ポケベルとか、PHSとか、ガラケーとか
ポケベルが来年9月でサービス終了するそうな。
自分では持ったことはないが、親が持っていたのは覚えている。それも、数字だけ送れた時代のこと。自宅の番号の下四桁を送ると「家に電話して」というメッセージだった。たぶん自宅とはそのためだけに使っていたのだと思う。
PHSは、4歳上の兄が中学に入ったときに持たされていた。遠方までの電車通学だったからだろう。
私はと言えば、同じく遠方まで電車通学となった2001年に携帯電話を持った。まぁ、今でいうところのガラケーだ。その直前にカメラ付き携帯電話が発売されたのだが、私が持ったのはそれではない。友人が持っていて「すげー!」と思ったのを覚えている(ちなみに2001年はSuicaが導入された年でもある。携帯電話を持ってSuicaも持ってと、まだまだ目に見えて新しい技術が身の回りに増えていく時期だった)。
そんなわけで、残念がらポケベルの思い出は語れないのだが、ガラケーの思い出なら語れる。スマートフォンを持ったのが大学卒業間際だから、いわば青春時代をガラケーと共に過ごしたことになる。
思い出深いのはなんと言ってもメールである。
今でこそLINEに代表されるメッセージアプリがあるため、メッセージの送受信は瞬時にできるし、タイムライン形式でやりとりを読み返すこともできる。
だが多くの皆さんもご記憶だと思うが、ガラケーのメールにはそんな機能はなかった。友達と(さながらLINEのように)短い言葉のやりとりをしたい時は、お互いに1通ずつメールを送り合わなければならなかった。ポチポチ入力して、送信ボタンを押す。送信自体にも数秒かかるし、受信するのにも数秒かかる。あれはあれで趣があった。
「センター問い合わせ」も懐かしい。思い切って送ったメールに返信がなかったりすると、「まだかな、まだかな」と「センター問い合わせ」のボタンを連打したものだ。
短い言葉を細切れにやりとりするのがまどろっこしかった私は、つい一度のメールにたくさんの情報を詰め込む癖があった。実はその癖は今でも残っていて、LINEなのにも関わらずつい長々とメールのような文面を送ってしまう。TwitterのDMにしても同じである。
数年に一度、どこからか古いガラケーが見つかっては再充電して中のメールを読み返す機会がある(最近、充電が切れて起動しなくなってしまったガラケーを復旧させてくれるサービスがあるらしいが、今のところそのサービスのお世話になったことはない)。当然、そこから垣間見える秋本像は今と変わったところもあれば変わらないところもある。
でも、やはり何となくこそばゆいものだ。そのこそばゆさを味わいたくて、つい読み返したくなってしまうのだ。
これまでの自分なんて、そう簡単に忘れたり捨て去ったりなんてできない。
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