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強制される悦び③ 体育祭編その2
関東の都心部から九州のとある街へと、引っ越し、
関東に住んでいたならば、きっと経験することのなかったであろう、教育方針の格差。
それは、地方特有のものなのかもしれません。
大人が絶対正義の世界。
年長者が絶対正義の世界。
その様な思想文化が、根底に強く残っている地域。
そこへ、関東の都心部から右も左も分からない状態で放り込まれたことから、私の心の奥には、一種の劣等感にも近い感覚が植え付けられたのかもしれません。
知らない土地で、知らない人たちから受ける、異文化の強制。
小学校に入学して間もない6月の頃。
運動会当日に向けて、裸足での校庭や体育館での練習の日々が始まりました。
裸足教育。
この言葉を知ったのは、私が20歳を超えた、大人になってからだった様な気がします。気になる方はググって見てくださいね。
毎日、毎日、毎日、学校に着いては、靴と靴下を履く権利を自ら放棄させ、みんながそうだから、という集団心理を巧みに利用した、社会的な強制。
子供達は、そこで運動会が終わるまでの期間、毎日、毎日、裸足にさせられている。
最初の頃は校庭の砂を踏むたびに痛みを伴い、体育館での練習では真っ黒に汚れる足の裏に嫌がっていた子供達。
しかしそんな子供たちも巧妙に、着実に、足の裏の皮も厚くなり、どんなに自らの足の裏が黒く汚れていても段々と気にしなくなっていきます。
私もそういう子供たちの、一人であれたならば、どんなに楽であったでしょうか。
しかし、神様はそれを許してはくれませんでした。
子供の頃の私の中には確実に、日々強くなるものがありました。
それは、背徳感であり、劣等感であり、屈服感であり、羞恥心であり、一種の敗北感のようなモノ、でした。
つまりは、屈辱感。
裸足になりたくない。
そんな選択肢は子供には用意されていませんでした。
そもそも、家に帰っても親には裸足で練習させられてるなんてことも言えず、認識されていません。
先生に言ったとしても、みんな裸足だから裸足になろうね〜、と言われるでしょう。現に、特別な怪我などがない限りは、裸足になれない理由など、そこには無いからです。
毎日、毎日、繰り返される陵辱の日々。
三日も経てば、子供達は、学校に登校するなり、靴下を脱ぎ、脱いだ靴下を上履きに突っ込み、下駄箱に置きっぱなしになります。
それはそうでしょう。
授業の合間にわざわざ靴下を脱いだり履いたりするなんて、子供達にはめんどくさいのですから。
元々、トイレには便所サンダルが並べられている為、
学校内での生活は、履き物を履かない状態の人間でも、全く問題がないわけです。
そんな環境下で、靴下と上履きを履いている方が、目立ちます。私も目立ちたくはなかったので、登校すると、靴下を脱ぎ上履きに突っ込んで下駄箱に入れる。
ミンナガヤッテイルカラ。
それだけの理由で、人間としての権利を捨て去る行為を毎朝行いました。
そんな野蛮な光景も、
見る人によっては健康的な教育現場、なのでしょう。
先生方の中にも、自ら裸足となり、活動していた方もいました。彼らは自らの意思でそうしたのでしょうか。今ではわかりません。
男の子も女の子も、高学年のお兄さんも、お姉さんも。足元はみんな裸足。
そんな異様な光景が、日常的になり、日々着実に植え付けられていく、屈辱感。
ミンナガヤッテイルカラ。
朝一番に裸足になる。
ミンナガヤッテイルカラ。
廊下も渡り廊下も教室も、埃で足の裏を真っ黒にさせる。
ミンナガヤッテイルカラ。
掃除の時間、雑巾掛けでは這いつくばって、後続の子に自らの足の裏を晒す。
ミンナガヤッテイルカラ。
他の子の足の裏と、自らの足の裏をくっつけて、大きさ比べ。
ミンナガヤッテイルカラ。
裸足での生活。床に堕ちたご飯粒などを踏んでも、気にしなくなる足の裏。
野蛮な調教。
運動会が無事に終わったとしても、その次に訪れるプール開き。体育の授業は全てプールに切り替わります。
裸足になることへの快楽を、身体に植え込まれた子供達は、まだ裸足での生活を続けてもいいのだと、悦びます。
大体プールの期間が終わって少し経つ頃の、9月か10月頃までだったでしょうか。
つまり、1年間のうち3、4ヶ月を裸足で過ごすことになります。
逞しく育つアシノウラとはウラハラに、
やはり逞しく育つ、屈辱感。
その屈辱感を受け入れる度に、私の身体は、裸足になることへの拒絶、羞恥心を覚える様になりました。
私の通う小学校では、六年生が組体操を行なうというのが決まりでした。学年ごとに、ダンス、ソーラン節などを発表するのですが、六年生だけは必ず決まって組体操。それも運動会の最終演目として、大トリになります。
私が5年生の時のことを、鮮明に覚えています。
その日は雨が降っていたか何かで、校庭には出られず、
屋内で運動会の練習が行われていました。
僕たち5年生が体育館で社交ダンスかなにかの練習をしていました。
練習が終わり、教室へと帰る途中。
校内には、体育館とは別に中くらいの大きさのレクリエーション室という部屋がありました。
その、レクリエーション室の前を通りかかった時に、
私は稲妻に打たれる様な衝撃を受けたのです。
