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ウクライナ・コサックとアゾフ大隊

ウクライナ国歌がとても好きです。陰と陽とがひらひらと交代するメロディーには中東のエスプリも感じられてエキゾチックで欧州とは一味ちがうし、「我らは自由のために身も魂も捧げ」の一節は、4/23現在の状況を思うと涙なしに聞くことができない。

フランス国歌も戦闘精神がモチーフで、”奴らは汝らの元に来て汝らの子と妻の 喉を搔き切る”とか、”武器を取れ 市民らよ隊列を組め、進もう、汚れた血が我らの畑の畝を満たすまで”とか、なかなかにSanglante(血まみれ)だけど、ウクライナ国歌の自主独立の精神が高潔で一際格調高い。

国歌採用は90年代なので、独立後の新しい曲かと思いきや存外に歴史は古く、作詞は1862年(チュビンスキー)、作曲は1863年(ヴェルビツキー)というから日本では幕末にあたる。ロシア革命の1917年に一旦独立したウクライナが国歌として採用したものの、その後のソ連による併合の期間は長らく封印されていたそうな。そしてソ連崩壊後に復活という歴史的背景がある。雌伏の時期を経て復活に至る、ここにウクライナ史の紆余曲折の一端を垣間見るようだ。

*ウクライナ小歴史:平坦なステップ大地は大昔から騎馬民族が駆け抜け、ゲルマン民族大移動の舞台ともなった。キエフ大公国(ルーシ)没落後のウクライナの地はモンゴル帝国、リトアニア大公国、ポーランド王国と次々に侵略が続き、オスマン帝国からの侵略期を経たあとロシア帝国に完全に呑み込まれたまま第一次世界大戦を迎えることとなる。
ロシアとヨーロッパが出会うこの地はWWIで激戦地となり、1917年のロシア革命を機にウクライナでも諸勢力が独立を企図して国内は内戦に陥る。スターリン時代には悪名高きホロドモールの計画的飢饉で330万人~数百万人(注:Wikiediaによる)ともされる餓死者・犠牲者が出た。翌1918年からはポーランド・ソビエト戦争でウ地方が主戦場となった。
第二次世界大戦に至ってはナチスドイツとソ連の双方からの攻撃を受ける絶望的な状況の中で自らもナチへの協力という暗い歴史を背負うこととなる。大戦後もソ連に組み込まれていたウクライナは、ソ連崩壊によって初めて長年の悲願であった独立が達成された。

ウの歴史は日本に例えるなら、応仁の乱と戦国時代と大東亜戦争が間断なく立て続けにやって来るようなものだろうか。(沖縄を除けば)天然の要塞に囲まれて国土の蹂躙を免れてきた日本人にとってその状況の想像は容易いものではない。

■コサックとは

本題に戻ろう。コサックです。歌詞の中の「我ら兄弟がコサックの一族であることを示そう」、このフレーズはリフレインで3度も出てくる。大和魂ならぬウク魂にとって重要な意味がありそう・・・ということでコサックについて調べてみた。

その前に・・・コサックといえばコサックダンス。腕を組んでしゃがんだまま足を交互に出すユーモラスなイメージがあるが、元は軍事鍛錬に由来するそうだ。中腰は大腿四頭筋が鍛えられそうだが腰に来そう。曲芸なみの恐るべき身体能力で、中でもザポロージャのコサックダンスはまるで空中浮遊なみのジャンプが売りという。

*ザポロージャ(=ザポリージャ。3/4にロシア軍が原発を掌握した地。この地はウクライナ・コサック発祥の地みたいです。)

おや?動画の最初のシーンは見覚えあるぞ?とググッってみるとやはり!

レーピン作 1880~1893年 ロシア美術館蔵

*絵画の解説:ロシア・トルコ戦争で黒海沿岸部やクリミア半島を領土にしたロシア軍は戦闘部隊としてコサック兵を多用した。決して統率の取れた集団ではなかったがその戦いぶりは勇猛果敢であった。この作品のテーブルを囲むコサックの男達は勝利の美酒に酔い、戦いに敗れたトルコの王(スルタン)に対して手紙を書くため皆で寄ってたかって好き勝手にしゃべっている場面であろう。誰も文字が書けないため中央の羽ペンを持った男が代書している。

「コサック」の語源はテュルク語の「群れを離れた者」とのことで、組織化された正規軍から離れて、独自に行動する自由な戦士たちのことだったという。彼等は武力を基盤として生活を営む者で、毎年のように来襲して人々や家畜を連れ去るオスマン帝国に対しても怯むことなくこれを撃退するばかりか、自らタタール・オスマン領を襲撃して、連れ去られたスラヴ人奴隷を解放したり、略奪品を持ち帰るような強者たちだった。

