関市に住む男オタクにとっての関広見まつりは、あの誰もが知っているヒーローだった。
仕事や家庭の事情で、オタクの集まるイベントに参加できず何年も過ごしている。最後のコミケも委託だったし、オフ会参加も十何年も前だ。
1年前に関市内の絵描きさんが集まる会に、いろんな事情をさしおいて参加したことがある。あれは本当に楽しかった。でも、あれもちょっと違う。オタクの集まるイベントではない・・・と鬱屈していた夏。
8月17日に、イベント自体がこっちに来てくれた。それが関広見まつりだ。
誰もが知っているヒーロー・アンパンマンの何が凄くてありがたいかというと「空腹で動くことができないくらい死にそうなときに、食べ物が向こうから飛んできてくれる」ということだ。
まさにそれだった。
参加できるとかできないとか、ほとんど知らない関裕美というアイドルがどんなひとなのかとか、もはやどうでもいい。
バレンタインデーに自販機でココアを奢ってもらったとき「これは実質チョコレートでは!?」と認識をねじ曲げていく精神状態に近い。
そういう意味ではSEKIHIROMIという文字列だけで身内だと思ってくれた関ちゃんPのみなさんの懐の深い飢餓感に、僕はすでにシンクロしていたのだ。
仕事も家事も育児もあって自分は参加できない。しかし、僕が住んでいるところ、しかも仕事で週一~二回は通る場所が聖地になった。聖地が向こうから来てくれた。この喜び。
ところが僕は参加できない。この身と財布で祭りに貢献したいが、日程的に行くことができない。嬉しさだけが純粋に抽出されて行き場を失い、祭りのレポートを拝むように「ありがてえ、ありがてえ」と読みながら、とにかく絵を描こうと、僕は思った。
関広見まつりは、8月17日だけのものだ。話題になっているのはせいぜい一週間。関ちゃんPのみなさんは徐々に日常に戻っていく(意外にそうでもなかったのは余談)。感謝を伝えるなら、今しかない。
しかし、非公式であり、特別にコラボをしているわけでもない祭りの趣旨的に、アイドルマスター公式に感謝を伝えるのは、消防署に放火しにいくが如き筋違いだろう。巨大企業のゴン太ホースから、身体が吹っ飛ぶような冷や水を浴びせられて死んでしまうと思う。
となれば関ちゃんPに向けて絵を描こう。しかし僕は、この関裕美さんというアイドルをまったく知らない。二次創作は避けて、公式の絵とシナリオを読み込み、「笑顔が苦手」という初期の姿に胸を打たれて、一枚の絵を描いた。
続いて二枚目。公式カラーリングで、なるべく客観的に「関裕美」を把握するための習作だ。
そして三枚目。
この偶然に感謝して、関ちゃんPに感謝して一週間。やっと納得のいくお礼の絵が描けた。
関広見まつりは、尋常では無い盛り上がりを見せた。
しかし、一気に燃え上がったものは、一気に燃え尽きることもある。来年も(参加できなかったとしても)ぜひ関広見まつりはやってもらいたい。となれば、これは「関牛乳がこの時期にどれだけ売れたか」が隠れた生命線だろうと見当を着けた。
それに気がついてからは、とりあえず毎日のように関牛乳を飲んだ。当日の売上に貢献できなかったのだから、8月全体の売上に貢献するしかない。
あまり糖分を取れないので、一日にひとパック。あとは家族に大きなパックを買って帰るくらいだ。機会損失を招かないために、なるべく店頭在庫で一番あまっているものを選んで買う。
嬉しい誤算なのだが、これがものすごく美味い。関に住んでいて関牛乳を飲んだことがないのがそもそもおかしいが、何十年も超えてこなかったハードルを、関裕美さんというアイドルが越えさせたのだと思うと、凄いことだ。
8月が終わる。だが「関広見まつりから、ずっと関牛乳の売り上げが伸びている」という実績をつくるため(あと単純に美味しいので)、外出の機会ごとに買い求めている。
関広見まつりは、僕にとってのアンパンマンだ。
飢えて渇いて、そこで飲んだ牛乳の味を、僕は忘れない。
来年度以降、きっと駐車スペースの問題などが出ると思う。本年度ですら北は北海道、南は九州から関ちゃんPが集まった。岐阜県関市関広見を目指してだ。
仕事や家庭の事情は現状と変わらないと思うので、来年当日も僕は現地には行けないだろう。
ただその日に、関牛乳を、なるべく離れたところで、
たくさん、
たくさん買う。
そして、関広見ICの方角に向けて、16:03に乾杯する。
それでいい。
これが、僕の関広見まつりだ。
ありがとう関ちゃんP。
僕のこころは、笑顔(と、あと牛乳)でいっぱいだ。
本当にありがとう。