レクリエーション室の中には、ひとつ上の6年生の一つのクラスの子らが、詰め込まれていました。
音楽も何もない空間で、先生がピッ、ピッ、と短めに笛を鳴らしています。
そのクラスの中には、近所に住む、マナベくん(仮名)というお兄さんと、エリちゃん(仮名)というお姉さんが居ました。いつも放課後なんかに一緒に遊んでくれている、優しいお兄さんと、お姉さんです。
外は雨、室内の生々しい湿気と熱気が廊下まであぶれ出ていました。
運動会の練習は、人数が多いため、基本的には学年単位、クラス単位で行われます。
その為、違う学年の子らの練習姿を見る機会はあまりありません。
レクリエーション室。
すぐに、私の身体は、異様な雰囲気を感じ取っていました。
ピッ、ピッ、と先生の笛の合図で、何やらゴニョゴニョと蠢き、体勢、姿勢を変えている人間集団。
ある時は二人一組になり、ペアの子の肩に裸足の足を乗せ、あたかも、足の裏を大人に確認してもらう為の様なポーズ。
ある時は逆立ち、で足の裏を天に向かって伸ばし、ある時は扇で4、5人の人間がツガイの部分で裸足の足を折重ねる。もちろんその中には、よく見知ったマナベくんと、エリちゃんもいます。2人とも真剣な顔つきで練習に参加しています。
ピッ。
そしてついに、その時が来ました。
裸足の人間集団は、男女で向かい合う様に横並びになります。
ピッ。
裸足の人間集団は地面に腰を下ろします。
ピッ。
お尻を地面につけ、裸足の足を前に伸ばします。
まるで、向かい合う異性のペアに、自らの足の裏をお互いに見せ合う様な光景。
ピッ。
裸足の人間集団は両腕を体の後方に伸ばし、体を支えます。
ピーーーッ。
長めの笛。
すると裸足の人間集団は、前に伸ばした裸足の足を、
高く上に掲げます。
その状態が、何分続いたでしょうか。
私にはとてもとても長い時間の様に思えました。
先生たちが、高く掲げた裸足の人間集団のアシノウラを吟味するかの様に、練り歩きます。
高さや角度を見ていたのだと思います。
その間、彼らは、向かい合う異性に、裸足の足の裏を見せ続けています。
私は咄嗟に、マナベくんとエリちゃんの姿を探していました。
見たくない。
普段仲良く遊んでくれている優しいお兄さんとお姉さんが、こんなに屈辱的な集団演技に巻き込まれている姿など見たくない。
見たくないのに、両の眼は、かれら2人の姿を瞬時に捉えます。
オレンジ色の照明で、ヌラヌラと妖しく照らされるアシノウラ。その空間に例外はなく、まず捉えたのはエリちゃんの姿。ぴんと張られたつま先と、それに比例するウラのシワ。普段は絶対に見ることの無い、優しいお姉さんの、緊迫したアシノウラ。真剣な顔つきで、向かいの男子生徒にシワの入った不細工なアシノウラを見せ続けるエリちゃん。
そして、次にマナベくん。
マナベくんは近所でもよくサンダル姿で見かけることがあり、マナベくんの裸足の姿には違和感を感じないのでは無いかという、一抹の希望。
しかしその希望は、儚くも打ち砕かれる。
マナベくんのアシノウラはエリちゃんのアシノウラとは違い、力が入っていない。だらっと弛緩したアシノウラ。まるで、見せつけることにも、見せたくなくて抵抗することにも疲れ、見られることに諦めを感じているかの様な、アシノウラ。足先に力が入っていない為。エリちゃんとは対照的で、ありのままのアシノウラを世の中に晒し続ける。
しかしそこに男の先生がやって来て、マナベくんの前に立ちます。何をするのかと見ていると、グイっとその足を持ち上げ、みんなに注目をさせます。
「はい、これくらいの高さです。
これくらいの高さまで、足を上げてください。」
一気にマナベくんのアシノウラに、皆んなの注目が集まります。
そのお手本を見て、またより高く上がる、裸足の人間集団のアシノウラ。当然、エリちゃんのぴんと伸びたシワだらけのアシノウラもそこにはいます。
いま。
僕は。
見てはいけないものを。
見ている。
年上で、頼り甲斐のある大好きなお兄さん、そしてお姉さんが、なす術もなく、自らのアシノウラを高く持ち上げ、まるで、誰が1番、己のアシノウラを世界に見られたいと思っているのかを競わされているかの様な光景。
いま。
僕は。
見てはいけないものを。
見ている。
5年生にもなると、毎年経験しているので、裸足になることには、少し耐性がついた。と思っていた。
しかしそれは、あくまでも裸足になることへの、わずかな耐性であって、その裏、つまり足の裏に関しては隠そうと思えば、隠すことができていた。
いわば、僕にとって足の裏は、最後の防衛ライン。
裸足になることは、社会的強制により何とか受け入れた。その代わり、羞恥の対象が、ウラへと移動したのだと思います。
いま。
僕は。
見てはいけないものを。
見ている。
泣きたくなる様な感情と、駆け巡る羞恥の衝動。
そして、絶望感。
まるで、生き物としての権利を剥奪されて、
見せ物となる。標本のように。
足の裏までひん剥かれて、飾られる。
ここにはもう逃げ場がない。
私がそんな絶望的で官能的な光景を、しばらく見ていると、後ろから私の担任の先生が近づいてきて、私に笑顔でこう言いました。
「みんなカッコいいねー。あなたも来年には、ああなれるからね^ ^」
ピッ。
終わり。