僕が『同年代以上の女性』との恋愛に疑問を書き出す話 〜逆に「何故若い女性がいいの?」〜

 ・逆に「何故若い女性がいいの?」という問いに対する僕の体験と回答

 前の記事であったビジュアルや経済面という観点はすでに書きましたので、次は違う観点から見ていきましょう。
 僕は過去にマッチングアプリや結婚相談所、街コンなども含めて出会いの場に行き、失敗することもあれば部分的に成功することもありました。(この部分的というのは結婚までいかなくとも付き合ったり関係を築くことが出来たと言う意味です)

 まず感じるのは先の試験官として審査されるのは元より、女性側から魅力をアピールされることはほとんどないと言うことです。これは別に「私は美人で気立が良いんですよ!」というセリフや考え方ではなく、何気なくラインを繰り返したり、一緒にいる時間を良くしようと思われることがないのであろうと感じました。
 会えば何となく会話を返してくれたり、ラインを送れば無難な返事は返してくれることもありましたが、良い関係を目指すのであればそれらの要素は粗雑なものであったと感じます。
 僕自身に男性としての魅力が足りなかったということはもちろんありますが、良い関係や会話はキャッチボールで産まれます。どんなにアプローチをしても粗雑な対応をされてしまっては関係を築くことは難しいでしょう。加えて「私は今まで素晴らしい積み重ねやメイク、自分作りをしたからデート代や経済面は男性側が負担なさい」と言われても嫌な気分になります。お金がなくて払いたくないのではなく、そんな不遜な人との時間にお金や時間を支払う価値を感じないと言う意味です。

 歳上の女性と付き合う前の交際期間がありました。思い返してみれば誘ってスケジュールを調整するのはいつも僕でした。半年ほど交際期間がありましたが最後の別れの言葉は「趣味や価値観が合わないから無理です。」「あなたは頑張ったのかもしれませんが、心に響かないのであればそれは無駄だと思いませんか?」と言われました。
 僕個人的には思い出すだけで腹も立ちますが、彼女なりに考えがあったのでそれを否定することはしません。
 他にも「私には素晴らしい美貌があり、男性を下にする権利がある。」
 「高価なプレゼントを貰い、食費や足代わりにしても良い。それは女性として被害者だからだ」と荒唐無稽なことを言われたこともあります。

 30歳を超える女性全てが上記二人の意見を持つと言うことを言いたい訳ではありません。そうした体験をすると嫌いになってくるというのが僕の主旨です。「なんでこれから老化してダメージを受ける女性に対して、そこまで僕自身が自分を折って相手に合わせないとならないのか。あなた自身はいつも受け身で、ステップを合わせる気などないのに」と正直思いました。
 婚活パーティーにおいても30を超える女性は基本的に受け身でした。一人で席に座り男性を待っていました。ですが良い結果にはなっていないように見えます。自分からというのは中々難しいかと思いますが、少なくともキャッチボールのボールも返してくれる気配は感じませんでした。ボールを返してくれないのにキャッチボールに誘う人は少ないです。
それが悪条件「私はハイレベルなビジネスウーマンであり、男性を審査する者である」「男性側は年齢を重ねて美しくなった女性にこそアプローチをするべき」と言う話ならさらに少なくなります。

 そんな折に僕は縁あって一人の女性と付き合うことがありました。相手は10歳以上離れていましたが、僕は最大限相手に対して敬意を持って接しました。
 すると相手の方はいつも僕のことをケアしてくれ、深夜遅くでもお話をしてくれました。僕のために行動し、手紙やプレゼントも用意してくれました。そのことは僕の人生における大事な宝物であり思い出なのです。思い出がないと人生の生きる意味を見失い、嫌なことがあると犯罪に走る場合もあります。でもそうならなかったのは元恋人の彼女が僕のことを愛してくれたからです。誕生日や記念日と言った幸せの積み重ねをしてくれたからです。

 歳下女性、10代〜20代前半の女性にはそうしたエネルギーがあります。少なくとも審査をされると言う感覚は受けませんでした。これは他の10代女性とデートした時も同じでした。みんな、良い関係を築こうとキャッチボールに乗ってくれました。

 無論、「30代おじさんが若い女の子にアプローチをするなんで気持ち悪い、ダサい行動だ」という意見もありますし実際に言われました。そう言う話をされたら僕は素直に身を引きます。相手のことを尊重するなら嫌がることをするつもりはありません。
 ですが、世間の声に囚われて好きという気持ちを諦めることもしません。歳下だから、若いから好きという気持ちがない訳ではありませんが、敬意を持って接する人の対象が僕は歳下の女性でした。

 そうした敬意があると相手のために尽くしたい、どんなに離れていても会いたいという気持ちが産まれます。現に僕は広島から新幹線や飛行機を使い、相手の女性の元へ行きました。お相手の女性は「わざわざ来てもらって申し訳ない」と言われましたが、少なくとも僕は自身がそうしたいから行動したのです。そこには不遜とは逆の敬意、思いやりの気持ちがあります。その敬意や思いやりは宝物になります。仮に、結婚や出産という目的を果たせなかったとしても辛い人生を生きる糧となってくれるのです。

 逆に敬意のない恋愛関係、ビジネスライクや表面上のものであれば、病気や怪我、事故や業績不振といった人生におけるマイナスステージに立った時に相手を見捨てようと思い思われます。敬意があるとマイナスステージの相手を逆に助けようと行動します。別れてしまって思い出を引きずったとしても、再度立ち直って良い方向に向かおうと思います。ここに敬意がないと相手が悪い、世の中が悪い、といつまでも自分を反省しないことになります。そうしたスタンスで幸福を掴むことは限りなく難しいと感じます。

 少し話は変わるかもしれませんが以前、とある男性俳優が若い女性と結婚した時に女性ファンから大パッシングを受けたということを耳にしました。「結局男は若い女が好きなのか、私達のように歳をとってしまった女性にチャンスを与えない日本は不公平ではないか」というものです。
 ビジュアルや経済面を踏まえて若い女性が好き、というの気持ちも当然あります。ですがそんな事を言う女性に対して敬意を持つつもりもないし、仮にビジュアルが良くてセクシーであったとしてもその先のステップに進もうという気持ちは産まれません。
 「年齢を重ねてハイレベルの女性なんです。」と言われても、若い女性だっていずれは年齢を重ねます。そうした発言の何がハイレベルなのか理解できませんが、仮におっしゃる理屈が正しいのであれば若いうちから敬意と恋愛の積み重ねをしてハイレベルな女性となったパートナーと結婚する方が余程賢明です。不遜な態度を取られる意義もありません。

 いかがでしたでしょうか?
 今回の記事では僕が同年代以上の女性に対する疑問を書きました。
 今回の記事が読んだ方へのプラスになればこれ以上の幸福はありません。

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