「書くこと」と「聴くこと」
書店に行くと、「ほど良い塩梅」のインストゥルメンタルが流れているケースが結構多い。例えばピアノ・クラシックとか。
無音だと寂しいので、本選びという主目的を邪魔しないようなBGMを…といったことで選定されているのだと思っている。
こうしてnoteを家で書いている時、最近は虫の声がBGMになるのだが、たまには音楽も聴きたくなる。そこで問題となるのが、「何の音楽を聴くか」。
好きなアーティストの、歌入りの曲を再生してみたこともあったが、歌詞の方にばかり意識がいってしまってまったく文章が書けなかった。昔はそうした音楽を聴きながら勉強できていたし、(やや趣は異なるが)かつて深夜ラジオは受験生のお供だったではないか。
この事実は、年を経て私の意識の振り分け能力に変化が生じたのか、それとも昔は「勉強できていたつもり」になっていただけなのか。でも少なくとも、「つもり」になれていたことは間違いなく、「まったく書けない」という今の状況とは何かが異なる。よく考えてみれば、小学校から大学まで毎日毎日、時間割単位で学ぶことがコロコロと変わるため、その度に頭を切り替えていた。今の私は基本的に、朝から晩まで「一つの職場・一つの仕事」で、そうした意味での切り替えは求められない。そうしたことも何かしら関係しているのかもしれない。
ではピアノ・クラッシクでもと思い今度は、擦り切れるほど聴いてきたアシュケナージによる『ショパン名曲集』を聴いてみた(レコードではないから擦り切れはしないのだが)。おぉ、少しは書けるようになった。が、やはりだんだんと意識は曲の方に向き始め、頭の中では鍵盤とその上を動き回るピアニストの指の映像が再生され始めてしまった。
図らずも明らかになったのは、私にとって、本腰を入れて書こうと思うならば、自然と聞こえてくる音以外のものを聞いてはいけないということ。「書くということは、自分と向き合うこと」、「書くことは、孤独なこと」といった言説があるが、ようやくそのことが僅かながらも分かった気がする。
さて、皆さんの執筆環境はいかがでしょうか。