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自分のことは自分が一番分からない

11月8日(木)、下北沢の「BOOKSHOP TRAVELLER」さんでにて、「本でつながるシェアハウス」運営者である井田岳志さんのお話をお聞きしてきた。
イベント当日に綴った感想は以下の記事だ。

こちらの記事は気持ちのおもむくままに書いたものだったが、今回はイベントから数日経ったタイミングで、多少の振り返りをしながら印象的な言葉などについて綴っていきたい(録音などはしておらず、手元のメモを元にしているので、多分に私の主観が入り込んでいるかもしれない点、ご了承いただきたい)。

①元々のお仕事を辞められる時、意外とあっさりと辞めた

井田さんは大学時代は建築について学ばれ、卒業後はゼネコンにお勤めだったとのこと。ゼネコンではマンションなどの建設に携わっていたが、「箱モノ」をつくることだけに留まってしまう仕事に何かしらの違和感を感じ、ハード面ではなくソフト面から「コミュニティ」に関わりたいという想いで退職された。

お話を聞いていると、(こう言っては語弊があるかもしれないが)意外とあっさりと、後のことを細かくは決めずに辞められたような印象を受けた。
このお話はトークの中の序盤で出てきたことなのだが、この時点で私は井田さんに深い共感を抱いた。と言うのも、私自身も、前職を辞める際、次の就職先は決まっていたものの、どこかで「まぁ、今後何かあってもなんとかなるだろう」という気持ちでいたからだ。
周囲からは「そのまま居ればそこそこに給料がもらえて、そこそこの暮らしができるのに、なぜ辞めるのか」と思われることも多かったが、そんなことよりも、「そこに居てはできないことがしてみたい」と一度思ってしまったならば、気持ちはあっさり退職に向いてしまうものだ。

②「自分の好きなものを選ばないと続かない」「無理のない範囲で、自分に合ったやり方でないと続かない」

「本でつながるシェアハウス」ということで、話は当然、「なぜ本か」「なぜシェアハウスか」ということに及ぶ。
この点、井田さんは「自分の好きなものを選ばないと続かない」「無理のない範囲で、自分に合ったやり方でないと続かない」とおっしゃっていた。

「本」については、「好きなもの」だから。これは分かりやすい。
「シェアハウス」については、住民同士のイベントは月に一度程度は開きつつも、あくまで「住んでいる人のための空間としての閉じたコミュニティ」として、あまり外に対して開くことは考えていないという。それは、「大々的に、オープンにするのは、井田さんご自身の性に合っていないから」というところが大きいとのこと。

特に印象的だったのは、この文脈で語られた以下の言葉。

(シェアハウスのコンセプトを決める時)マーケティングなどによって「社会のニーズ」に合わせてしまうと、自分のやりたいことと何かが違ってしまうと思った。
「好きなもの」から外れないようにしつつも、「ビジネス」であることを忘れないようにしている。それを忘れて「赤字でもいいや」などと思ってしまうと、続かなくなってしまう

「好きなもの」を基軸としながら、それを冷静な目で「ビジネス」として捉えられる。そこに、井田さんという方のバランス感覚の良さが感じられた。

③組み合わせることで生まれる新しい世界

「本」と「シェアハウス」。一般的には、「独り」でする読書と「みんな」で住むシェアハウスということで、相反するもののように思われる。だが井田さんは、始めた頃は気づかなかったそうだが、この「一見相反するものを組み合わせること」が面白いと感じていらっしゃるようだ。

たしかに、組み合わせによる化学反応で思ってもみなかった新しい世界が開けることはとても楽しい。突然思い出したのだが、言語学者の黒田龍之助先生も、複数の言語を学ぶことで起こる「語学反応」についてお話しされていた。

そしてこのことは、人と人との出会いでも同じだ。井田さんもシェアハウスというものについてこのようなことをおっしゃっていた。
「仕事や学校などでは、同じようなタイプの人としか出会わないことが多い。シェアハウスでは、年齢も性別も関係なく、想像もできなかった出会いがある。」
これはきっと、シェアハウスの運営者としての経験だけではなく、ご自身もシェアハウスにお住いになったことがあるという経験に基づいた言葉だろう。

私が最近シェアハウスに興味をもつのも、この「出会いの面白さ」や「新たな世界の広がり」があるからだ。これまで見知らぬ他人だった人と暮らすことに抵抗がある方はもちろんいるだろう。ただ、「見知らぬ他人」が「見知った同居人」になり、さらにはもしかしたら「得難い友人」になるかもしれないそのことに、期待してしまう。

④「コミュニティ」と「アソシエーション」

これは、イベントの進行をされた「BOOKSHOP TRAVELLER」の和氣さんのご発言なのだが、「コミュニティ」と混同されがちな概念に「アソシエーション」というものがあるとのこと。「コミュニティ」が主に地縁による集まりであるのに対して、「アソシエーション」は共通の目的などによる集まりのようだ。
その意味で、「本でつながるシェアハウス」は、「そこに住んでいる」という意味でコミュニティ的でありつつも、「本でつながっている」という意味ではよりアソシエーション的であるのかもしれない、というのが和氣さんのご見解。それには井田さんも頷いていらっしゃった。

さて、ここまで4つほどの発言を取り上げてきた。
全体を通して特に印象的だったのは、実を言えば、「なぜ本なのか」「なぜシェアハウスなのか」などの質問を投げかけられて、「うーん、なんでだろうなぁ」と考え込む井田さんのお姿そのものだった。

私などは時々、「自分のことは自分が一番分かっている」などとつい思ってしまいがちだが、はたしてそれは本当だろうか。
よく考えてみれば、少なくとも私について言えば、人生のある地点で何かを選び取る時に「なぜそれを選んだか」を明確に言語化できるほどの理由付けをしてきたかと問われれば、イエスと答えられる自信がない。その時は直感で選択しており、理由は後付けだったようにも思う。
それゆえ、「自分のことは自分が一番分からない」のかもしれない。誰かに指摘され、整理してもらうことで、初めて分かる部分もあるのかもしれない。

考え込む井田さんのお姿を拝見しながら、ふとそんなことを考えたのである。

改めて、多くの示唆に富んだお話を聞かせてくださった井田さん、そして様々にお話を膨らませてくださった和氣さん、ありがとうございました。下北沢での素敵な秋の夜となりました。

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秋本 佑(Tasuku Akimoto)
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