ヘビースモーカーだったけど、あるものを見つけたらスッパリ禁煙できた実体験。
私は17歳、高校を中退した頃から煙草を吸い始め、24歳まで一日10本、毎日のように吸ってました。
喫煙者ならわかると思うんですけど、煙草って
依存性がかなり高い
です。
小学校高学年か、中学・高校の保健体育の授業で必ず【煙草・アルコール・薬物】の依存性・危険性について勉強させられますね。
私は中学生のときは、まさか自分が将来煙草や酒に手を出すとは思ってませんでした。「不良の入口」だと思ってましたし、中学時代の私はかなり真面目でした。(勉強はできなかったけどw)なので、タバコの依存性がいかに強いかなんて全く想像つかなかったし、やめたくてもやめられなくて何度も禁煙に失敗する人の話を聞いて
“なんでそもそもみんな煙草を吸うんだ?”
と他人事のように捉えてました。
17歳で私は、煙草に手を出しました。
義務教育時代、なにかといじめの標的にされ、高校時代のバイト先では大人しいからナメられて大の大人からパワハラされて、そもそも私の家庭は独裁国家並に狂っていた上、当の私はヒエラルキーの一番下で「サンドバッグ」の役目しかなかったんです。
両親や、祖父母は、世間から見たら
とても礼儀正しく穏やかな人間に見えたことでしょう。実際彼らは世間体に迎合する形で自我を殺して「いい人面」をしてましたし。
とにかく、気が弱くて、ハッキリ「No」と言えない私は、
様々な人間からサンドバッグ扱いされてきました。
幼少期から、学校、家庭でそんなゴミクズみたいな扱いしか受けて来なければ、いつしか我慢の限界を超えます。
高校こそ楽しみたいと意気込んでいましたが、私が女の体つきになるにつれて、実父の家庭内ストーカー、性的羞恥心をわざと煽り抱かせる嫌がらせが激化しました。
だからこそ学校で好きな人を作って、好きな人と付き合って「女として」「人として」扱ってくれる恋人を欲してました。
ですが、好きになった人からは、連続で四人振られ、友達は一応数人いましたが、その友達は、私のことを本当に大切に思ってるわけじゃないことは様々なエピソードが裏付けてくれててし、私もそれをわかった上で惰性で友達付き合いしてました。
仲良くじゃれる友達同士、くだらんどーでもいー話できゃあきゃあ盛り上がる友達が、
うざかったです。
その「きゃあきゃあの輪」に加わって馬鹿騒ぎすれば本当の友達になれたのかもしれません。
しかし、私は中学生の頃、男子から暴行・傷害・強制わいせつ罪に相当するイジメを毎日受けていたので、
女としての振る舞い方を、とうに忘れてしまっていました。
家では父親の精神的肉便器にされるし、
私は一体何なのか、何の用途があるのか、なんのために生まれたのかすら、わかってなかったんです。
とにかく、私を本気で必要としてくれる人が、ただの一人もいなかったのです。
もっとも私は、いじめられ体質で気が弱いのでヤンキーになることはできなかったし、そもそも知らない他人と喧嘩をするエネルギーも度胸も根性も足りなかったので、
それでもなんとかして、
下手したら将来殺人鬼になるかもしれないくらいの煮えたぎった苛立ちを抑えなきゃ、そんな焦りから、
とりあえず酒、そして次に煙草に手を出しました。
アルコール依存にならなかったのは、私がほぼ下戸だからです。
代わりにニコチンタールに隷属する日々が始まりました。
いじめを思い出す度に煙草を吸う。
父親に肉便器にされる度に煙草を吸う。
父親にサンドバッグにされる度に煙草を吸う。
煙草を吸うことは精神的な逃げでした。
最初の2ヶ月頃は、むしろどうやって煙草の煙を肺に入れるのかわからなくて苦労しましたし、依存性なんか全くないじゃん!と思いながらなんとか煙草を覚えようとコンビニで買っているうちに、
煙草吸い始めて5ヶ月くらいで、いつの間にか煙草がないとだめになりました。
とにかく煙草吸わないとムズムズする。
口寂しい。
飴やジュースじゃ軽すぎる、生半可すぎる。
喉をじわじわと痛めつけるあの煙じゃないと嫌だーーーーーーーー!!!!