この頃の欧州諸国は折しも傭兵がトレンドで、ザポロージエ・コサックはその戦闘能力の高さと豪胆を買われて、彼等の元にはハプスブルグ家やバチカン、モスクワ(ロシア)などから傭兵を募る使節が訪れ、コサックは欧州諸国で活躍したという。

ポーランドによるウ支配の時代には「登録コサック」制度が導入された。コサックには特権が与えられて次第に貴族とともに支配階級の一員となってゆくが、この延長線上に「国家建設」の気運が高まり、1654年、コサックのリーダー・ヘトマンを首長とする国家ヘトマンチシナが成立することとなる。

故郷を持たないロシア・コサックと彼等の根本的な違いは、ウクライナ・コサックは郷土に根付いており、パトリを愛し守る愛郷精神がある点だといわれている。

コサックの戦闘力と独立心は、ウクライナ民族の国家建設という政治的影響力にまで及び、彼等はザポロージエを拠点としつつウクライナ社会と不可分の関係の中で成長し、ウ社会の中で民族意識の覚醒や国家建設において先導的役割を担うに至り、ついにはウクライナの地に独立国家を建設させたのである。

こうした来歴は日本でいえばさしずめ武士の始原のようなものだろうか。荘園の警護をまかされた武士たちは傭兵として活躍することもあり、やがては鎌倉幕府開設に至る。コサックなら那須与一ばりに扇の的を射抜いたり、義経のひよどり超えなんかもやってのけそうな気がして、常時 やぶさめ で鍛えていても違和感なし。ただ、ウクライナ人の皆が皆コサックだったわけではないのは、日本人の全員がサムライでなかったのと同じだ。

❝ウクライナにもコサックの他に農民がいて、商人や職人がいて、聖職者がいて、貴族がいた。また、イメージの中で描かれるコサックは、おおむね陽気で豪快で、お酒や音楽、踊りを好み、コサック以外のウクライナ住民と仲良く暮らす、強くて優しい姿である。❞

出典:ウクライナを知るための65章

■ソ連/ロシアによるコサック弾圧

ロシア革命のあと、コサックは政権を掌握したボルシェヴィキによって「敵階級」「反革命分子」と見なされ、徹底的に弾圧されることとなる。ロシアではコサックの一掃が行われ、全人口440万人に対して308万人(約70%)が戦闘、処刑、流刑などで死亡した。

続くスターリンも、レーニンのコサック根絶政策を忠実に継承し、ホロドモールによって多くのコサックを餓死させた。この時期は壮絶を極め、辛くも弾圧を逃れたコサックの多くは海外に逃れた後に、独ソ戦においてドイツ軍に協力したという。第二次大戦が終わるとコサックの一部が欧米諸国へ逃亡するものの、ソ連軍に強制連行されるなどして過酷な運命を辿った者も少なくないという。

ウクライナが一時期ナチスドイツと組んだのを黒歴史と捉える向きもあるけれど、かつて西尾幹二氏はこう述べていた。「(ポーランドがドイツから受けた犯罪はすさまじく100万人が虐殺されているが)そのポーランドですら露助(ロシアの蔑称)よりはいいと言っている。それでもドイツには文化あるからと。」。この言葉が示しているのは、えげつないナチスドイツでさえロシアよりはマシということで、前門の虎と後門の狼に挟まれたらとりあえずマシな方と手を組むのは戦術の常道だろう。東欧の歴史には単純な善悪で語れないものがあり、歴史的背景を知るのは大事だ。

ウクライナとポーランドの関係も一筋縄ではいかないものがあるが、ポーランドも西尾氏が言外に示唆するカティンの森事件を経験している。ポとウのそれぞれが見舞われた悪夢を思えば、ポーランドがいま献身的にウクライナを支える姿には何の違和感もなく、東欧諸国は(囚われの身の少数を除いて)共通の敵を再発見して固く団結している。

ウクライナ・コサックから編制された部隊に、アゾフ・コサック軍がある。こちらはロシア帝国下における国境防衛軍だが、本拠地をマリウポリに置き、軍役と引き換えに税金・労役が免ぜられて内政自治制が公認されていた。ザポリージャもマリウポリも、コサック縁(ゆかり)の地であることが分かる。

   🌟ポイント
   ▪ コサックは正規軍から独立した自由な軍事集団、傭兵
   ▪ ウクライナ・コサックは愛郷精神が特徴
   ▪ コサックはロシア/ソ連に痛めつけられてきた

