強制される悦び④ 武道場編その1
武道場。
よく晴れて清々しい陽気の初夏の頃。
緑が鮮やかに色づく季節。
私たちの通う中学校には、少し不思議な決まり事がありました。
それは、武道場は神聖な場所だから、入場する際は裸足になること。というものでした。
校則というよりかは、剣道部の顧問が発信し始めた、暗黙の決まり事という感じでした。
剣道部の顧問は生徒指導でもあり、とても恐ろしい鬼のような先生でした。
この、武道場を巡る、エピソードは沢山あるのですが、今日はそのうちのひとつをお話しします。
中学2年生のある日、
初夏の季節の頃であったと思います。
同学年の男子生徒に対して、
放課後に武道場に集まるようにと、指示がありました。
当時、武道場に集められるときというのは、基本的にいい知らせではありません。武道場=怒られる場所というイメージがありました。
理由のわからないまま、武道場に集められる男子生徒たち。
入り口部で、上履きと靴下を脱がされ、
これから怒られるであろう人間の姿に相応しい、無様な姿になることを強制されます。
学ランに裸足という姿。
武道場には、すでに生徒指導の鬼を含めた、
数人の男性教諭たちが待ち構えていました。
先生方も、なぜか、足元は裸足。
体育座りでいいぞ。
鬼が言いました。
武道場でお説教を聞くとき、先生の怒り具合によって、私たちの聞く姿勢、態度が変化します。
本気で怒られる時は、大抵の場合、正座を強制されます。
正座の場合には普段、仲良くしている同級生たちも、
あまりよく知らない同級生たちも、皆一様に、平等かつ例外なく、後ろに座る友達に、己の足の裏を晒すだけの生き物と化します。
体育座りでいいということは、今日の先生の怒りはあまり深刻ではないことが察せられます。
場内には、多感な男子学生が詰め込められているため、独特のにおいや熱気が漂います。
皆一様に、足元は裸足。
やがて、先生が話を始めて間もなくしたころ、
私たちのクラスの副担任で、英語の先生でもある、
富家先生(仮)が入って来られました。
富家先生は、この春に新卒で入られたばかりの、若い女性の先生でした。顔立ちは、美人というよりかは可愛いらしい感じの、黒髪にポニーテールの似合う、小柄な先生でした。
性格はとても明るく、生徒には人気の先生でした。
きっと当時で20代前半くらいだったのでしょう。
志しのある先生だったと思います。
そんな富家先生が、男だらけのむさ苦しい武道場に入って来られたのですから、男子生徒たちが気にならないわけがありません。
皆、男子教諭の話を聞くふりをしながら、密かに目の端で富家先生の姿を捉えます。
恐らく、富家先生は、その日が初めて、武道場に足を踏み入れた日であったのかも知れません。
靴を脱ぎ、一歩、二歩。
足元はベージュの靴下。
男子生徒が数人、富家先生の足元の方に視線を送りました。
何かに気がついたような表情の富家先生。
富家先生の目には、数十人の裸足の男子学生と、数人の裸足の男子教諭の姿が映ったのでしょう。
はっとした表情を見せたかと思うと、
入り口のご自分の靴のところに戻ります。
立ったまま、モゾモゾと、慣れない様子で、人権と共に脱ぎ捨てられる、ベージュの靴下。
タイトなスキニーデニムから剥き出される、大人の女性の裸足。
ツヤのあるしっかりと手入れをされた、健康的で清潔な爪。すらっと伸びたギリシャ型特有の長い指。
靴下を脱いだ瞬間、富家先生の白い顔が、スッと赤らんだのを覚えています。
これが、同調圧力というものなのでしょう。
日本ではそれが美徳とされるようです。
ミンナガヤッテイルカラ。
その日、男性教諭からどんな話が行われたのか、今となっては覚えていません。身だしなみに関する事だったかもしれませんし、そうではなかったかもしれません。
私の意識は、富家先生の足元へ向かいました。