と、そんな感じで24まで生きてましたが、
ある日突然、
「そういや昔、作家目指してたんだよな。文章書くの好きだし…」
そんなことを思いたち、
少しずつ、キャラクターの設定やストーリーを考えたメモ書きを書いていくようになり、書いてるとすごく楽しい。
何せ、つまらん現実から合法的に逃避できる。
お金もいらない。
紙とペンさえあれば、
「自分にとって都合の良い言葉をくれる人」
が、私に寄り添ってくれる。
小学生の頃から、空想を活かしたクリエイターになるのが夢でした。
煙草を吸ってなかったころ、
理不尽なこと、嫌な目に遭わされ、それをかき消すために、
空想に耽っていました。
とても人に見せられるような大それたものではなく、自己満足の代物でしたが、
誰一人味方がいない私の「癒やし」であったことは事実です。
小説を書き始めて、本格的にプロット練り始めていくうちに、それが楽しくて楽しくて、どんどん煙草を吸う回数が減っていきました。
もちろん、いきなりスパッとは止められたわけではなく、何度か失敗はしましたが、
煙草の本数は少しずつ減っていき、水蒸気だけの電子タバコでぎりぎり我慢できるようになり、いつしか電子タバコだけでよくなりました。
もちろん煙草を断ち切れたのは、他にも理由があると思いますが
一番大きいのは
自分が、やっててワクワクすること
を、見つけられたことでしょう。
好きな人から付き合おうって言われる
ずっとずっと欲しかったものがやっと手に入る
なりたかった職業にやっと就けた
そのレベルのワクワクです。
長い人生のうち、「ごくたまーにしか味わえない感覚」です。
日常ではなかなか手に入りにくいワクワクは、「小さい頃に夢中になっていたもの」の中にあるかもしれない。
それを見つけたら、きっときっと、毎日が楽しくて仕方なくなります。
プロになるか、なれないか、ではなく、
それをやってる時の心の躍動が非常に大切です。
周りから何と言われようと楽しいから止められない!
そう堂々宣言できれば、あなたはあなたの人生を取り戻しています。
追記ですが、
先日、NHKで薬物依存に関するドキュメンタリーを見ました。
薬物依存は、煙草よりも依存が強いかはわかりませんが、私は、薬物依存になっている方も「小さい頃夢中になっていたこと」を取り戻せば、薬物なんかいらなくなると思います。
私は違法薬物、その他医療機関以外のドラッグをやったことは一切ありませんし、薬物依存者のことを、完全には理解できていません。
しかし、薬物が止められない人たちは、
「劣等感・過去の嫌な思い出・理不尽な事件・ルサンチマン」を心に感じたときに、それを「言い訳」にしながら薬物を打ったり、炙ったり、吸い込んだりするんじゃないかな……と推測しています。
「○○のせいで私はこんなになった!」
「☓☓が俺に▲▲しやがった……」
薬物中毒者の方々は、
「あんなひどい目に遭わされて、誰も助けてはくれなかった、助けを求めたのに見捨てられた、だったらクスリに逃げるしかないだろ」
たぶん、こんな思いを抱いて、
慰みの相手が、「違法薬物」しかなかったんだよ、と開き直りつつも、なんとかしたい思いを抱えているのではないか。
まがりにも、自分を大切にしている人間が、
身を滅ぼすとわかりきっている上、学校でわざわざ有害だと教えてくれる
違法薬物に手を出すことはしないですからね。
薬物中毒者、ギャンブル依存症、ネット依存症、煙草・アルコール依存……
依存の対象が違っていても、根本的にはみんな「自分を大切にできないくらいに痛めつけられている」のだと思います。
自分を大切にしていると、自然と早寝早起きして、ちゃんとしたご飯を作り、有害なものには手を出さず、リスキーなことには手を出しません。
今の私がそうですから。
ほんの2年前までは、昼夜逆転生活が当たり前で、頭が割れるように痛くなっても煙草吸ってましたし(夜中にコンビニに買いに行くこともあった)、クレジットカードを何枚も作っては債務が重なって軽自動車を手放したり、ビジネス上の付き合いの人をネットでストーカーしたり、別の人には感情論をぶちまけたメールを送ったり……。
リスキーで、もはや消極的自殺に近い生活をしてました。
今は、上記に上げた『愚行』をする気はありません。
愚行を晒した理由は、
あらゆる依存症に苦しむ人に、
『私も変われるかも!』と少しでも思ってほしいからです。
依存を知らない人間の言うことなんて、信用できないでしょう?
私は確実に、煙草とネット、自傷行為依存でした。
とんでもない奴だったと思います。
しかし、依存に苦しむ方々の気持ちは知っているつもりです。
100%はわかってあげられないけど。
Twitterやってるので、もし話を聞いてほしかったら、ダイレクトメール飛ばしてください。(有料じゃないんでw ただ、全て返せるかどうかはわかりません)
私は、大多数の人間が嫌がること――感情論――を受け止めることができます。
むしろ受け止めるのが特技です。(もちろん冷やかしや罵詈雑言のみはダメですし、最低限の節度は守らないといけませんが)
意外と感情論にソリューション(解決のヒント)が混ざっていたりします。
それを、ぜひ一緒に探させてください!
Twitterですか、「たすくいつき」で検索すると出てきます。