愛が溢れるままに

noteを始めて、早150日と数日が経過したらしい。時々は振り返りをしておきたい。

今日、Twitterのタイムラインを追いかけていたら、フォローさせていただいているサカエ コウ。さんがこんなツイートをされていたのを見つけた。

なんと、「note同期」として私の名前を挙げてくださっている。これを目にした瞬間、とても嬉しくなったのは言うまでもない。そのまま、ここにnote愛に溢れた投稿をしてしまいそうになったのだが、少し時間をおいて落ち着いてから書いているところだ。

これまでも折に触れて書いてきたことだが、「言葉」を通じて人と出会い、親交を深めていくという経験は何事にも代えがたい。これまでは、学校だったり職場だったりとまず第一に「顔」があり、言葉を交わすうちに親しくなっていくということしかなかったが、このnoteという場では、「顔」より先に「言葉」がある。物理的に同じ空間にいるからなんとなくお互いが近づくのではなくて、それぞれが書き、それぞれが読むことで「言葉」に導かれて近づいていく。これってとても良いことだと思う。

そもそも私がnoteを始めたきっかけなんて、取るに足らないようなこと。定期券を無くしたので、それをネタにしてみようと思ったのだ。
それがたった半年足らずでたくさんの素敵な人たちに出会えて、今ではまるで旧知の仲のようになっている方もいらっしゃる。もっと言えば、noteを通じた出会いから、新たな仕事というか新たな生きがいまでも見つけてしまった。「言葉」は、時間というものさえも軽々と乗り越えさせてしまうのかもしれない。

やや砕けて言えば、「noteで広がる、友だちの輪」である。これも不思議なこと、いや、不思議ではなく必然なのかもしれないが、noteを通じて出会った方を通じて出会う方も、これまた皆さん素敵な方揃いなのだ。「あれ、それって僕のことかな?」「もしかして、私のことかしら?」と思ったあなた、そう、あなたのことです。皆さん本当に魅力的で、私はそんな皆さんが大好きなのだ。

結局、このように気持ちが高揚して、熱量が高くなってしまった。やはり私は感情の起伏が激しいのだ。喜びであっても怒りであっても、気持ちが昂ぶれば文はいつも以上に乱れてしまう。読んでくださる方に申し訳ないと思いながらも、ついそのまま投稿してしまうのが私の悪い癖である。

明日はちょうど良い温度の文章が書けることを願うばかりだ。

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秋本 佑(Tasuku Akimoto)
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