武道場の端の方で、体育座りのまま、じっと男性教諭の話を聞いている、富家先生。
足の裏までは決して、晒さないと言うかのような、覚悟の体育座り。
結局、1時間程度だったと思います。
富家先生は、地面から一度も足を離さずに、その集会が終わるのをじっと待っているようでした。
残念ながら、その日、富家先生の足の裏を見た生徒は殆どいなかったと思います。
月日は数ヶ月が流れます。
当時、地方都市の男女教学、公立の中学校の教諭というお仕事は、プライベートを犠牲にするほど激務であることは、何となく想像がつきました。
新卒で配属された、富家先生も、例外なく、その残虐な社会の激流に、その小柄な身を預けていました。
日に日に、志の高い彼女の瞳には、疲労が蓄積されているのが子供ながらにわかりました。
よく、ベテラン教諭から、アドバイスという名の、社会的な教育を受けているようでした。
少しずつ、日々の富家先生の表情にも固さが現れ始め、言うことを聞かない生徒を怒鳴り、怒ることに、慣れ始めていきます。
気がつけば、優しかった富家先生は、生徒に舐められないようにと、どんどんと表情がキツくなっていました。
そんな風にして、時間という濁流が残酷に流れた、
ある日のこと。
また、放課後に武道場に集まるようにと、指示が入ります。今度対象となる生徒は、その日の授業の中で、忘れ物をした生徒。
忘れ物をする生徒が増えてきていたため、引き締める目的があったのでしょう。
私はその日、奇しくも富家先生の英語の授業で、ノートか教科書かのどちらかを家に忘れてしまいました。
その為、私も武道場に向かいました。
人権と共に靴下を脱いだ数十人の男女生徒。
正座!
生徒指導部の先生の怒号と共に、
後ろの同級生に己の足の裏を、見せるだけの生物となる私たち。
すると、信じられない光景が、そこにありました。
富家先生が、けわしい表情で、武道場の壁に腰をかけ、床に座り、両の足を前に伸ばして座っているのです。
時折り、足を組んだり、組み替えたりしながら、ヌラヌラとイモムシのように蠢く、富家先生の、アシノウラ。
小柄の体格には似合わない、大きめのアシノウラ。
すらっと伸びたギリシャ型の指を前に倒したり、後ろに倒したり、足首を回したり、指を広げたりしながら、邪悪に動くアシノウラ。
私の目は、その、邪悪なモノに、釘付けになります。
立ち仕事で、硬くさせられた、アシノウラの皮膚。
ケアなど行なう余裕はなかったのでしょう。
角質張って、汗の匂いのしそうな、湿っぽい、
富家先生のアシノウラ。
富家先生の表情は怒っているようにも見えましたが、
少なくとも私には、十以上も若い男女の生徒に、ご自分の邪悪に育った足の裏を見せつけているように見えました。
まるで、よく見ろと言わんばかりに、放たれた、富家先生の、アシノウラ。
指が蠢くたびに、入る横ジワが、深すぎて、影を作るくらいの、アシノウラ。
人生で初めて見せつけられる、大人の女性の、アシノウラ。
かつてのように、ベテラン教諭の退屈な説教を、頑なに体育座りで聞いていた、富家先生は、もういません。
楽だからと、私達の前に放り出された、アシノウラ。
その踵から爪先まで。
ヌラヌラとアシノウラを蠢かせながら。
時間という濁流に押し流された、富家先生は、
顔を赤らめることもなく、逞しい教師に成長したのでした。
裸足保育、裸足教育。
その他、何らかの条件で、裸足で働くことを余儀なくされる大人たち。彼らの元にも等しくその機会は与えられます。
社会という暴虐性によって強制的に捨て去られる羞恥心。
富家先生のような悲劇的な実例は、きっと、至る所で今日も発生していることでしょう。
そういう場面に、沢山遭遇してきました。
富家先生。おめでとうございます。
ついにあなたも、私たちと同じ、足の裏を見られるだけの生物モンスターに、成りましたね。
終わり。