【365日のわたしたち。】 2022年5月17日(火)
ついに主人は、私の誕生日を忘れてしまった。
毎年毎年、驚くほど大きな花束を買って来てくれていた私の誕生日。
「もう、こんな大きいのいいから〜」
なんて言ってはいたけれど、一年に一度だけもらえるその花束を、私はどこかで期待していた。
しかし残念ながら、今年はそれがなかった。
仕方がない。
夫の認知症は、日を追うごとに悪化している。
私の誕生日なんて、忘れることランキング第一位くらいの重要度の低さだろう。
それはわかっているのだけれど、なんとも心に穴が空いたような気分になる。
頭では理解しているけれど、心がついていかないというのはこのことか。
「ちょっと散歩に出たい」
夫が夜22時も回った頃にそう言った。
もう明日にしましょう、
今日はもう暗いし、夜も遅いから、
何度説得しても納得せず、一人でもいいから行くと言うのだ。
あまりの頑固さにこちらが根負けして、夜のナイトウォークに出ることになった。
外に出てみると、夫はいつも以上にしっかりとした足取りで商店街の方へ向かっていった。
どうやら目的地があるらしい。
私はそれに必死についていく。
ここ最近ではあまり見なかった夫のガシガシとした歩き方が、懐かしくて嬉しくなった。
暗く、どの店もシャッターが閉まった商店街にたどり着いた。
電灯が、商店街の道を明るく照らしている。
その商店街を、脇目も振らずに夫は進んでいく。
そして、一軒のお店の前で立ち止まった。
その店ももう、シャッターが閉まって閉店してしまっている。
「間に合わなかったかぁ」
夫がポツリとつぶやいた。
シャッターには「FLOWER SHOP HANA」の文字が大きく書かれていた。
そこは、花屋だった。
「さっきな、思い出したんだよ」
「今日はお前の誕生日だったって」
「だから花を贈らなきゃって思ったんだ、大きいやつ」
「お前が一年で一番喜ぶ日なのに、そんな大切な日を俺は忘れちゃったんだ」
「ごめんなぁ」
そう言って、夫はシャッターを眺めるのだった。
私の目からは、ボロボロと涙が溢れる。
次から次へと溢れて、言葉が出ない。
すると、頭上から「あら!やっと来た!」と声が降ってきた。
上を見上げると、花屋の二階から中年の女性が窓を開けて顔を出していた。
「毎年来るのに、今年は来ないな〜、おかしいなって思ってたのよ!話し声がすると思ったら!」
「今降りてシャッター開けるから、ちょっと待っててね!」
そう言って、その女性は窓から顔を引っ込め、家の中へ入っていた。
「よかったよ。毎年ここで花を買っててよかった。俺が忘れても、俺の代わりに誰かが覚えていてくれるな。」
そうホッとした顔で私に微笑んだ夫に、私はまた涙で何も言えなかった。