40歳からの独立 -人材派遣会社をクビになり、映像クリエイターとして独立して4年-No.0

 現在、僕は映像クリエイター、映像作家として活動しています。
 2014年に会社を辞め、翌年に個人事業主として届けを出し、4年が経ちました。会社を辞めたのが41歳。独立に早いも遅いもないだろうけど、まあ、だいぶスロースタートだったんじゃないかと感じています。
 その間、なんだかんだといろんな出来事はありましたけど、今、僕はなんとか生きています。
 独立したての頃はe-learning動画やWeb動画を作る仕事を数多くこなし、そこからテレビCM、ドラマ、映像学校の講師、カリキュラム開発、職業訓練校の講師、講演会、さらにはあまつさえ、ラジオパーソナリティやクラブでのVJ(20代の頃はクラブに行ったこともなかったのに!)、某九州地方のテレビ番組ではメインキャストとして、毎週カメラの前に立つ仕事さえもさせていただくようになりました。

 独立してからの毎日については、とても楽しく、充実しています。
 こういう書き方をすると、また「独立成功自慢か」という向きに見られることもあるのですが、まあ、それは置いておいて。最終的には自慢でもなんでもなく、今現在の事実と、そこに向かって何をしてきて、どこに向かうのかを明確にしたいのです。(少なくとも、僕はまだなんのゴールにも達していないし、成功したという実感もありません。たった4年、会社に属さず生きてきただけのことです)

 信頼おける仲間とだけ仕事をすることができ、誰に気兼ねすることもなく自分の意見を言い、眠りたくなったら眠る、作りたいときは40時間でも50時間でも、労働基準法の縛りもない中で自由に好きな映像作りをし続けられる。途中で飽きたら別のものを作り始めてもいい。出来上がってから売り込みに行ってもいい。納得してない会社の方針に従う必要もない。上司もいない。お金の決済も出勤時間も全て自分の裁量次第。火曜日深夜に突然カメラを持って撮影に行って、次の水曜日に一日中寝てたって、誰も文句を言わない。来月どれだけお金が入るかはわからないけれど、自分に嘘をつかず誠実にさえ生きていれば、ストレスがたまらないから愛嬌ある姿で居られる。愛嬌を忘れなければ、きっと愛され続けていられるだろう。すなわち、信頼のお付き合いを続けられるだろう。こんな素敵な生活がどこにあるというのだろうか。もちろん、老後の心配や、社会制度との折り合い、サラリーマンとは別の形での社会との軋轢など、苦労も多いのだけれどね。

 だからといって、僕の生活やあり方について「これが独立の成功事例だ」と言うつもりもありません。成功のあり方は人ぞれぞれだし、僕と同じスタイルが他の方にぴったり当てはまるとも思えません。独立までの40年間に培ってきたライフスタイルや技術、経験の方向性が異なるのですから…。

 でも、人前に立つ仕事をする機会が多くなると、どうしても、聞かれることが多くなるのです。以下のようなことを。
「僕も独立したいのですが、山本さんはどうやって決断したのですか?」
「独立してから、どこからお仕事をもらっているのですか?」
「どうやって生計を立てているのですか?」
「独立する方法を教えてください」

 ちょっと待ってちょっと待って。
 あたかも、僕が「独立を計画して、あたかも戦略的に行動してスタートダッシュをかけて、無事にフライトして順風満帆に自由な空を飛んでいる」みたいな趣で捉えられているじゃないか。

 違う。そうじゃない。
 僕は、独立したくて独立したわけじゃないんだ。

 どちらかというと、僕は会社を追い出されたんだ。
 正直、貯金もなかった(本当にゼロだった)。技術もなかった。
 ただ、転職する先を見つける気力さえも削がれていた。
 だから、仕方なく独立した、と言ったほうが正解に近いんだ。

 だから、どちらかというと、みんなの参考になる、みんなの聞きたかった情報はそれほど伝えられるとは思っていない。独立意思を持ち、世界を変えよう、自由になろう、大金を手にしようという野心を持つ方に対して語れる言葉なんて持っていない。

 みんなが聞きたいのは「自分の指標と照らし合わせて、有益になる成功事例情報と、失敗成功、苦労など、独立した人が経験した事象」であり、その事実を演出でコーティングせず、包み隠さず聞かせてもらうことで自分の参考にしたい、ということなのだと感じている。そしてその気持ちはわかる。だって、自分が経験したことのない旅に出るときには、何かしらの羅針盤が欲しいものだからね。僕だって欲しかったさ。

 僕が、この話を書き留め始めたのには理由があります。
 一つは、意外と僕の体験が、ニッチすぎる故にいろんな方の「ニッチな需要」に応えられそうだ、ということ。僕の経験が全て当てはまる人はいないのだけれど、一つ一つの経験や決断、行動による周囲からの反応なんかは、これから独立したい人に向けての参考になる、かもしれないと思ったから。

 もう一つは、独立したくても一歩が踏み出せない人たちに対して、なんらかの勇気を持ってもらえれば、ということ。

 あ、ちょっと待って。僕は決して「独立至上主義」じゃない。本心、独立は「そんなにいいものじゃないよ」と思ってる。

 誤解を恐れずに言えば、この日本社会では「負け組」に近いものだとさえ思っている(あくまで自分指標で見たときに、だけど)

 「人類は、負け組だ」という学者がいるそうだ。
 海を追い出されて変化を強いられ、川を追いやられて陸上に追い出されて、木の上に追いやられて、どんどん追い詰められて、変化しないと生きていけないところまで追いやられて。
 負けに負けて、変化に変化を重ねないと「そのままでいることを許されなかった」負け組中の負け組が人類だ、という考え方だ。
進化だ、万物の霊長だ、と言ってるのは人類だけで、全生物から見たら一番いじめられて端っこに追いやられた存在なのかもしれないね。

 僕はこの言葉を聞いたときに、とても腑に落ちて。
「ああ、僕はサラリーマンとして負け組だったんだ」と、急にストンと自分自身の行動に納得ができたのです。
勤め人としてどうしても馴染めずに、苦しんで、会社の外に追いやられて、変化せざるをえなかったんだ、と。

 そう、だからこそ、僕は時々「独立したい」と相談してくださる方に対して、ふと疑問に感じてしまうことがあるのです。
その言葉が、僕には「私負けたいんです!」というセリフに聞こえてしまって。
 いやいやいや、あなた海に適応してるじゃないか。なんで陸上に上がってこようとするのよ、酸素は結構猛毒だよ、と。

 確かに、僕はこちら側に若干適合して生きることができているけれど、だからと言ってみんなを引っ張り込むのは違うと思ってる。

 そう。だからこそ。だからこそ、なんだ。

 僕がどうやって負けたのか、負けを認めて変化を覚悟したのがいつなのか、どうやって海から陸に上がるかのような変化をしたのか。まだまだ4年だけど、どうやって食いつないできたのか。

 それは、きっと変化(独立)を望む人に取って、諦めるにしろスタートダッシュのきっかけになるにしろ、なんらかの指標として役立ててもらえるんじゃないかな、と思ったのです。

 何回かに分けて、この話はしていこうと思っています。
 できる限り、包み隠さず。勤めていた会社の名前も、できる限りバイネームで記していきたいです(まあ、Facebookとかみたら、全部ばれちゃうんだけどね)。それは嫌がらせとかではなくて、ちゃんと事実を伝えることで理解してもらえることが増えると思っているから。

 次回は「会社を辞める前に準備したこと」を書いていこうと思っています。

山本 輔 拝


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