■ウクライナ国民に愛されるコサック

国歌に見るように、コサックは今日のウクライナで自由と勇気のシンボルであり、スナック菓子や土産物のモチーフとして愛されているそうだ。勇者ボフダン・フメルニツキーはイヴァン・マゼーパとともに、ウクライナの紙幣(それぞれ10グリブナ、5グリブナ)で国民にはお馴染みなんだそうな。

ボフダン・フメルニツキー
イヴァン・マゼーパ

■コサックとアゾフ大隊

ところで、本日(4/23)付の毎日新聞の記事で元ウクライナ大使の角氏がアゾフ大隊に触れていた。タイトルは「アゾフ大隊、国民に極右イメージない」となっている。毎日は4/21にも記事でアゾフを特集していて内容は正確だ。軍事評論家の黒井文太郎さんや東欧極右勢力にかんする私の独自調査とも一致している。アゾフ大隊の精神はネオナチではなくコサックだ。

日本の親露派がアゾフ、アゾフとうるさく、アゾフ=ネオナチなどとロクに調べもせず言う者があり、記事で触れられているように根拠はアメリカで一時、極右認定の動きがあったからだという。米のご都合主義は今に始まったことではなく日本も黄色い猿と呼ばれたり黄禍といわれたり、はたまた不沈空母になったりと忙しいが、昨今ではロシアが日本をナチ認定したというのだから笑ってしまう。やってることを見れば、露軍とアゾフのどちらがナチか一目瞭然だろうに。

アゾフの中にも個人レベルで過激分子が紛れ込んでいるのは想像に難くないし、現に2014年頃の戦いぶりは乱暴だったが、白人至上主義を疑われた創始者ビレツキー氏はすでに大隊を去って現在は国会議員ですらなく、かつてのイメージは削ぎ落とされ、アゾフ大隊(現在は連帯)は重要な国防戦力となって国民の信望を一身に受けている。

*アンドリー・ビレツキー氏:本人は自身を反ユダヤ主義者でも人種差別主義者でもないと強調しており、氏の信条は興味深い。日本を意識しているもようで曰く、「私にとって、ナショナリズムの例は、徳川幕府時代の日本のように価値観を維持することではなく、明治維新期に日本が中世の孤立の後に西洋を追いかけ、そして後に彼(西洋)を追い抜いたことです。そして今、日本は世界で最も強力な5つのプレーヤーの1つです。私たちは、他国との効率と優位性をめぐる競争の面で(日本に)私たちのナショナリズムを見ています。」とのこと。過大評価が面映ゆいし、親露派が湧く今日の変貌ぶりには穴があったら入りたい気持ち。

角大使曰く「ウクライナ国民の間でもアゾフ大隊に極右のイメージを抱かず、民間防衛のために銃の扱い方や身の守り方を教えてくれる存在とみられている。」とのこと。ましてや自由な軍事共同体であるアゾフが国軍の一部に組み込まれて前線で奮闘する姿は、コサックの歴史を知ってしまえばまったく違和感のないことだ。アゾフは伝統的なウク魂、コサックの精神を最も忠実に継承・体現している者たちだろう。

一つ付言するなら、今回の調査を通じてコサック流の「自由」とは西洋近代における「自由」と少しニュアンスが違うように感じられた。

❝だが一方で、(コサックは)実際にはウクライナを常に戦乱にさらし、時にはウクライナの一般住民にすら横暴もはたらく恐怖の対象であったという史実もある。❞

出典:ウクライナを知るための65章

冒頭の絵画の説明の”決して統率の取れた集団ではなかったがその戦いぶりは勇猛果敢”という記述と併せて、コサック(≒アゾフ)は本能的に自由人で戦闘好き?という印象を受ける。どちらかというとアラブ諸国の首長を中心としたトライブに近いのではないか。それでも日本のサムライもまた庶民にすれば時に畏怖や恐怖の対象であったことを思えば、コサックが歴史的シンボルとなり、とりわけ自主独立の精神的支柱となったのは理にかなっている。専制と隷従に抗うスピリットには敬服するばかりだ。

かように、ネオナチのような新参者とは違ってコサックには長い歴史と伝統がある。この精神を最も忠実に継承しているのがアゾフ大隊と思われ、ウクライナの人々はアゾフにコサックの面影を見ているのだろう。コロモイスキーという現代の貴族がスポンサーとなり、集めた傭兵アゾフ大隊の精神は、祖国存亡の危機に立ったウクライナの国民に広く共有されているに違いない。今回の調査の結果、そのように意を強くした。

「サン川からドン川まで、血の戦いに立とう」、「いかなる者にも我が故郷を支配させはしない」。ウクライナの忍耐と努力は必ず報われると信じたい。

ウクライナは狼の手を借りよ。生き残れ。
Slava Ukraini❗ ウクライナに栄光あれ✨