フジテレビとセクハラ問題
昨日のフジテレビの会見を見て、「公開処刑のようだ」「ネット社会の縮図である」「記者はあたかも被害女性の代弁者のように持論を感情的にぶつけている」「結局当事者である女性が置き去りになっているのではないか」というコメントを数多く見ました。
先日、今はワイドショーオタク化している同級生と話した時に、私が扱っている職場のセクハラ問題と、今回の中居問題の構造が、とっても似ていると言われました。
どこが似ているのか、未だに私はよく理解できていないのですが、もしかしたら何かの役に立つかもしれないと思い、ここで触れさせていただきます。
私が担当している、現在進行形のセクハラ案件があります。
職場の上司が、部下の女性との間の個別LINEを使って、交際を求めて来たというケースです。
双方ともに家庭があります。
上司が、上司と言う権力を使おうと思っていたかは不明ですが、部下の女性が、相手が上司だったので、明確な拒否ができなかったと言う事は本人から聞いています。
今は、LINEの記録が残っているので、その間のやりとりを全部見れます。
セクハラ案件は、解雇案件の次に、数が多い案件で、これまでもたくさんの事例を見てきました。
そこで共通しているのは、被害者は、とっても嫌な気持ちで、上司と日常のやりとりをしているのですが、それを態度に表す事は、上司の機嫌を損ねてしまうのでできず、LINEの記録上は良好な関係に見えるということです。
多くの場合、上司はそれを勘違いをして、自分に好意があると思って、セクハラ行為がエスカレートすると言う図式です。
私が6年前に、初めてセクハラのLINEのやりとりを見たときには、全くそれがセクハラに見えずに戸惑いました。
そして、被害者の話を聞いて、初めて、この普通のやり取りの奥に、被害者の恐怖と上司への忖度があったと言うことがわかりました。
その後もセクハラ案件に関わる都度、全く同じようなやりとりが出てくるので、最初に見た時のような戸惑いはなくなり、この奥に被害者のどんな心模様があったのだろうと、すぐに思いが及ぶようになりました。
今回のやりとりは、上司に勘違いさせるような言動はかなり少ないように見えます。
ただし明確に嫌だと断っていない内容になっています。
これは被害者がその後も上司と一緒に働いていかなければいけない状況からすると、当たり前とも言えるのですが、会社側からすると、なぜ?と疑問を持つことにもなってしまうのです。
結局、被害者が上司に忖度したことが、周りにセクハラを受けたと言うことを理解してもらうための障害になってしまうと言うことです。
なので、私が会社と交渉をするときには、とても慎重に、対立構造にならないようにしています。
対立構造になってしまうと、会社側は、LINEのやりとりの1部を切り取って、「ここで部下は上司を勘違いさせている」、場合によっては「この言葉は上司を誘っているのではないか。部下も上司に好意があったのではないか?」と言うことさえも言われてしまいます。
この流れは被害者をものすごく傷つけてしまいます。
なので、大事なのは、会社側には、とにかく表面的な言葉の裏に、どんな感情があったのかをぜひ慮ってください。
とにかく被害者が元気に社会復帰できることを最優先に考えてください。
そこにぜひご協力くださいと言うように、会社側との協力関係を結ぶことを何よりも大事にしています。
例えば今回のフジテレビの場合は、すでにフジテレビは悪であると言う前提がマスコミの中で作られたようです。
フジテレビ側が何を言っても、言い訳としか聞こえないような図式が出来上がっているように見えます。
それでも、フジテレビ側には、真摯に答える環境ができているので、昨日の会見の1部を見ましたが、そこは真摯に遂行しているように見えました。
片や、私が扱っている案件は、マスコミが扱ってくれるようなものでもないので、会社側の態度は、会社側に選択肢があると言う状況で、だからこそなかなか周りにはわかりにくい被害者の心境を、丁寧に説明をして理解してもらうと言う過程が必要になるのです。
昨日のフジテレビの会見のように、会社側がひれ伏してこちら側の思い通りになると言う事は無いので。
そしてそこで何よりも大事なのは、被害者が何を望んでいるかです。
これまでも、相手側は責任を認めていない中でも、被害者本人が疲弊してしまうので、もう打ち切りすると言うこともありました。
今回の案件でも、被害女性の方が、どうしいかと言うことを、今も丁寧に確認をしているところです。
そう考えると、昨日のフジテレビの会見は、誰の何のためにやっているんだろう?とも思いました。
それまで闇に葬られていたものが表に出て、フジテレビが一気に攻撃にさらされているとも見えます。
あまりにも善か悪かと言う価値観でものを考えすぎのような気がします。
被害者のことを考えたら、誰が悪かという観点ではなく、どうすれば、被害者が癒されるか、今後元気になれるかという観点で、皆が考えられれば、これまでとは違った流れが生まれるのではないかと思うんですけどね。
日本では難しいかな?
皆さんはどう考えますか?