お給料や高齢になった後の処遇も相応のものが得られます
会社に行って良い環境で働けるという点も見過ごせませんね
逆に僕が所属した最初の会社では絵に描いたような悪徳上司がいました
毎日のように暴言暴力を行い「上司や歳上であれば必ず従うべし、下の人間には発言権を与えない」というスタンスをとりました
こうした行動の結果、ある人は40代で懲戒解雇を受けたり、またある人は追い出し部屋で他者と関わる事を禁じられた過去があります
努力の成果として得るべき尊敬や成果を「上司だから、歳上だから、仕事が出来るから」という無責任な考え方に置き換えたが故、こういう結果になったんだと思います
これは恋愛においても一緒で「男だからクリスマスにはブランド品を贈るべきだ」、「女だから家事の一切を担当するべきだ」とそうした考えに似ています
よく考えてください、そもそも元を正せばそのようなルールはどこにもありません
ルールも無いのに押し付けられても嫌がられるだけなのです
例えば「プレゼントをおねだりすればすれば良いじゃない、僕はあなたを羨ましいと思わないけど自慢でもしたいの?」
「どうして自分のことなのに自分でやらないんですか?」
という言葉を向けられた時、上記のような方は逆ギレするんじゃないでしょうか?「〜〜という理由と経緯があるから、自分には得をする権利がある」ときちんとした反論をするんでしょうか?
そしてこれらの考え方に共通することは「自分は〜〜という風に努力している、相手の話を聞いて行動している、互いにとって良い関係であるべきとしている」という項目が入っていません
少し話は違うかもしれませんが、責任を取りたくないなら相応の結果を、自分が楽しみたいなら相応の頑張りを必要とするということです
以上、今回の記事では責任を取りたくない人や人生が楽しくない人のために記事を書きました
この記事を読んで「なんだ、結局頑張らないといけないんじゃ意味ないじゃん」
「僕はそうしたものに価値を置いてない、私は楽しくないことなんてしたくない」という意見も別に良いと思います。僕にだってそういう気持ちはあります
しかし今回の記事を読んでもらえた方にとって少しでも風向きが変わるのであれば、僕の人生にとってこれ以上楽しいことはありません